私がストラスブール大学哲学部の博士課程に登録したのは1996年のことだが、当時、ストラスブール大学という一つの大学はなく、三つの大学に分かれていた。理系はルイ・パスツール大学、社会科学系がロベール・シューマン大学〔欧州連合の父の一人とされる Robert Schuman(1886‐1963)にちなむ〕、人文系がストラスブール人文科学大学(Université des Sciences Humaines de Strasbourg=USHS)と名づけられていた。便宜上、上から順に、ストラスブール第一・第三、第二大学と呼ばれてもいた。哲学部はUSHSに属していたが、どうして第二大学だけ大学にゆかりのある人名ではなく「人文科学」という殺風景な名称なのか、当時疑問に思っていた。
後になってわかったことだが、第二大学にも人名を冠そうという案はあったのだが、意見が割れてなかなか決まらなかったのだそうだ。候補として、ストラスブール大学神学部出身で医学部でも学んだアルベルト・シュヴァイツァーと文学部で十七年にわたって教鞭をとった歴史学者のマルク・ブロックとが挙がっていたそうだ。ところが、前者は大学の教壇に立った期間が短く、結局ストラスブールを去った人だという反対意見があり、後者についてはユダヤ人だという理由を振りかざす強硬な反対派がいて、議論が紛糾してしまったという話を聞いたことがあるが、真偽の程はわからない。
それはともかく、私が在学している間にマルク・ブロック大学という名称に変更された。私の博士号の証書にはそう記されている。ところが、2009年に上記の三大学が統合されて現在のストラスブール大学となった。つまり、もう「マルク・ブロック大学」という名称の大学はフランスに存在しないのである。三大学に分かれる以前は長年「ストラスブール大学」という名称だったのだから、元に戻ったとも言うことができる。
マルク・ブロックの名前は留学以前から『封建社会』の著者として知ってはいたが、みすず書房版の邦訳をちょっと読んだだけで、本人についてはほとんど何も知らないに等しかった。ところが、自分の在学している大学の名前になったことがきっかけで、その学問と生涯に関心を持つようになった。そして、彼が創始者の一人である「アナール学派」へと興味は広がっていった。
昨日の記事で言及した二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫、2016年)とマルク・ブロック自身の著作を参照しながら、明日からマルク・ブロックについて少し書いてみたい。