昨日の記事で述べたように、マルク・ブロックに対する私の関心は、そのきっかけからすれば四半世紀余りに及ぶ(と書いて気づいたのだが、最近わりと頻繁に「四半世紀」という表現を使うようになっているのは、自分の過去をそれくらいの時間の幅で振り返るときある「像」を結ぶようになったからかも知れない)。
他方、直近のきっかけは、二宮宏之氏の『全体を見る眼と歴史家たち』(平凡社ライブラリー、1995年)の電子書籍版(2023年)を読んだことにある。同書には、マルク・ブロックの名がアナール学派の盟友リュシアン・フェーブルの名と共に頻繁に出てくる。両者に言及されている箇所には、彼らそれぞれの著書からの引用も何回か出てくる。そのうちの一冊が、一昨日の記事で言及した Apologie pour l’histoire ou métier d’historien(『歴史のための弁明―歴史家の仕事』)である。
「史料は問いかけねば答えてくれない」というブロックの言葉は同書からの引用で、出典を示す注のなかで二宮氏は、「この書物は、一九四四年レジスタンスに倒れたブロックが、死後に遺した「覚書」であるが、新しい歴史学の基本的な考え方を提示した、すぐれた歴史論である」と賛辞を記している。引用された一文は他に二箇所『全体を見る眼と歴史家たち』に引かれており、それらの前後の文脈からして二宮氏が歴史家の基本的態度としてこれを重視していたことがわかる。
アナール学派の「第三世代」の旗手であったジャック・ル=ゴフは上掲のブロックの本(DUNOD Poche, 2024)に三六頁にわたる長い序文を寄せているが、そのなかにも当該の一節が次のように引用されている(p. 29)。
L’essentiel est de bien voir que les documents, les témoignages « ne parlent que lorsqu’on sait les interroger […] ; toute recherche historique suppose, dès ses premiers pas, que l’enquête ait déjà une direction ».
この引用は、間に[…]があることからもわかるように、中間に省略がある。歴史学の方法論として本質的なところだけを抽出している。その上でル=ゴフはこう続けている。
L’opposition ici est nette avec les conceptions des historiens dits « positivistes », mais Marc Bloch rejoint ici un mathématicien célèbre, Henri Poincaré, qui avait réfléchi sur ses pratiques scientifiques et celles de ses confrères et montré que toute découverte scientifique se produit à partir d’une hypothèse préalable. Il avait publié, en 1902, La Science et l’Hypothèse.
つまり、「あらゆる科学的発見はそれに先立つ一つの仮説から生まれる」というポアンカレのテーゼとブロックの歴史的思考の原則とは一致するということである。言い換えれば、史料への問いかけそのものが一つの仮説であるということである。
このブロックのテーゼについて二宮氏はつぎのように説明を加えている。
ブロックは、史料は問いかけねば答えてくれないと言ったが、問いかけるためにはまずもって相手の素性を十分見極めておかねばならないし、答えを抽き出すためにはそれに応わしい技法を心得ていなければならない。史料は、その生かし方を識っている者にのみ、その生命を明かすのである。