内的自己対話-川の畔のささめごと

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転換期には、模索と逡巡はむしろ健全な状態である ― マルク・ブロック『歴史のための弁明』より

2024-02-25 17:36:19 | 読游摘録

 二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』第4講の二「歴史家の仕事(メチエ)―『歴史のための弁明』からの摘録を続ける。
 マルク・ブロックの『歴史のための弁明』の序文には、ブロックが当時の学問的状況をどのように認識にしていたかがよく示されている。
 一九世紀の最後の二、三十年から二〇世紀初頭の世代の歴史家には、科学についてのオーギュスト・コント的概念、つまり、厳密な法則性と普遍性への指向が悪夢のようにつきまとっていたとブロックは言う。それに対して、ブロックによると、歴史家たちには二つの反応が見られた。
 ひとつは、このような自然科学をモデルとした認識方法を歴史にも適用し、普遍的法則に合致しないような偶発的事件や個人の役割を歴史から排除してしまう「科学主義」的態度である。デュルケム派の社会学もこの点では同様な立場を取ったとブロックは批判する。
 他方、この「汎科学的」(panscientifique)な歴史理解に反発し、「歴史のための歴史」という狭い世界に閉じこもってしまう「歴史のための歴史家」(historiens historisants)たち、言い換えれば、歴史至上主義的立場に固執する歴史家たちもいた。彼らの仕事は「一種の美的遊戯か、せいぜい精神の健康によい体操」(« jeu esthétique ou, au mieux, d’exercice d’hygiène favorable à la santé de l’esprit »)に過ぎないとブロックは批判する。
 その上で、自然科学自体がいまや大きく変貌し「科学」概念そのものの再定義が進んでいる今日、この事態をふまえ、新たな知的営みとしての歴史学の創造をブロックは提唱している。ブロックは、歴史学が新たな方法を模索して逡巡しているかに見えるのはむしろ健全な状態だと言う。
 そして、若い世代の歴史家たちに向かって、その模索の試みに進んで参加してほしいと呼びかける。その段落を原文で引こう。

J’aimerais que, parmi les historiens de profession, les jeunes, en particulier, s’habituassent à réfléchir sur ces hésitations, ces perpétuels « repentirs » de notre métier. Ce sera pour eux la plus sûre manière de se préparer, par un choix délibéré, à conduire raisonnablement leur effort. Je souhaiterais surtout les voir venir, de plus en plus nombreux, à cette histoire à la fois élargie et poussée en profondeur, dont nous sommes plusieurs – nous-mêmes, chaque jour moins rares – à concevoir le dessein. Si mon livre peut les y aider, j’aurai le sentiment qu’il n’aura pas été [absolument] inutile. Il y a en lui, je l’avoue, une part de programme.

 ブロックがどのような時代認識とともに『歴史のための弁明』を書いたかについては、ジャック・ル=ゴフも Apologie pour l’histoire(DUNOD Poche, 2024)の序文で詳しく論述している。明日の記事ではそこを読んでみよう。