内的自己対話-川の畔のささめごと

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哲学者の末期の沈黙 ― メーヌ・ド・ビラン『日記』最後の記事と死の前日の自筆証書遺言との間(3)「私を苦しめているのは私の精神の弱さである」

2024-10-21 23:59:59 | 哲学

 ビランの最後の日記の続きを読もう。

 Le stoïcien est seul ou avec sa conscience de force propre qui le trompe ; le chrétien ne marche qu’en présence de Dieu et avec Dieu par le médiateur qu’il a pris pour guide et compagnon de sa vie présente et future.
 C’est l’infirmité de mon esprit qui m’afflige plus encore que l’infirmité de ma chair à qui la première se lie. Je ne sais plus que devenir. Si l’état maladif du corps avait pour effet d’ouvrir les yeux de l’esprit et de changer le cœur, il serait heureux de souffrir, mais je cours encore après la vanité bien plus qu’après la vérité ; je cherche le monde pour ranimer un reste de vie physique languissante, quoiqu’il me dégoûte et que je ne sois plus dupe d’aucune de ses illusions.

 上の段落だけを読むかぎり、ストア派の生き方と敬虔なるキリスト教徒の正統的な生き方とが比較され、前者が後者の立場から批判されているだけだが、次の段落では、ビラン自身は、神を必要としながら神とともに歩むことができず、導き手であり伴侶である仲介者イエス・キリストによって神とともにあることができない自分の苦しみを吐露している。
 私を苦しめているのは私の精神の弱さなのであり、それが結びついている肉の弱さ以上に私を苦しめる。私はもはや何になるべきなかわからない。肉体の病的な状態に、精神の目を開き、心を変える効果があるのなら、苦しむことは幸せなことであろう。ところが、私はいまだに真理を追い求めるよりも、虚栄を追い求めて走っている。私は、衰弱した身体的生命の残りに生気を取り戻させようと世俗世界を追い求める。たとえそれが私をうんざりさせ、もはやその幻想に騙されなくなっているとしても。
 虚栄 vanité と真理 vérité とがイタリックで強調され、韻を踏んでいるのが痛々しい。世俗世界は幻想に満ちていると身に沁みてわかっていながらそこから身を引き離せないとの嘆きは、死に至るまで下院議員であり、死の2週間前に下院議長に体調不良ゆえに議員としての職務を果たせないことを詫びる誠実な手紙を送っているビランだけになおのこと痛切に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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