赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

朝と夕べの言葉に思う!

2005年08月02日 15時51分29秒 | 生き物ばんざい
傑作(0)
2005/8/2(火) 午後 3:50 | 日記 | 愛知県







● 朝にアサガオ、夕べにカラスウリを! 2

朝(あした )と夕べで
もうひとつ思い出す言葉がある。

それは、
浄土真宗中興の祖 8代蓮如さんの御文に、
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人間の一生は、はかなきものであり、まぼろしのごとくなる一期なり、

されば、

あしたに紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり、



すでに無常の風きたりぬれば、すなわち二つのまなこたちまちに閉じ

一つの息長くたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおい失いぬる



本当に人間の人生なんってはかないものである。

この御文さんを聞くたびに、一日一日を精一杯生きよう!

一時一時を精一杯生きようと心で思ったものである。

蓮如さんが書かれた、あしたに紅顔ありて・・・・

の御文はこのような状況で書かれたと言います



当時、山科本願寺(やましなほんがんじ)の近くに青木民部(みんぶ)という下級武士がいました。
十七歳の娘と、身分の高い武家との間に縁談が調ったので、民部は、喜んで先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具を揃えたのです。
ところが、いよいよ挙式という日に、娘が急病で亡くなってしまいます。
火葬の後、白骨を納めて帰った民部は、
「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」と悲嘆にくれ、五十一歳で急逝。
度重なる無常に、民部の妻も翌日、三十七歳で愁い死にしてしまいました。

 その二日後、山科本願寺の聖地を財施した海老名五郎左衛門(えびなごろうざえもん)の
十七歳になる娘もまた、急病で亡くなりました。
葬儀の後、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門は、蓮如上人に、無常についてご勧化をお願いします。
すでに青木家の悲劇を聞いておられた上人は、願いを聞き入れられ、「白骨の御文章」を著されたのです。