傑作(0)
2005/8/2(火) 午後 3:50 | 日記 | 愛知県
● 朝にアサガオ、夕べにカラスウリを! 2
朝(あした )と夕べで
もうひとつ思い出す言葉がある。
それは、
浄土真宗中興の祖 8代蓮如さんの御文に、
人間の一生は、はかなきものであり、まぼろしのごとくなる一期なり、
されば、
あしたに紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり、
すでに無常の風きたりぬれば、すなわち二つのまなこたちまちに閉じ
一つの息長くたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおい失いぬる
本当に人間の人生なんってはかないものである。
この御文さんを聞くたびに、一日一日を精一杯生きよう!
一時一時を精一杯生きようと心で思ったものである。
蓮如さんが書かれた、あしたに紅顔ありて・・・・
の御文はこのような状況で書かれたと言います
当時、山科本願寺(やましなほんがんじ)の近くに青木民部(みんぶ)という下級武士がいました。
十七歳の娘と、身分の高い武家との間に縁談が調ったので、民部は、喜んで先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具を揃えたのです。
ところが、いよいよ挙式という日に、娘が急病で亡くなってしまいます。
火葬の後、白骨を納めて帰った民部は、
「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」と悲嘆にくれ、五十一歳で急逝。
度重なる無常に、民部の妻も翌日、三十七歳で愁い死にしてしまいました。
その二日後、山科本願寺の聖地を財施した海老名五郎左衛門(えびなごろうざえもん)の
十七歳になる娘もまた、急病で亡くなりました。
葬儀の後、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門は、蓮如上人に、無常についてご勧化をお願いします。
すでに青木家の悲劇を聞いておられた上人は、願いを聞き入れられ、「白骨の御文章」を著されたのです。
2005/8/2(火) 午後 3:50 | 日記 | 愛知県
● 朝にアサガオ、夕べにカラスウリを! 2
朝(あした )と夕べで
もうひとつ思い出す言葉がある。
それは、
浄土真宗中興の祖 8代蓮如さんの御文に、
人間の一生は、はかなきものであり、まぼろしのごとくなる一期なり、
されば、
あしたに紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり、
すでに無常の風きたりぬれば、すなわち二つのまなこたちまちに閉じ
一つの息長くたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおい失いぬる
本当に人間の人生なんってはかないものである。
この御文さんを聞くたびに、一日一日を精一杯生きよう!
一時一時を精一杯生きようと心で思ったものである。
蓮如さんが書かれた、あしたに紅顔ありて・・・・
の御文はこのような状況で書かれたと言います
当時、山科本願寺(やましなほんがんじ)の近くに青木民部(みんぶ)という下級武士がいました。
十七歳の娘と、身分の高い武家との間に縁談が調ったので、民部は、喜んで先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具を揃えたのです。
ところが、いよいよ挙式という日に、娘が急病で亡くなってしまいます。
火葬の後、白骨を納めて帰った民部は、
「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」と悲嘆にくれ、五十一歳で急逝。
度重なる無常に、民部の妻も翌日、三十七歳で愁い死にしてしまいました。
その二日後、山科本願寺の聖地を財施した海老名五郎左衛門(えびなごろうざえもん)の
十七歳になる娘もまた、急病で亡くなりました。
葬儀の後、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門は、蓮如上人に、無常についてご勧化をお願いします。
すでに青木家の悲劇を聞いておられた上人は、願いを聞き入れられ、「白骨の御文章」を著されたのです。