こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年6月21日 土曜日 かたちんば・夏の100曲 ~キング・サニー・アデ~

2014-06-21 08:55:49 | 音楽帳

1983年・その存在を教えてもらった中村とうようさんとピーター・バラカンさんに感謝。
夏らしさを覚える1曲。

■キング・サニー・アデ 「シンクロ・フィーリングス-イラコ」1983■
とうようさんが、当時夢中だったキング・サニー・アデ。
彼を中心にしたバンドを知ったのは、雑誌ミュージックマガジンの記事だった。
一番、最初にその音に触れたのは、ピーター・バラカンさん(とアッコちゃん)のラジオ「スタジオテクノポリス27」。
初めてきいた曲は「マアジョ」だった。この曲は当時のFMあちこちで掛かっていたし、その存在はまさに「旬」であり、他のミュージシャンへの影響を及ぼしていた。

その後、日本国内発売されるアデさんバンドのレコード。同時にアフリカ音楽のコンピレーション盤「サウンド・ダフリカ」と共に。
もっぱら自分は、それらが掛かった「スタジオテクノポリス27」を録音したテープで聴いていた。

上の曲「イラコ」は、アルバム「シンクロ・システム」のA面1曲目。この曲は、教授がサウンドストリートでも掛けていた。
そのアデさんバンドのCD「シンクロ・システム」を購入したのは、数年前だったが、ジャケットが上の正規盤ではなかった。

正規盤のジャケットが素敵なのは、演奏する1人1人の楽器と共に掲載されていること。
CDはLPと違ってサイズが小さいから、それゆえアデさんだけのジャケットになったのだろうか。
何はともあれ、CDなどはLPと違って、聴ければ良い程度のことだが。

とうようさんが、当時、多分外での打ち合わせか移動の途中なのだろうが、アデさんバンドのアルバムを(ウォークマンか?)収めたテープを、陽光をしのいた公園の木陰で聴いていた、というシーンが浮かぶ。

きゅうりは発育良く、どんどんと実を結んで大きくなっている。
きゅうりは今年初めて育てているが、日々見ながらそのチカラ強さに驚いている。
「植物は愛情を注いだ分だけ答えてくれる」とは、不断草を頂いた街の「かあさん」の名言だな。

漬けた梅はまだ3日目だけど、良い色に変わっていく。色の変わり方を見ることだけでも楽しい。
梅にはよく殺菌作用があるというが、邪気を祓ってくれる気までしてくる。
夏越の祓えまで、あと十日。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年6月20日 金曜日 かたちんば・夏の100曲 ~間と魔~

2014-06-21 00:46:46 | 音楽帳

疲労すると適当さが増し、自動筆記になる。

意味がある、とか、無い、とか、そういう世界に産まれないのは、どの赤子も同じ。
寺山修司さんが言った「自分は不完全な死体と生まれ、時間をかけて、完全な死体となって死んでいく」。
万能感を抱いた赤子は、社会なる外枠にはまるべく次第に慣らされて行き、それと共に本来持っていた動物的能力を削いでいく。
動物から非動物たる、にんげんなるものに変態しないと、生きていけないがゆえの移行。
そこから逸脱した者は、社会不適応者なるレッテルを貼らされるが、そこで社会外能力を持ちえる者を進むか、否か。

「人は人生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。
だが、やがて”歌のわかれ”をして詩を捨てる。
そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のまま年老いてゆくのである。
私もまた、詩を捨て損なったにがい心をいだきながら、群集の中におし流されていきつつある。
だが、もしも船出にまにあっていたら、私は冒険家になりたかったのである。」(寺山修司)2005記載

別に「否」は「非」ではないが、経済に取り込まれずに生きていくには困難たる道がある。
悩まず生きていけるならば、それで構わない。
ただ、本人に選択権は無い。

異端で生きていけるほどの力が無い自分は、何とか社会と引っかかりを持つべく、一定の妥協をしつつ相反する世界との間を行ったり来たりする工面をする。

今年に入ってから、「先生」と話しているうちに、彼は正規分布を紙にペンで書いた。
『自らを異端とするか否か、は、属する社会の在り様だから、社会が正常か異常かを決める。そう判断するのは他者。』
そんなことは重々承知の助だが、苦労が白髪となり白衣を着た年下の彼は、自分に語った。
それを導いてしまったのは、自分の発言の片鱗に彼がアンサーしただけのこと。
「お前も、いずれ分かる」そう思いながら。

***

過去読んだ本は今夜見つからなかったが、大学時代に読んだユングに熱中していた頃、彼が提示した概念「シンクロニシティ(共時性)」に関するくだりを、もう一回確認したかった。
その後、私の脳内で脚色されたかどうかは知らないくだり。
ユングが学会で、その概念を発表すると大笑いになり、現代で言うオカルト的と揶揄される中、室内に「バーン」と拳銃を打つような音が響いた。
そのとき、一堂はシーンとなり、ユングが「今の音が今言った”それ”です」。
そのくだりを読みたかった。

***

この2014年6月、朝は4時過ぎにおとずれる夜明けと共に鳥が鳴く声に起きてしまう。
それは幸福な朝日と異なる日があるのだが、その後眠れないのが大抵である。
寝たら最後なかなか起きないことは、全く無くなってしまった。

日が沈むのは、東京では7時(19時)半ごろ。
実際は、その前に日は沈んでいるのだろうが、それくらいまでは暗くならない。
よって、この間に外で佇む日がある。
逢魔ヶ時、と呼ばれる、濃紺があたりを満たす時間が現れる時節。
昼と夜の境目。次第に忍び寄る闇の手前。

■Japan+坂本龍一 「Ghosts」(オールド・グレイ・ホイッスル・テスト 1982)■



これを以って、全ての回答とす。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする