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今日は、明るく行きたい。
なんでそのようなことを言うのかは、昨日、それなりの打撃を受けたからである。
それを語るには時間を要するので、別場所に置いておいて。。。
太宰治か寺山修司さんが言った言葉。
幸福なときには不幸を祈る、みたいな、人の心が持つ身勝手さ。
冬には、ああ暖かくならないかな、と言っておきながら、暑くなれば寒さを恋しくなる人間のわがまま。
僕には、そういう気はないつもりだが。猛暑以外は四季折々良い。
青くさい(あおくさい)という言葉は、つい否定的に使われがちだが、
何も若者の馬鹿さ加減を表現するだけの言葉ではない。
一つに、公園で接したり・育てる植物たちが発散する、彼らの香り。
もう一つは、中高生に出会ってから未だ聴いている音楽。
美しいものを形容する用語として”青くささ”はある。
チャイナ・クライシス、ロータス・イーターズ、ペイル・ファウンテンズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、フラ・リッポ・リッピ。。。等々(以下省略)たくさんある。
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その中でも、イーノとスティーリー・ダンが好きで、2人で音楽を奏で始めたチャイナ・クライシスは、少年の憂いの投影そのものの美しさ、永遠のみずみずしさをたたえている。
まるで友だちか兄弟のような気持ちで、一番シンパシーを覚えるのだが、それも嗜好が似ているからだろう。
実際、へこんだ今日は朝も夜も電車に居る中、彼らの音楽を聴いていた。
「それでも、希望」と光を見い出そうとする姿に寄り添い、一緒に音楽の中で、草原の上で寝転ぶ自分。
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チャイナ・クライシスとの寸分も無い身内感は特別だが、フラ・リッポ・リッピも近い距離感を持っている。
デビューアルバムで暗さの中に輝く何かを描いた彼らは、2枚目ではヨーロッパの秋冬の静けさを見事に音に定着させた。
そして、3枚目はそこにポップな要素をふりかけて、多くの人の心を掴んだ。
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■Fra Lippo Lippi 「Come Summer」1986■
この「カム・サマー」は、3枚目のアルバム『Songs』のA面始まりの曲。
1986年東京。。。1995年大阪。。。2014年島にて。
こんな感じだよ
境界のむこう、手の届かないところに
ボクは誰も見つけられないような所に隠れていて
シンプルな暮らしに浸っているよ
さわやかな夏が来たら、そこに居たい
太陽と海と新鮮な空気と
夏が来たら、これほどの真実は無い
天国のどこかで、月のむこうがわで
こんな感じだよ
一番高い山のてっぺんに昇って
青いカーテンの裏に、何が隠されているのか見るんだ
ボクらに与えられているものが何か、見るんだ(カム・サマー)
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