こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年6月23日 月曜日 かたちんば・夏の100曲 ~ちんさぐの花~

2014-06-23 23:28:33 | 音楽帳

今日は、取れるかどうか分からない夏季休暇の予定表とにらめっこ。
取れるかどうか不明でも、そのような行為そのものが平和なのだろう。

老い先短いと思っている、今年夏。
自分が思っているのが、果たせるかどうかは分からないが、日本の風土残る場所への旅。
自らが、その場の空気を吸って、日本を感じられる場所への旅路。

近代やアメリカやグローバリゼーションの結果もたらされた均質化してしまった「観光地化」という「魔」から逃がれた場所。

数年前、夏に既婚女性と行った場所は、東海地区のとある漁港だった。
海辺と潮の匂い。ぎんぎんギラギラの太陽の下、「とりあえず」というやる気の無い態度で、外で売られている乾物と、それを売る小屋。
歩けば、いわゆる海水浴場はあるが、人もまばらで人気(ひとけ)も無い。
近所には、すたれてしまってもはや商店街とは呼べない、しもた屋が並ぶ。
その様が心地良かった。

初めて沖縄に行ったのも、数年前。
当時無職で、50以上の企業の面接を受けても、どこにも箸にも棒にもかからず、ヘタっていた九州男児・先輩に提案した気分転換の旅だった。
異国・大阪で出会い、週の半分うちに泊まって、まさに同じ釜のメシを喰った彼とは、ほぼ2年差程度というのもあり、先輩というよりも公私共に辛酸をなめた旧知の仲。

群れを成す連中に背を向けるように、2人が選んだのは、人が居ない伊計島。
二泊三日・何をする訳でもなく、海から吹く海風に漂い、草木の生い茂った岩場を歩き、浅い海にすそをまくり上げて足を浸し、カニや魚が泳ぐ様を見たりして過ごした。

3日目・帰路の間際に行った首里城。
ここで演じられていた琉球王国の踊りとお芝居にいたく感動し、その場を去った。

3・11のパニックの際、彼が居る九州、それに北海道からの電話。
そこに悟ったのは「こんな小さい国土なのに、一緒では無いのだな」ということ。
東日本大震災・日本全土の危機と思ったが、距離があって・揺れた事実すら共有化できない人には、事態は把握できないという意味では当たり前だった。

過去、阪神淡路大震災のときに、人が生命の危機に面しているというのに、フジテレビアナウンサー・安藤優子が顔に「他人事」と書いて、キャーキャーとテレビではしゃいでいたのを思い出す。
街と人が消えていくというのに、自称ジャーナリストの様は一生忘れない。
そのような完全な悪人とは別にして、九州に居た先輩も、北海道の反応も、ごくごく普通の反応だった、と今では冷静に分かる。

おばあちゃん・お袋から聞いた話し。
B-29に追いかけられるようにして、必死に走った、当時十代のお袋さんの姿。
空で音がすると、灯りを消して、皆、黒い布をかぶって突っ伏していた。
その東京大空襲の話があってこそ、自分にはリアリティがある。

今、ガキと家族がピースで写真を撮っている浅草・隅田川のとあるポイント。
アサヒビールうんこビルに掛かる吾妻橋は、死体が積まれた状態だったこと。川面には死体が埋め尽くされていた、という話し。

■坂本龍一 「ちんさぐの花(沖縄民謡)」1989■
沖縄であった事実は、文字・写真という脳では理解しても、そこには距離がある。
可能かどうかは不明だが、肉体で感じられないならば、現地にこちらから向かうしかない、と思っている。
コメント
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