こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年7月14日 木曜日 夏のフェイバリッツ・16 高橋幸宏「フラッシュバック」'82.6

2011-07-14 06:31:20 | 音楽帳
自分が最近気付いたのが、実は自分が大好きな曲、なのに、いわゆる「ベタな曲」を、無意識に避けて通って来たこと。

昔から、自分が大事なモノと思うと、本を買っても自分がこれを開いてがっかりしたり/逆にすさまじい興奮に駆られたりしてしまうのを思うと、読まずに飾っていたり。。。読んでも少しずつ少しずつ「もったいない」と思いながら。。。
それは、レコードも同じ。。。
食べ物だって、自分が好きなものをつい最後の方まで取っておくタイプだった。。。

但し、もう人生の残り時間は少ないんだ、1秒後に死ぬかもしれないし、と思って躍起になりだした大阪時代(社会に放り出された1991~)辺りからは、好きなものを真っ先に旬なうちに頂く、というがっつきをあらわにし出したが、元々、若年寄なので、つい元に戻ってしまうことは多々。

***

そんな訳で、好きなのに自分の無意識がよけてきた曲に気付いた。
その1つが、幸宏の「フラッシュバック」。

アルバム「ボク、だいじょうぶ?(What,Me Worry?)」という1982年YENレーベル発足とともに発売されたアルバム。



このアルバムには、YMO・幸宏の大ファンであったゼイン・グリフが自ら立候補して、一緒にロンドンの録音に参加している。
ヘヴン17も同様に、YMO・幸宏の大ファンで、立候補したがアルバムには参加できなかった。

アルバム「ボク、だいじょうぶ?(What,Me Worry?)」の重要なポイントは、幸宏自身がシンセサイザーを購入し、キーボードで音楽製作をはじめた点である。
1981年までは、第4のYMOメンバーであった、富田勲の弟子=松竹秀樹さんの手を借りることで成立していたコンピューター・ミュージックがこの1982年からガラッと姿を変えて、安価で購入でき、自由に使える電子楽器が花盛りとなった。
ヤズーの登場やデペッシュ・モードの進出というのも背景には、楽器の進化というものがあった。

***

この「ボク、だいじょうぶ?(What,Me Worry?)」に収録された『回想(フラッシュバック)』という曲は、教授=坂本龍一が明星のラーメン「中華三昧」のTVCMに創った曲を幸宏が気に入り、それを発展させて歌詞を付けて曲としたもの。



今日は、この「ボク、だいじょうぶ?(What,Me Worry?)」を引っさげて名だたるすさまじいい失神しそうなプレイヤーで埋め尽くされた国内ツアーのライヴを聴いてもらいます。


■高橋幸宏 「フラッシュバック」(新宿厚生年金会館 1982年7月26日ライヴ)■

ヴォーカル・キーボード:高橋幸宏
ドラム:スティーヴ・ジャンスン
サックス:立花ハジメ
ギター:土屋昌巳
キーボード:細野晴臣

2013年10月26日記載:リンク切れしていたので、原曲を掲載し直す。

■高橋幸宏 「フラッシュバック」1982■

PS : 「明星」でフラッシュバック。
細野さんの「フィルハーモニー」は当初仮タイトルとして「明星」という邦題が付いていたのを思い出した。

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2011年7月13日 水曜日 夏のフェイバリッツ・15 G・ジョーンズ「アップル・モーニング」'82.11

2011-07-13 08:00:15 | 音楽帳


これまた、グレイス・ジョーンズのアイランド・レーベルのコンパスポイント・スタジオ録音盤。

ドラム:スライ・ダンバー
ギター:バリー・レイノルズ

プロデュースはやはりクリス・ブラックウェル&アレックス・サドキン。



グレイス・ジョーンズのアルバムの中でも、自分が高校生の頃一番よく聴いたアルバムがこの『リビング・マイ・ライフ』だった。
1982年夏は、特に。



何より新鮮だったのが、単なるレゲエと言ったカテゴライズされた分野にとどまらず、ラップ、エレクトロニック・ポップ、ファンク、ダブ、そして、レゲエといった多様な系譜を縦横無尽に自由に歩く音だったことによる。




確か彼女の「ジャマイカン・ガイ」は当時のチョコレートのCM曲に使われたと思う。



アルバムには、「ジャマイカン・ガイ」や「ニップル・トゥ・ザ・ボトル」や「限りなきひととき」といった優れた曲があり、グレイス・ジョーンズのアルバムの中でも突出した出来だった気がする。

というのも、やはり1982年という年が、音楽にとって豊穣の海だったからでもある。
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2011年7月12日 火曜日 夏のフェイバリッツ・14 スライ・ダンバー「気ままに歩いてみれば」'83.1

2011-07-12 08:01:37 | 音楽帳


これは、1983年2月の「ミュージック・マガジン」広告。
スライ&ロビーのスライ・ダンバーのソロアルバムが1983年1月25日に発売された。
今では、CDのジャケットもタイトルも異なるが、私はこのモノクロームのジャケット写真と日本タイトルのアルバム名の方が好きである。
当然、当時隆盛を極めたコンパスポイント・スタジオでの録音のアイランド・レーベルのLPレコード。



当時のクロスオーヴァーイレブンでも、このスライ・ダンバーの「メガロポリス・アイランド」からの曲がかかり、せっせとエア・チェックにいそしんだ。



このアルバムの中でも特に好きで夏になると聴くのが「気ままに歩いてみれば」という曲。
英語のタイトルは「If You Want It」らしいが、そーゆーことは今になって知ることで、自分の中では永遠に「気ままに歩いてみれば」という曲名。

ヴォコーダーで歌うヴォイスというのも(ザップという例もありますが)、若干テクノの匂いもあって好きでした。

夏に聴くにはピッタリの心地よいアルバムです。
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2011年7月11日 月曜日 高橋幸宏「震える惑星(ほし)」'91

2011-07-11 08:03:02 | 音楽帳
「夏のフェイバリッツ」から今日は離れる。

過去、何度も紹介した曲だが、1991年発表の幸宏の「A DAY IN THE NEXT LIFE」より。
2011年3月11日東日本大震災より4ヶ月目の今日、あえて、この曲を再度選ぶ。



私は、このアルバムを、大学を終え、就職し、いきなり大阪に放り出された頃、友達も知り合いも居ない地で、一人ぼっちで、このアルバムをよく聴きこんだ。

他人事ではない幸宏の持つ神経症。
末っ子で母親っ子の幸宏少年が、好きだった母親を幼い頃に亡くした経験とショックが、彼のナイーヴでナーヴァスな音楽の根源だと思っている。



その神経症体質は、多くの優れたエッジを削るような鋭い音楽を創り続けてきたが、1983年YMO散会後、鈴木慶一とテント・レーベルを創り、高野寛との出会いを経て、さまざまな迷走をはじめる。

何も座標軸を失ったのは、僕だけのことではない。

1990年に「Broadcast From Heaven(天国からの中継)」以降、この世ではない「来世」を思うようになる。
そこで、友人景山民夫と微妙に交錯し「幸福の科学」の雑誌に出る危険をもはらみながらも、彼は自分の持つ神経症と格闘しつつ、真理を探し続ける。

「Broadcast From Heaven」の後作である1991年の「A Day In The Next Life」でズバリ「来世」をタイトルにするにいたる。



ここには、1990年8月に始まった湾岸戦争を日本で僕も含めて、遠くのこととして見聞しつつ、延々と終わり無く繰り返される「戦争」なるものへの言葉にならない無常感を含めて、もともとはメッセージ性を嫌う幸宏が、この戦争までをもテーマに入れざるを得ない心境になっていた。



「母親の写真に 水備え 祈って」
「缶ビールを開けると ミサイルが (TV画面に)映って」(「Everyday Life」より)

1曲「愛はつよい(Stronger Than Iron)」は、カメリア・ダイアモンド(だったかなあ?)宝石のCM曲に起用されてはいるが、アルバム全体ポップという印象は無く、重い時代の空気と、遠き母の死と、この世の行く末を憂えるものの中で、もがくようにして、この世の外側に位置しているが現存するであろう「来世」で再び出会おう・・・、そういう意志が読み取れた。

(YMOの「浮気なぼくら」で、細野さんは「ベイビー、世界の外で会おうよ」〔『ロータス・ラヴ』より〕と言ったが)

たびたび紹介する「震える惑星(ほし)」は、常にカバー曲を1曲入れる幸宏が1曲目に、ニール・ヤングの「Only love Can Break Your Heart」のアコースティックなカバーに始まった、その次の曲となっている。
ここでは、ギタリストとして布袋寅泰を起用し、エイドリアン・ブリュー的な超越した1つのチューンが鳴らされる。

「震える惑星(ほし)」は湾岸戦争を発火点とした曲だが、2011年3月11日東日本大震災後に聴くと、改めて異なる響きを持って迫ってくる。



百億の 想いを抱いて 闇の彼方へ 消えればよかった
僕は誰? 削がれた耳で まだ君の嘘 聞こうとしてる

傷ついてから 愛された・・・
震える惑星(ほし)の 上に立ち

声にはならないけれど 僕達は叫んでる

一筋の 光が見えて つらい夢から 今目覚めたんだ
君は誰? 天使じゃないのに 血の滲む骨に 頬擦りしてる

壊れかけてる 惑星(ほし)に住んで 壊れかけてた 君と僕
優しく ずっと君が みつめててくれるなら
優しく ずっと君が 微笑んでいるはずさ
声にはならないけど 僕達は 叫ぶ・・・・

作詞:森 雪之丞
作曲:高橋幸宏
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2011年7月10日 日曜日 夏のフェイバリッツ・13 Tracie Young「 I Love You When You Sleep」'84

2011-07-10 14:46:10 | 音楽帳
昨夜早くから、疲れて、電気も点けっぱなしで寝てしまった。
寝る中で、何度か有感地震を体験する。
そのたび「やばいかな?」と思いながら、今日も昼まで寝てしまう。
すっかり度胸も据わったのか?

起きたら、気象庁のホームページに行って見る。
この地震の量は、またいっとき収まった活動が活性化し始めた感は否めない。

07月10日13時22分 10日13時18分頃 茨城県沖 M4.5 震度2
07月10日12時48分 10日12時44分頃 三陸沖 M4.6 震度1
07月10日12時31分 10日12時27分頃 茨城県沖 M3.3 震度1
07月10日11時26分 10日11時22分頃 宮城県沖 M3.7 震度1
07月10日10時10分 10日10時04分頃 三陸沖 M5.0 震度1
07月10日10時07分 10日09時57分頃 三陸沖 M7.1 震度4
07月10日10時02分 10日09時57分頃 三陸沖 M7.1 震度4
07月10日07時48分 10日07時44分頃 青森県東方沖 M3.3 震度1
07月10日06時03分 10日05時58分頃 静岡県中部 M3.9 震度2
07月10日05時09分 10日05時04分頃 宮城県沖 M4.3 震度1
07月10日02時25分 10日02時20分頃 宮城県沖 M3.9 震度1
07月10日02時06分 10日02時02分頃 福島県浜通り M3.1 震度1
07月10日00時15分 10日00時11分頃 茨城県沖 M4.2 震度1
07月09日22時45分  9日22時41分頃 宮城県沖 M4.1 震度3

やはり、神なんか居ない。
これだけのことが起きても、東北の人々を憂鬱にさせる地震が、4ヶ月経とうとする「あの日」から終わっていないのだから。

***

起きては、すがりつくようにして音楽を聴く。
外は炎天下。
ギラギラの光、そして、雲1つない青空。



かつても紹介したが、ポール・ウェラーが創ったレスポンド・レーベルの紅一点、トレイシー・ヤングを聴く。
CD「Far From The Hurting Kind」を持っているが、このゴミ屋敷で、またもや遭難中。



彼女のフル・アルバムは唯一このアルバムのみ。
しかし、素晴らしいみずみずしいアルバムで、忘れたくはない1枚。

上記の写真は、その後手に入れた7インチのシングル。
貴重な、大事な1枚。
プロデューサーは、ポール・ウェラー&ブライアン・ロブソン。
こういう忘れてはいけない・ささいな日常の感情を歌にする音楽が売れない世界と言うのは、自分には理解しがたい。

アルバムA面1曲目の「(I Love You)When You Sleep」という曲。
「あなたが眠っている姿が好き。」



この曲は確かエルビス・コステロの作品。
コステロの歌うヴァージョンも知っているが、やっぱりトレイシー・ヤングが歌うこの静けさのある方が断然良い。



原曲そのものではないが、YOUTUBEにライブがあったのでアップする。



元はといえば、1984年の夏に、このアルバムをNHK-FMの19:20~20:00「サウンド・オブ・ポップス」<イギリスの個性派アーティストたち>というシリーズでエア・チェックしたテープで聴いていた。



この放送を収めたカセットには、FMfanの丘の上の家のショットをインデックス・カードに選んだ。



このアルバムは、名曲揃い。
「ひとりぼっちの夏」「スプリング・サマー・オータム」・・・



まさに、ひとりぼっちの夏だった当時も今も、自分の心にはこのアルバムは、ずしんと響く。
涼しげでありながら寂しげなトレイシーの歌声が響く。
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2011年7月9日 土曜日 夏のフェイバリッツ・12 大貫妙子&坂本龍一「色彩都市」'82.9

2011-07-09 12:02:16 | 音楽帳
これまた1982年の作品。
9月21日にいわゆるユーロピアン三部作の最終作品として発売されたアルバム「クリシェ」。



このアルバムは、それまでと同じように坂本龍一が彼女の才能に惹かれながら渾身の力で協力というより共作のアルバム制作を行ったもの。

まさに一生聴き続けても磨り減らないシングル「黒のクレール」という名曲で始まるこのアルバム。
この曲以外でも、ずーっと夏という季節を向かえるたびに、ボクが必ず聴き続ける曲が「色彩都市」である。



夏を想わせるゆったりしたレゲエ的な南洋のテンポのリズムに乗って、土着的でありながらコロコロしたイイ~感じのドラムが絡む。
実は、このイイ~感じのドラムは坂本龍一のもの。

このドラム、そしてメロディ、EPOのバッキングコーラス、教授のきらめくピアノの音、そして歌詞の美しさに感情を揺さぶられ、夏の広い青空が暑くとも、空を、風景を永遠の気持ちに変えさせてくれる魔法の曲。



「坂本龍一のサウンドストリート」にター坊(大貫妙子さん)がゲストに出た回にも、2人とも「もうこんなカンペキな曲は出来ないんじゃないか」と語った。

大貫妙子さん「(悲しそうな言い方で)全部、良く出来た曲は、みんな坂本さんのドラムのものばっかり・・・(笑)」。

大貫妙子の音楽の才能の高さには、坂本龍一は「当時、ユーミンなんかよりター坊の音楽の方に素晴らしい才能を感じた」と語っている。

当時の2人は、かつて付き合った恋人同士だった時期を越えても、お互いが磁石のように離れることの出来ない才能を認め合う存在だった。



時折、この曲を聴くと余りにも、透き通った大貫さんの歌声と曲の完成度の高さに、ロキシーの『AVALON』に似た「この曲から離れることが出来ない」いとおしさで自分の中が充満してしまう。

■大貫妙子&坂本龍一「色彩都市」■


ひまを もて遊ばしてる あなた
レースの パラソル そっと閉じて

頬に ふりそそぐ十二色の
外は 光と風のハーモニー

遊びながら きれいになるのよ
私だけの秘密・・・・

はじめてみつけた 宝ものは
少年みたいな あなたのこと


恋の 道草は もうやめましょう
帰る 想いは たったひとつ

聞いて 魔法使いの竪琴
ふたり 奏でる 愛のシンフォニー

歌いながら きれいになるのよ
わたしだけの秘密・・・


優しく あなたに つつまれたら
少女の わたしと 出会いました

いつでも 心は 雨のち晴れ
はつらつ 便りを 待っています
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2011年7月8日 金曜日 夏のフェイバリッツ・11 「If You Want Me To Stay 」を巡って '81

2011-07-08 22:55:56 | 坂本龍一のサウンドストリート
先週金曜日、7月1日順天堂で神経ブロック注射をされて、びっこを引きずりながら、ふらふらと御茶ノ水から駿河台をくだり、神保町へ・・・。

「某」レコード・ショップのエサ箱をあさっていたら、スライ&ザ・ファミリーストーンのレコードがかかり「おおおっ」と思いながら、エサ箱をあさり続けた。

スライのLPレコードを通しで聴くというのは初めてだったが「坂本龍一のサウンドストリート」の1981年6月16日に教授がかけた「ランニング・アウェイ」「イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ」含めてかかり、心地良いレコード屋さんで過ごす貴重な時間。

店員さんとこのアルバムについて短時間語った後に、帰って調べると「イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ」は「フレッシュ」というアルバムに収まっていて、今日聴いたアルバムはそれなんだなとわかるが、ジャケット・デザインが余りにかっこ悪いので、音だけ聴きたい。


【アルバム「フレッシュ」】

教授のサンストのお陰で知ったこのスライだが、影響を受けた人は多い。
自分が夜の暗がりで、闇に光沢感を持って輝くベースとこの1981年6月16日に聴いた曲の記憶があるので、つい夏の夜とスライを結びつけてしまう。



■スライの「If You Want Me To Stay」1973■


なんで、1973年の「イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ」が、テクノ全盛の1981年にかかったか?には背景があった。



この1981年のニュー・ロマンティクス・ムーヴメントの裏の首謀者、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロとエンジニアのラスティ・イーガン(スティーヴ・ストレンジの「ヴィサージ」というユニットの音は、実際はほとんどこの2人が創っていた)がプロデュースしたロニーという男装した女性の麗人が「イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ」をカバーしていたことによる。

この12インチ・シングルは自分も持っているが、当時ほんの少しの時期だけ話題になった。

■ロニーの「If You Want Me To Stay」1981■


***

1982年5月に「YENレーベル」設立と新譜「フィルハーモニー」を引っさげて、「坂本龍一のサウンドストリート」に立花ハジメと共に出た細野さん。



この放送の中で、「LDK(リビング・ダイニング・キッチン)」という黒人音楽の影響の強いカッコイイ曲がかかったが、実はこの原曲は70年代にはすでに出来上がっていたそうである。
ただ、当時出来上がった曲は「もろスライ&ザ・ファミリー・ストーンの影響があり過ぎて」「恥ずかしかったので」オクラ入りとなっていた曲だという。

1981年「テクノデリック」でグイノリのファンク・ベースを弾いていた細野さんのベースのカッチョ良さを思い出す。

「フィルハーモニー」では、その原曲にさまざまな着色をして、テクノ色の強い曲に再度創り直している。

せっかくなので、このカッチョ良い細野さんの「LDK(リビング・ダイニング・キッチン)」もかける。

■細野晴臣「LDK(リビング・ダイニング・キッチン)1982■
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2011年7月7日 木曜日 夜 ボブ・ディラン『ライク・ア・ローリングストーン』’65

2011-07-07 23:02:02 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
織姫と彦星が天の川で1年に一度だけの逢瀬をする夜。

矢野顕子さんの「ごはんができたよ。」という懐かしい曲のことを思い出す。
アッコちゃんにしか作れない曲。



そこで、幸せな人にも不幸な人にも、どんな人の上にも、同じように・同等に・夜は降るというというような歌詞があったと思う。
どんな坂を転がる石の状況でも、それでも、そんな一筋の希望。

「・・・八百屋のみいちゃんにも お医者さんちのあっこちゃんにも
静かに夜は来る みんなの上に来る

甘ったれのふうちゃんにも 鼻ったれのかずちゃんにも
静かに夜は来る みんなの上に来る」

「・・・義なるものの上にも 不義なる者の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る

いい人の上にも 悪い人の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る」(「ごはんができたよ」By矢野顕子)

***

「Like a Rolling Stone(転がる石のように)」 作詞・作曲・歌:ボブ・ディラン


『Once upon a time you dressed so fine
You threw the bums a dime in your prime, didn't you?
People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall"
You thought they were all kiddin' you
You used to laugh about
Everybody that was hangin' out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal.
How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
You've gone to the finest school all right, Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
And nobody has ever taught you how to like on the street
And now you find gonna have to get used to it
You said you'd never compromise
With the mystery tramp, but now you realize
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And ask him do you want to make a deal?
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
You never turned around to see the frowns on the jugglers
and the clowns
When they all did tricks for you
You never understood that it ain't no good
You shouldn't let other people get your kicks for you
You used to ride on the chrome horse with your diplomat
Who carried on his shoulder a Siamese cat
Ain't it hard when you discover that
He really wasn't where is't at
After he took from you everything he could steal.
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
Princess on the steeple and all the pretty people
They're drinkin' thinkin' that they got it made
Exchanging all kinds of precious gifts
But you'd better lift your diamond ring, you'd better
pawn it babe
You used to be so amused
At Napoleon in rags and the language that he used.
Go to him now, he calls you, you can't refuse
When you got nothing, you got nothing to lose
You're invisible now, you got not secrets to conceal.
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?』



『昔、君は奇麗な服を着て、良いときは乞食にコインを投げただろう。
人が「気をつけろ、落ちるよ」と言っても、冗談だと思っただろう。
前は笑っていた・・・・ブラブラしている人を。

今はそんなに声をあげない。
今はそんなにプライドも高そうでない。
次の食事をかき集めるときにはね。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

家がなくて、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。



一番良い学校にいったね、淋しいお嬢さん。
そこでは甘やかされただけだった。
路地で生きるためのすべは教えてもらえなかった。
だけど今は、これに慣れないといけないことに気づいたね。

謎のトラップには妥協はしないと言ってた。
だけど今は気づいたろ。
アリバイを売ってはくれない彼の空虚な目を見つめながら。
取引をしようと言いながら。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

ひとりぼっちで家路もなく、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。


ジャグラーとピエロ達のしかめ面を見るために振り返ったことはなかっただろう。
皆降りてきて君のために手品をしてくれたとき、それがダメだとは分からなかっただろう。

他人に楽しさを任せてはいけないこと。
前は君の外交官とクロムの馬に乗っただろう。
彼の肩にはシャム猫を乗せて。
彼がいたのは違う場所と分かったときは大変だっただろう。
彼は、盗めるものはすべて持っていったね。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

ひとりぼっちで家路もなく、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。


先塔の上のプリンセスと奇麗な人たち。
彼らは飲んで、すべて大丈夫だと思っている。
貴重なプレゼントを受け渡し。

だけど今はダイアモンドの指輪を質屋に持っていった方がいいね。
昔は笑っていたのに、おんぼろ服のナポレオンと彼の言葉に。
彼のところに行ってこい、彼が呼んでる、断れないだろう。
何もないときは、何も失えないのさ。
君は透明なんだ、隠す秘密もないのさ。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

ひとりぼっちで家路もなく、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。

(和訳:「JETS」より引用)
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2011年7月7日 木曜日 夏のフェイバリッツ・10 アンテナ「カミノ・デル・ソル」'84.5

2011-07-07 07:50:04 | 音楽帳
幼い頃から土曜日の夜というのはワクワクしたものだが、それも中心となる核と周辺を配置された世界あってのものだった。
まだ、それは「紅白歌合戦」だの何だの・・・批判しながらも、相対するものが成立しえた時代のことであった。

しかし、その後、この世界は、予定外・予想外の動きをする。
まるで東京電力様の福島原子力発電機1号機~6号機と同じで。

資本主義の頭に「超」が付くほどに加速化をしてしまい、その暴走装置を止められなくなり、街の再開発、土地転がし、地域社会の崩壊、核家族化の末に、暴走機関車が速度を極限まで上げた。
そして、1989年に「バブル崩壊」という目に見える形で大破する。

その後は、ひたすら下落を20年以上続ける自殺者大国となった。
すべての民が浮遊する難民と化した2011年。



80年代初頭以降、カルチャー(枠組み)を東京のサブカルチャーが揶揄し、相対する文化を形成し、崩壊させていく戦いの頃は、私の幸福時代だったのかもしれない。

世界の文化が、東京を中心にして回っていたのだから。

まさに快感そのものだったが、そういう元気も1987年以降ずるずると自分の崩壊とともに、ボーダーレスをとうに超えて、全部が分解され、個・個・個・個・・・・がどう繋がったり/切れたり・・・所詮はその程度のことを20数年繰り返してきただけだ。

***

1982年6月に土曜日の夜中3時に始まったFM東京の「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)は、途中でアッコちゃんが居なくなってピーター独りのDJとなり、さらにスポンサーまで降りてしまい、そういう末に最終回を迎えた。

確か、最後の曲はアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー(Lets Stay Together)」だったような気がする。



そして、「スタジオテクノポリス27」が終わり、続いた番組が「FMトランスミッション/バリケード(スポンサー:JUN MEN)」だった。

その境目を忘れてしまったが、第一回目の(1)立花ハジメの「テッキー君とキップルちゃん」に入っている機械音で出来たテーマ曲「バリケードのテーマ」~(2)アート・オブ・ノイズ「モーメンツ・イン・ラヴ」~(3)YESの「Leave it」のトレヴァーホーンがMIXした12インチの「ハロー・グッバイ・ミックス」ヴァージョンの流れを聴いて、言葉にある『イスから転げ落ちる』をまでも通り越して「このテクノの変遷の果てはどんな未来に繋がっていくのだろう」という驚愕と恐怖と「それでも乗りかかった船だから降りるわけにはいかない」思いを抱いて、動揺していた記憶がある。



***

結果、なかなか夜中3時だから、そこまで起きているのは難しかったが、このめったには聴けない最先端のニュー・ウエイヴの輸入盤を淡々と語りも無く紹介する「FMトランスミッション/バリケード」を録音し聴いた。

録音したカセットテープはかなり消してしまったが、今残るうちの1つがコレ。



書いてある紙から、A面は1984年5月26日に録音、B面は1985年4月に録音とわかる。



このカセットテープは、よく高校生の夏には聴いた。
すでに聴いて知っている曲も混じってはいたが、1つの流れを成しており、それは貴重なテープだった。



***



そんなわけで、ボブ彦のように「そんな曲は歌えねえんだよ!」と激怒するばかりではない面も必要かと。。。。

アンテナの「カミノ・デル・ソル」を紹介する。
日和っているようにも思われるだろうが、それは今の時代にアンテナに対して言えることで、当時はそういう穢れた存在では無かった。
いとおしい音楽だった。

■Camino Del Sol■

夏の木漏れ日が満たす、このイラストのジャケットの美しさは、今でも愛している。

アンテナは、クレプスキュール・レーベルから出てきた女性3人のユニットで、最初の12インチをジョン・フォックス(ウルトラヴォックス)がプロデュースするなど、完璧なニュー・ウェイヴそのものだったが。。。。



どういう訳か、80年代後半になると、イザベル・アンテナという1人となり、女子大生やオシャレ好き系の不愉快な連中が集うカフェ・バーでかかる音楽に成り果てた。
まあ、そういう段階で、当然自分は見捨てたのではあるが。。。。

この初期のアンテナは素朴で新鮮だった。
当時の新星堂が(エライ)このクレプスキュール・レーベルの入手しづらい12インチ等を採算度外視で輸入販売していた。
アンテナ、ドゥルティ・コラム、ペイル・ファウンテンズ、ミカド、ポール・ヘイグ・・・・み~んな新星堂のお陰だった。

ただし、それは今の新星堂とは違う。
まあ、もう少しで新星堂もタワーレコードもつぶれるか撤退を余儀なくされるだろうが。
残るのは、JANISや神保町のタクトみたいな筋金が通った店くらいになるはずだ。
ほとんどのCDショップは、確実に潰れる。
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2011年7月6日 水曜日 深夜 『生き地獄』を生きる

2011-07-07 00:21:16 | 雑記帳
22:26なんとか電車に乗り込む。
自分の能力不足に落ち込みつつ。

リモートで、下書き済みだった記事をアップする。

この落ち込みの源泉は、鬼畜父の血で、兄同様、DNAに刻まれた気の弱さにたどり着く。

かつて素浪人時代ノイローゼの果て、分裂病の症状と自殺未遂と行方不明の手前側で、既に結婚し実家を離れていた兄に最後の挨拶に行った際、つい全部吐露してしまった。



その時、兄が言った言葉を今でも覚えている。

『人生、負けが込んで来たら、とことん底まで落ちていく』

つまり、なんとか『凌げ』『かわせ』『死守しろ』ということを説得された。

最後に『お前が、明日何処に行こうと止めない。ただ、お前が望むような世界は既にもう無いんだよ』

そう言われた。

大好きな、みうらじゅんの名作映画『アイデン&ティティ』のラストソングにもなっている、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリングストーン」【転がる石のように】を連想する。



あの曲は、ボブ・ディランだから歌えたメッセージ。
それは、無頼派の、作家で言えば色川武大さんのように骨太な心身を持ち合わせた人の曲。

兄は(出雲の寺の息子の田舎者ゆえ)当時エリート絶対主義者だった鬼畜父との壮絶なる闘いを、アクロバットに「東大なんて屁みたいなもの」という証明と父を超えるべく道を歩き、実際超えて行った筋金入りの無頼派。

そんな逞しい兄に『凌げ』『かわせ』『死守しろ』といわれても、ひ弱な心身の自分には真似は出来っこ無いじゃないか…
そういう絶望があった。

性根と血においては、兄と私は同じだったが、既にその素浪人のハタチの時点で、2人の間には天と地くらい生きた道に埋めようの無い乖離が、がっしり事実として現存した。

その事実を踏まえつつ、彼の後ろ姿を追う事の無い『我が道』を歩かねばならないという意識を再度新たにしたが、何もかもが悪い方向に転がり、空転する闘いを相当した。

武の道・右翼・やくざな接触も含め、様々な壁に何度も何度もぶつかりながら、こぶしがぶつかり潰れるにつれ亀の甲羅のように固くなるように、多少の自己鍛練は積んだものの、胎内の奥底には未だ鬱を抱えた気が弱い小人が住まう。

その小人がたびたび、顔を出す。

1986年末から1987年頭にかけて、居なくなった兄の部屋の膨大な量の本棚から、精神学者小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』という本を盗み読んだ。

小此木さんは、文中で『カイロ 紫のバラ』という外国の映画を引用した。

この映画は、一見して楽しい映画だったが、実に切ない映画だった。
おぼろげな記憶だけで語る。

実生活で困難な状況にあった女性が映画館の暗がりでやっと安堵し、映画を一人食い入るように見るうち、スクリーンの中に入ってしまい、男性と楽しい時間を過ごす。
最後のシーンでは、元の世界に戻らざるを得ず、眼をうるませながら映画のエンドロールを見るところで終わる。



この映画を小此木さんはモラトリアムを語る一つのテキストとしていた。

このテーマは、ロキシーの『AVALON』、その後のブライアン・フェリーの音楽とも重なる。

かつて、イジメで自殺した子が残した遺書にあった『このままでは、生き地獄になってしまう』という言葉が、ずっと脳裏に焼き付いている。

高倉健さんが、中学か高校で公演会をした際に言った言葉もよぎる。
『皆さんのような歳とは違って、こんな歳になると「良い事」に出会うなど本当に少ない。
「良い事」より圧倒的に「悪い事」ばかり。
だけど、たまに「良い事」がある。
それがあるから、僕はなんとか生きている。』



今の自分もそのようなおももちで生きている。
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