今日は、実は仕事場に行っていない。
周囲の勧めもあり、1日かけて病院へ。
左側の首から鎖骨・肩にかけて、単なるコリを通り越して、痛みに変わっていたこの数ヶ月。
盛んにストレッチやマッサージをするが、それも5分と持たず。
首は左に回らないし、回すと激痛が走るのを我慢してきた。
ということで、元々別で肝機能障害&抑鬱で予約していた順天堂病院に、朝から1日様々な科を回って過ごした。
→ペインクリニック科→診察→前回帯状疱疹でお世話になった若い先生と話す
→再度、神経ブロック注射を決断→今日は、ノドから十数センチの針を刺し、神経ブロック。
さすがに、背骨に激痛が走り、涙をこらえる。
→続いて、胸郭出口で血管が止まっている可能性あり整形外科に回される
→頭部・肩・頸のレントゲン→診察→胸郭出口症候群の可能性は低いという
→昼食を挟み→肝機能障害&抑鬱診察→会計→薬をもらうと17:00.
仕事場に電話して、休む事にした。
***
こんな日。
来週月曜日には、いずれは来るとはわかっていながら恐れていた7月4日が来る。
三島由紀夫さんが自決した45歳になってしまう。
金曜日の晩ということで、嫌な「この世」を離れるためにロキシー・ミュージックのラスト・アルバムかつ最高傑作となった「アヴァロン」(=桃源郷)を聴く。
ロキシーで唯一、女性が出てこないジャケット。
遠くを見やると、そこには、もう手が届く距離に、永遠の地がある。。。。
1982年6月。
初めて耳にしたのは「渋谷陽一のサウンドストリート」での特集。
そこから29年目。
色あせることのない永遠が続く。
永遠に。
こないだ兄と話したが、この「アヴァロン」というアルバムはブライアン・フェリーのものでも、アンディ・マッケイ、フィル・マンザネラ、ライヴでボコボコに下手くそだったドラムのアンディ・ニューマークのものでもなく、ロキシー・ミュージックのものでもない。
ある意味、ボブ・クリアマウンテンと関わったエンジニアたちとロキシー・ミュージックが融合して科学反応を起こした「奇跡」。
誰のモノと言う所有・所属を離れた孤高の位置に、永遠の音楽として行ってしまっているという事実。
「言語」=概念を必要としない、カンペキに昇華された「音楽」。
「これ以上の、これを超えるモノはない。全て無い。」と永遠を歌う「モア・ザン・ディス」で、『アヴァロン』は始まる。
■MORE THAN THIS■
「ミュージック・マガジン」1982年7月号で、ムーンライダーズの鈴木博文さんは、こう切り出す。
『これは、魔術に違いない。
どの音も、溶け合って、大きなうねりを造っている。』
***
この、『アヴァロン』はトータル・コンセプト・アルバムを完遂し、全ての曲が素晴らしい。
そして、A面、B面それぞれ各5曲の配置も、極めて自然な流れの魔術の中、カンペキになっている。
■AVALON■
私がめげる時によく聴く、B面の最後の盛り上がりに位置する「トゥルー・トゥ・ライフ」という曲。
鈴木博文さんは、こう語る。
『・・・「トゥルー・トゥ・ライフ」のマンザネラのギターなど、朝、明るくなるのが早いきょうこの頃の、午前4時ぐらいに、聴こうものなら、もう、明日なんか無くてもいいなんて思ってしまうだろう。
・・・今日(こんにち)のニュー・ウェイヴが暗がりから抜け出たのとは、また少し違うロマンティックな薄ら明かりを発光して、ロキシーは、素敵にうねっている。』
■TRUE TO LIFE■
この『アヴァロン』というアルバムに、どれだけの人が29年の人生の場面場面で癒されてきたことだろう。
たぶん、このアルバムだけは、私ごとき一介の凡人が死のうと、ロキシー・ミュージックの3人が死のうと、関係者が死のうと、人類が亡くなるまでの間、キズや妨害や批判を受けることもなく、永遠に輝き続けるのだろう。
そういう確信が、音に満ち溢れている。
周囲の勧めもあり、1日かけて病院へ。
左側の首から鎖骨・肩にかけて、単なるコリを通り越して、痛みに変わっていたこの数ヶ月。
盛んにストレッチやマッサージをするが、それも5分と持たず。
首は左に回らないし、回すと激痛が走るのを我慢してきた。
ということで、元々別で肝機能障害&抑鬱で予約していた順天堂病院に、朝から1日様々な科を回って過ごした。
→ペインクリニック科→診察→前回帯状疱疹でお世話になった若い先生と話す
→再度、神経ブロック注射を決断→今日は、ノドから十数センチの針を刺し、神経ブロック。
さすがに、背骨に激痛が走り、涙をこらえる。
→続いて、胸郭出口で血管が止まっている可能性あり整形外科に回される
→頭部・肩・頸のレントゲン→診察→胸郭出口症候群の可能性は低いという
→昼食を挟み→肝機能障害&抑鬱診察→会計→薬をもらうと17:00.
仕事場に電話して、休む事にした。
***
こんな日。
来週月曜日には、いずれは来るとはわかっていながら恐れていた7月4日が来る。
三島由紀夫さんが自決した45歳になってしまう。
金曜日の晩ということで、嫌な「この世」を離れるためにロキシー・ミュージックのラスト・アルバムかつ最高傑作となった「アヴァロン」(=桃源郷)を聴く。
ロキシーで唯一、女性が出てこないジャケット。
遠くを見やると、そこには、もう手が届く距離に、永遠の地がある。。。。
1982年6月。
初めて耳にしたのは「渋谷陽一のサウンドストリート」での特集。
そこから29年目。
色あせることのない永遠が続く。
永遠に。
こないだ兄と話したが、この「アヴァロン」というアルバムはブライアン・フェリーのものでも、アンディ・マッケイ、フィル・マンザネラ、ライヴでボコボコに下手くそだったドラムのアンディ・ニューマークのものでもなく、ロキシー・ミュージックのものでもない。
ある意味、ボブ・クリアマウンテンと関わったエンジニアたちとロキシー・ミュージックが融合して科学反応を起こした「奇跡」。
誰のモノと言う所有・所属を離れた孤高の位置に、永遠の音楽として行ってしまっているという事実。
「言語」=概念を必要としない、カンペキに昇華された「音楽」。
「これ以上の、これを超えるモノはない。全て無い。」と永遠を歌う「モア・ザン・ディス」で、『アヴァロン』は始まる。
■MORE THAN THIS■
「ミュージック・マガジン」1982年7月号で、ムーンライダーズの鈴木博文さんは、こう切り出す。
『これは、魔術に違いない。
どの音も、溶け合って、大きなうねりを造っている。』
***
この、『アヴァロン』はトータル・コンセプト・アルバムを完遂し、全ての曲が素晴らしい。
そして、A面、B面それぞれ各5曲の配置も、極めて自然な流れの魔術の中、カンペキになっている。
■AVALON■
私がめげる時によく聴く、B面の最後の盛り上がりに位置する「トゥルー・トゥ・ライフ」という曲。
鈴木博文さんは、こう語る。
『・・・「トゥルー・トゥ・ライフ」のマンザネラのギターなど、朝、明るくなるのが早いきょうこの頃の、午前4時ぐらいに、聴こうものなら、もう、明日なんか無くてもいいなんて思ってしまうだろう。
・・・今日(こんにち)のニュー・ウェイヴが暗がりから抜け出たのとは、また少し違うロマンティックな薄ら明かりを発光して、ロキシーは、素敵にうねっている。』
■TRUE TO LIFE■
この『アヴァロン』というアルバムに、どれだけの人が29年の人生の場面場面で癒されてきたことだろう。
たぶん、このアルバムだけは、私ごとき一介の凡人が死のうと、ロキシー・ミュージックの3人が死のうと、関係者が死のうと、人類が亡くなるまでの間、キズや妨害や批判を受けることもなく、永遠に輝き続けるのだろう。
そういう確信が、音に満ち溢れている。