21:25帰宅。
午後から夜にかけて、カミナリを伴った豪雨が降る可能性がある。
そう朝のラジオのお天気お姉さんは言っていたが、一日さほどの雨ではなかった。
帰り道で買ったお刺身を、冷蔵庫に入れて冷やす。
「梅雨はもうすぐでしょうか?」と言ったら、その日には梅雨に入っていた。
入っていた、と言っても、それを判断したのは気象庁で、自分ではないが。
湿度は高く、帰った室内はじめじめしているので、窓を開け放った。
「なんで近隣の家族者たちが騒ぐ中、遠慮しすぎて、じぶんだけが悪しきカタチの、クワイエットライフを過ごさねばならないんだ」と、当たり前のことに気付いた最近。
昨日は、トーキングヘッズ等を(最低限の配慮をした)音量で鳴らしながら、特に大好きなエイドリアン・ブリューのギターが鳴る曲を、繰り返し繰り返し聴く。
「パオンパオン」と鳴るギターに、騒ぐ者が静まりかえる。
3・11後の「荒川強啓デイキャッチ」(TBSラジオ)に出演された近藤勝重さんが語ったお話しが思い出された。
近藤勝重さんの所属や仕事内容やどうのこうのとは関係なく、自分は近藤さんの語り口と声が大好きである。
(自分はコピペ=万全主義者ではないので、違うかもしれないが)ガンでホスピスに入った奥さんを取材した際に、自宅で送った最後の暮らしで、晴れた日に、他者を気にせずに外に洗濯物を干した時の空気・空・窓から見えた風景に、生きて暮らす喜びを感じたというお話し。
テーマは『幸福とは何か?』だった。
***
帰って、お皿を洗う。冷たくて気持ち良い冷水で。
最近は、ガスを使った熱い温度のお湯で炊事をしない。
先日、長いこと使っていたテフロン加工(だった)フライパン2つを、燃やせないゴミの日に旅立たせた。
過去はテフロン加工だっただろうが、油を引いて熱くしても、くっついて仕方が無い様だった。
かつて、この東向島に引越のお祝いに来たお袋と義姉が、1991-1996IN大阪で使っていたフライパンを持って帰って、まだ使っている事を笑った。
お袋「フライパンをこんなになってまで使う人はいないよ。いい加減買いなさい。」
近くで義姉がくすくす笑う。
「そんなにヘンなことかいな?」と自分は思った。
【8・9歳の頃描いた「おしゃべりゆわかし」。今まで描いた中でも、あくまで個人的に特に好きな絵。】
季節が温度上昇する時期だからもあるが、お湯も油も使わない(使えない)制限令は、むしろ心地良い。
お米一合を水にひたす。
昨日5kgのお米を買ったが、最近は北海道の「きらら」というお米が好きで定番となっている。
今夜気付いたのだが、無洗米と思って洗わずに食べていたものが、無洗米では無かったことに気付く。
そんな具合で、すっかりボケまくっているのだが、何度か水でゆすいでいるから、別段美味しさに変わりはないのだ。
大したことじゃあない。
***
トランクス一枚になって、うちわであおぎながら、蓄積部屋に行って、カセットの渦をがさがさするが、目的の物にたどり着かないので諦める。
CDの渦の棚から、幸宏のCD「遥かなる想い」を拾い上げて戻る。
CDを聴きながら缶ビールのプルを開けて呑み出し、チラシをファイリングする。
どれだけファイルしても、死んだら引き取り手も無くゴミと化す、としても、ついファイリングしてしまう。
お芝居のチラシ、それに、近所の電気屋さんがポストインする手作りチラシが可愛くてファイルに入れる。
お米が水にひたるのを待ちながら。
俳優の林隆三さんが亡くなった。まだ70歳という早さ。
わたしは熱心な林さんのファンだったわけではないが、ドラマなどを通じて、いつもそこに居てくれる「居てくれて当たり前」の定番役者さんだった。
昨年暮れからひたすら、若いときには思いもしなかった「居てくれて当たり前」の人が、まるで神隠しのように、目の前から消えていく。
わたしの中での沈黙が続く。
林隆三さん=俳優、という意識の一方で、わたしが一番愛していたのは、魂が死にかけていた浪人時代の夜・FM放送のナレーションだった。
十代が終わろうとしていた頃だった。ハタチになろうがなるまいが「もう終わりだ・限界だ。死んだほうが楽だ。」という状態だった。
夜の闇が我が身を覆ってくる幻覚にじりじりと冷や汗をかきながら、眠ることも出来ずに、自室の周囲が迫ってくる中、ラジオから聴こえてくる音にしがみついて、必死に現実否定と夢への滑り込ませをしようとしていた。
FM東京の23時頃、15分番組のナレーションを林隆三さんがしていた。
林さんは、いざ顔無きラジオに出てみれば、こんな良い声のナレーションはないという具合で、同時期に奥田瑛二さん(オートラマ・サウンド・イン・ライフ)も居たが、よく番組を聴き込んでいた。その中に入りこんだ。
自分が録音して未だ保存してあるテープは1本のみだが、そこでは高橋幸宏の新譜「Once A Fool・・・」を巡りつつ、このアルバムに収録された『昆虫記』(詞:吉田美奈子さん・曲:細野さん)のイメージスケッチ。
そのカセットテープを、今夜探して見つからなかったんだ。
YMO含めて、幸宏の曲をバックに、夜の人気のない道で出会い・横に乗り・車で走る、そんな情景描写を男女の語りと共に芝居仕立てにしていた。
夜のハイウェイを疾走する場面。YMOの「階段(Stairs)」。
教授のうねるピアノフレーズが繰り返される。その上に、病的な幸宏の加工されたヴォイスが乗る。
VIDEO
■YMO 「階段(Stairs)」1981■ YMOマニアの砂原良徳さんが一番好きな曲として挙げた一曲。
女「どこ。。。に向かっているの?」
男(林隆三)「もう1つの夜に。」
行くあての無い道の果てで辿り着いた暗闇。
そこは、虫の音が、あたり一面を満たしている。
夏のなごりを残しながら、秋めいていた夜の虫たちのざわめきが聴こえる。
女は、誰も居ないその場所で、ジッポのライターに火をともす。
男は、その明かりが彼女の瞳を浮かび上がらせる様を見つめている。
「カチャン」とライターを閉じる。
その音と共に、虫の音が止まる。
男(独白)「暗くて、キミの顔も見えない。」
女「まーた、真っ暗。
ねぇ。。。
もう1つの夜、って、ここなんじゃない?」
VIDEO
■高橋幸宏 「昆虫記」1985■
あの蒼き刻に、ヘッドフォン内で聞こえていた渋い林さんの声。
いつもは、秋口になると聴くこの曲を、想い出も込めて、今夜に贈る。
亡き魂に合掌す。