国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

中高生のための内田樹(さま) その25

2018-11-26 14:36:04 | 中高生のための内田樹(さま)
次の文章を読んで後の問いに答えなさい。(占い付き)

「いじめ」は「供犠」という儀礼のひとつの変種である。それは「神霊」という概念の発生と同期している。集団に不幸が訪れる。天変地異でも、異常気象でも、不作凶作でも、異族の襲撃でも、集団内部での紛争でも、何か困ったことが起きる。これは神霊の怒りを買ったことの罰である。この罪の穢れを祓うために供犠が行われる。「諸悪の根源」が単一物として存在し、それがすべての悪を分泌している。だから、それを特定し、除去さえすれば社会は原初の清浄と活力を回復する。これが供犠という考え方である。指名されたものは「贖罪の山羊(scape goat)」となり、徴をつけられて集団の周縁に追いやられ、あるいは集団の外部に追放され、あるいは殺害される。
「贖罪の山羊」を追い払っても感染症や病虫害や自然災害に対する科学的効果があるはずがない。でも、それがわかっていながら、人々は供犠の儀礼を手放さなかった。それは供犠には「コスモロジーの効果」があるからである。
供犠はもっともプリミティブな「宇宙観」である。アモルファスな世界にデジタルな境界線を引く。どこでもいい、とりあえず「境界線」を引く。「清らかなもの(fair)」と「穢れたもの(foul)」、「内部」と「外部」、「善」と「悪」の境界線を引く。境界線の選定は本質的に恣意的である。そこに線が引かれなければならない必然性はない。けれども、とりあえず境界線を引いたら気分が少しよくなった。だから、一度やったら止められなくなった。「線を引く」のは人間の本態的傾向である。クロード・レヴィ=ストロースははっきりこう断言している。
「【                               】」(『野生の思考』)
どのようなデタラメな分類であってもカオスよりはましである。


問 空欄に当てはまる文を次の中から選びなさい。
 ア どのようなものであれ、分類は分類の欠如よりも何らかの固有の効力を持っている
 イ どのようなものであれ、非論理的な分類の除去は必要であり、論理性が重要である
 ウ どのようなものであれ、無実の者を供儀に提供することは原始的で悪だと言える
 エ どのようなものであれ、少しの気分の良さのために虐待や排除を利用してはいけない
 オ どのようなものであれ、宇宙観を恣意的に決定するのは構造的な思考であり、全面的に正しい












【解答】  ア
占いの結果
アにしたあなたは直後の「よりはまし」と「よりも何らかの効力を持っている」とを対応させることができるクールな人。
  ラッキーアイテムは内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』
 
イにしたあなたは「論理性」にこだわった理屈屋さん。直後との対応がわかるような本当の論理性を持てば吉。
  ラッキーアイテムは内田樹著『下流志向』

ウとエにしたあなたは正義感の強い人。現代文では常識と逆の内容も出るから気を付けて。
  ラッキーアイテムは内田樹著『態度が悪くてすみません』

オにしたあなたはレヴィ・ストロース=構造主義としちゃった人かな。「全面的」が強すぎるわ。
  ラッキーアイテムは内田樹著『疲れすぎて眠れぬ夜のために』



<参考>
カオス=無秩序  コスモス=秩序
プリミティブ=原始的、幼稚な、素朴な
アモルファス=非結晶。ばらばらな状態
デジタル=一定の区切りのような、段階的な、二者択一的な   アナログ=連続的に変化するような
コスモロジー=宇宙論、宇宙観、世界観



原文はこちら「いじめについて」です。



コメント
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