ハバナ旧市街には四つの広場がある。
●アルマス広場には1519年11月16日にその下でハバナの建市を宣言したセイバの木がある。今あるものは三代目だそうな⇒※となりの記念碑や後ろのギリシャ神殿風の建物は、当時まったくなかった。他の街でもそうだが、スペイン人たちが「木の下」で町の建設を宣言する伝統はよくきくこと
この木にむかって左に目を移すと、すぐ横にフエルサ要塞がある。これは16世紀後半に建築開始⇒写真で塔の上に女性の像が乗っているのがみえるだろうか。拡大写真が下↴これがハバナのシンボル「ヒラルディージャ」である。
モデルは、スペイン本国セビリア大聖堂のヒラルダの塔の上にある風見の像。 セビリアでは町の守護聖女だが、ここハバナでは特定の実在女性がモデルだとされている。その人物とは・・・
★インカ帝国を征服したピサロに同行していたエルナンド・デ・ソトは、ピサロが失脚したのちもスペイン王室の後ろ盾を得て、キューバ総督に就任した。さらに現在の北米への探検を続けるにあたって、その妻を総督代理に任命していった。彼女は来る日来る日も海を見て、夫の帰りを待ちわびていた。夫エルナンドは1542年に熱病で客死していたのだったが、彼女にそれを知る術はなかった。
この像は有名なハバナのラム酒メーカーのシンボルマークにもなっている⇒
アルマス広場に面した宮殿は総督宮殿になっている。ここは要塞がつくられたよりずっと後1791年からの建物中庭にはコロンブスの像 宮殿前の地面は、珍しく木が敷かれている↴これはいったいなぜ?
総督夫人が「馬車の音がうるさい」と苦情を言ったのにともない、この部分だけが木造に変更されたのであった。
広場の中央には第一次独立戦争の英雄カルロス・マヌエル・デ・セスペデスの像彼は19世紀半ばキューバ第一次独立戦争の中心人物。砂糖農園主だったが1868年「自由の国キューバは、奴隷制のキューバ国と両立しうるものではない。それ故に、ここに奴隷制の廃止も宣言する」として、自らの所有した奴隷を解放し、独立戦争をはじめた⇒こちらのページ参照
十年間におよぶ戦いの中で、スペイン側に次男オスカルを捕えられ、「反対行動を止めれば息子の命は助ける」と通告されたが、「彼はもはや私の息子というだけではなく、仲間を裏切ることはできない」と返答し、息子は銃殺された。※後年、第二の結婚でさずかった五男に同じオスカルという名前をつけている。
●フランチェスコ広場そびえたつ教会・修道院がフランチェスコ派によるものなのでそう名付けられた
ここはかつて海のすぐそばで、荷揚げされた商品が扱われていたのだが、修道院から「うるさくてかなわない」という苦情が国王に届き、時の国王カルロス三世の命により、取引所はとなりのヴィエハ広場へと移されることになったのだった。 今日はなんだか、かわった子がいます⇒さっき、看板でみかけたメキシコをテーマにした犬「シコ」ちゃんの一匹でした
ちかくには古い建物を利用した修道院をテーマにしたホテルがあるここのスタッフはみんな修道服を身に着けております。
●ヴィエハ広場 ヴィエハとは「古い」という意味
青い建物は近年日本の無償援助でつくられたプラネタリウム。開館には宇宙飛行士の毛利さんもこられたそうな。
そして、ハバナ大聖堂のある●カテドラル広場
もとラ・シェナガ(沼地)広場という名前だったところを、16世紀からの治水工事によって健全化、イエズス会が買い取って1748年から建設されたクリストバル教会。12/9に訪れたのは夜だったので 翌日10日の午後、短い時間だったが昼間にもう一度訪れた近づいてみるとまごうことなきバロック様式。ローマにあるボロミーニ設計の教会を思い出した。
左右二つの塔は一見同じように見えるが、よく見ると左側の方が細い。最初は同じ太さで建造されたのが、道が狭くなりすぎるのでとりこわして作り直したのだそうな。
ここはかつて、コロンブスの二度目の墓が置かれていた場所。また次回(いつになるかわかりませんが)、ゆっくり見学できるチャンスをがありますように。
旧市街の道は、観光ルートをひとつはずれると、廃墟のような建物が多い人々は普通に住んでいるのですがなかなか余裕がないのだろう。
1613年に仙台の伊達正宗の意向を受けてスペインを目指した支倉常長は太平洋を渡り、さらに大西洋を渡る途上でハバナに立ち寄っている。彼が来航した時のハバナはスペインが町を造り始めて百年ほど後。湾を守る要塞二つも完成していた。
この像は2001年に仙台育英学園より寄贈され、レセプションが開催されている⇒その時の様子が⇒こちらに掲載されています。
支倉はここまで11,850㎞の旅をしてきた↴
さらにローマまで8,700㎞の道をゆくことになる⇒
彼の像はローマ近郊チヴィタヴェッキアの港にも建てられている。
すぐちかくには「トルコの父」ケマル・アタチュルクの像があり、トルコ人観光客があつまっていた
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●民芸品市場
個人商店が観光客に商品を売る「民芸品市場」は資本主義的な場所。目の前に機関車が
すごい数の店がはいっているが小松には全くアピールしないものばかりだったので、旧市街を少し歩いた。
すぐちかくにある古い教会へ
●サンフランシスコ・デ・パオラ教会
1602年にハバナが疫病に襲われた際、エルミータ・デ・カルバリオ教会があったこの場所に聖フランシス・デ・パオラが現れ、町がすくわれたそうな。
ニコラス・エステベ・ボルゲスという司教が全財産を寄付して同じ場所にフランシスコ・デ・パオラ教会・修道院・病院が建設されたのが1667年。
その教会は1730年に町を襲ったハリケーンで壊れてしまい、1745年に現在見られる教会の建物が完成した。
1907年に教会はクローズし、港の倉庫になっていたのが1946年に修復されている⇒
ハバナ旧市街は、観光で案内される場所を少しはずれると、古びた街並みが放置されいるくずれ落ちたたてものもそのままになっていたりする⇒ 「ちゃんときれいにすればいいのに」と思うけれど、自分の所有物になり続けないモノに対して、人はあまり真剣に手入れをしないものなのかも・・・。
★キューバの不動産事情は、我々資本主義の国で暮らす人びとの想像を超えている。2011年11月10日の政令によりやっと売買が可能になった。個人が二軒目の家を持つことも認められ、売買に伴って4%の税を国に治める。それ以前は「交換」しか認められておらず、価値の差額をお金で補てんすることも法律上禁止にされていた。 アメリカへ移住するキューバ人は政府に家を没収されていたが、やっと家を売ることができるようになったのである。そもそも「不動産業」というものが存在しないも同然なのである。
さぁ、そろそろクラシックカーに乗る時間(^^)/