旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

レーワルデンを歩く

2017-10-12 15:20:31 | オランダ

ポストープラザ・ホテルを出て、角を曲がってすぐのところに、フリースラントの品だけを扱ったお店がある。
地元ガイドのウィリアムさんが連れて行ってくれたが、開店の十時まで一時間近くもある。どうするのかと思っていたら・・・
中を覗き込んで「おーい、居るかい」(たぶんこう言ったのだと思う)、と声をかけて、遠慮なくドアを開けて入っていってしまった↓

愛想良い女性が笑顔ででてきてくれて、「あら、はやいわねぇ…でも、どうぞどうぞ!」(と言ったのだと思う)

地元のガイドさんとまわると、解説以上にいろいろ楽しいのです(^.^)
フリースラントのチーズ↓

レーワルデンのはちみつ↓色が違うのは、町の別の地域でとれたもので、味が違うのだそうだ。
はっきり色が違った↓

オランダは蒸留酒ジンの発祥地。レーワルデンにも伝統的にジンをつくってきた工房がある↓

びっくりしたのは、これを割って飲むための専用コーラがあること。いや、はじめそう思っていたのだが、よく読んでみるとこのコーラはすでにアルコール度数が7%もるシロモノだった↓


↓あ、これってあの「斜塔」のデザインですね↓(後述)

徒歩観光のはじめにいっぱい買ってしまったので、お昼まで預かっていてもらいます。あとでまたきますね(^.^)↓


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地図を見ていたら、スペイン支配時代の要塞が町の南にあった事に気付いた。ウィリアムさんに、その痕跡でもないのかと訊ねたら、そこへ連れて行ってくれるという。現代まで使われていた監獄がその場所にあるのだという↓

来年レーワルデンは「ヨーロッパ文化都市」に選ばれているので、いろいろなところが修復している最中ではある。
入っていいのか躊躇する入口だけれど、ウィリアムさんはどんどん奥へ…↓

中庭に面した棟は確かに監獄↓

中へはいると、あ!そのままじゃないですか↓

ここは昨年?新たに改装して、それぞれの「独房」をお店に貸しているのだそうだ。

一軒、扉がひらいていた店では、自分でつくったアクセサリーを売る人が借りはじめていて、明日には自分の作品を搬入するのだと話してくれた。

↓レーワルデンの観光局「VVV」は現在この建物にある↓無料の紙の案内もあります

***
レーワルデンの街は通商で栄えた。今とは比較にならない多くの運河が街中を流れていた。それらは埋め立てれていて、言及されなければそうとは分からない。我々が泊まったポストープラザ・ホテルの前の道が広いのも、もとは運河が流れていたからだったのだ。
現在の運河は清潔だが、かつてはひどく汚染されていたのだそうだ↓

そのひとつにかかる橋のたもとに、ちいさな女性のブロンズ像がある↓豊満な肉体で踊る彼女は★「マターハリ」↓

第一次世界大戦中のパリで踊り子をやっていた彼女は、レーワルデン出身者でいちばん有名な人物だろう。それが、スパイ罪で処刑されたからだというのは、悲しい話だが。

写真を見ると、エキゾチックな顔立ちの彼女は確かに人目を惹いたのだと思う。資料を読むと、養護教師のような仕事につこうとライデンで学校へ行っていた時担当の先生からセクハラにあってやめてしまったと書かれていた。キレイな女性はうらやましがられるけれど、ご本人はそれゆえに辛いことも多いのでしょうね。

見合い結婚して二児をもうけたが離婚。パリに移って踊り子をはじめる。子供たちはどうしたのだろう…。今もその血統は生き残っているのかしらん。

フランス、ドイツ双方の高官と交流があり、結果、スパイとして銃殺された。
それは1917年10月15日の事だった。

あ、ということはあと三日でその百周年だったのか。
ウィリアムさんいわく「フリースラント博物館で百周年記念の展覧会がもうすぐひらかれたのに、惜しいね」
いいんです、マタハリよりもレーワルデンそのものを知るために来たのですから(^.^)

「マタ・ハリ」の生家は2013年の火事で焼けたのを昔通りに再建したもの。火災を機にまったく新しく建てなおす案もあったそうだが、マタハリの生家だという事で、元通り復元されたそうである。

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ホフ広場に出る。統治者の邸宅があったのでこの名前になっている。かつて広場はこんな感じだった↓

現在はホテルになっている旧総督邸↓

ウィリアムさんはどしどし入っていって「ちょっとごめんよぉ」(と言った気がする)、とレセプションに手を振って、我々をダイニングに案内してくれた↓

かつての雰囲気を大事に残している
目立たない地下室のほうが歴史が残されている気配↓


広場に大事そうに囲いがされた木がある↓これは何?

「W」が、これを御手植えした方の頭文字。
ウィルヘルミナ女王はオランダ王国四番目の君主。
1890年に、わずか10歳で即位。その後五十八年の長きにわたり女王の座にあった。
後を継いだのは娘のユリアナ、そのまた後を継いだのがベアトリクス。2013年にその長男ウィリアム・アレキサンダーが即位するまで、オランダは百二十年以上女王の国だった。

三代それぞれ、即位するとフリースラントの首都レーワルデンを訪れて植樹しているのだそうだ。

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この通りは17世紀からの家が残されている↓

オランダの黄金の世紀とされる時代の市長が住んだ家は、1901年にフェーンストラ家が買って日用食品店をはじめた。それは、今日に至るまで百年以上続いて、ついにミュージアムも兼ねるようになり、町のガイドブックに掲載されている。ウィンドーにもレトロな商品がならぶ↓

地下へ降りる急な階段が、時代を感じさせる↓

フェーンストラ家には三姉妹がいたのだが、三人で終生この店を営んでいた。
ガイドのウィリアムさんは子供のころよくこの店でお菓子を買いにきていたので、彼女たちの事をよく覚えていると言った。壁に写真が飾られている↓

「このお菓子が好きで、よく買ってたんだ」と、懐かしそうに指さしたのがこれ↓右の、女の子がカップを手に持っているやつ。

※コレについては、こちらに少し書きました

この店、実は裏のジン(蒸留酒)の工房に抜けられる↓

今でもこんなふうに製造して販売している小規模な店があるのが「伝統」というのでしょうか


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斜塔の近くにレーワルデンの歴史センターがある↓この町の歴史をさっと理解するのに最善の場所なのだけれど、あまり入りやすい雰囲気ではないなぁ↓

頼むと五分ぐらいの英語のビデオを流してくれる。これ、分かりやすかったです↓紀元後一世紀。北海に面した三つの人工で高くした丘がそれぞれ小さな村を形成して、1435年に三つが一つの街となってレーワルデンがはじまった↓というところからはじめてくれる↓

展示コーナーには、三つの村が一つにまとまった時の契約書が展示されていた↓

19世紀までの市庁舎の塔の絵↓傾いてます

倒壊してしまって、今残っているのは頂上に飾られていた町のシンボルのみ↓


⇒※ここで買ったガイドブックで、レーワルデンの街の由来も書いてあったので、こちらに書いておきます
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青地に金の鐘の絵がついた建物が多い一角に出た↓ウィリアムさんが説明してくれている内容を、はじめのうちはよく理解できなかった↓


⇒※こちらに書きました
↓こちらは17世紀からの寡婦のための住宅↓


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大きな教会の広場に出た↓

この教会が建設されたのは13世紀前半。ドメニコ派によって修道院も併設されていたそうだ。
※この時代、共にイタリアからはじまったフランチェスコ派とドメニコ派の両新派が競ってヨーロッパ中に進出していた
15世紀に増築されて礼拝堂が増やされた。この時期のレーワルデンの繁栄がそれを必要としていたのだろう。

ところがオランダがスペインから独立して国教がプロテスタントに代わると、状況は一変した。
金を集め・金を消費する修道院は閉鎖され、豪華な聖体行列は行われなくなった。
しかし、プロテスタントの支配者といえども貴族は貴族。
ナッサウ家専用の出入り口が後陣に新たに設けられた↓


教会の内部・外部ともに、1972年から78年にかけて大規模な修復が行われ、
19世紀までに取り付けられていた豪華な飾りはすべて外された。
13世紀当初の素朴なスタイルに出来るだけ近づけてあるのだそうだ。

門のすぐそばに花が手向けられていたので、ウィリアムさんに訊ねると、事情には触れずさらりと答えた。
「きのうここで人が死んでいたんだ」

*******
最後に、レーワルデンのシンボルである「斜塔」を訪れた。
午後一時からしか開かないというので、それを待っていたのであります↓

⇒※こちらに斜塔の話を書きました

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大堤防を越えてフリースラントのレーワルデンへ

2017-10-11 18:31:12 | オランダ
大堤防には雨交じりの強い風が吹いていた。傘はさせない。風をはらんだコートをまとった男の像がぴったりの風景だった↓

オランダを訪れるようになって、一度は見ておきたいと思っていた場所だ。何百年にもわたる干拓事業は、オランダならではの国家事業なのだ。この堤防はその総仕上げのようなもの。
北海と続いていたアイセル海を仕切って湖にしている↓指揮を執ったのはコルネリス・レリー氏。銅像は彼だった↓

⇒※こちらにもう少し詳しく書きました
堤防を渡った北はフリースラント。今日の宿泊はフリースラントの首都とされるレーワルデン↓


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町の中心にあるポストープラザ・ホテルにチェックイン↓

上の写真、左右まったく違うスタイルのビルだが、ともにポストープラザホテルである。
左側はもともと郵便局として建設された。右側は銀行だった。二つの建物を渡り廊下でつないで一軒のホテルにした。
内部はアールデコ調で快適だ。

雨が少し落ちているが、夕食前に旧市街をひとまわりしてみよう。

運河の流れる快適な街だが・・・
※翌日この町のガイドさんに伺うと、かつて運河はホテルの前をはじめたくさん流れていて、それはとても汚れた悪臭を放つものだったのだそうだ
下の写真がホテルの前の通り↓見えることと知ることは違うのだと改めて認識

ホテルの前の広い道をはさんで向かいにある州庁舎の入口↓二匹のライオンがこの地域の紋章↓


現在、旧市街の運河はYの字型に遺されているだけ。その交差する場所・運河の上がもりあがった広場になっている↓


2013年に開館した「フリースラント博物館」は市街の建物を圧するように広場にそびえる↓



レーワルデンの出身者でいちばん有名なのは、第一次世界大戦の時期にパリでマタ・ハリという名前で活躍していた踊り子だろう。彼女が本当にドイツのスパイだったのかは分からない。今年が処刑されてちょうど百年なので、展示会が行われる↓残された白黒の写真はエキゾチックな顔立ち↓


下の建物や描かれた人物については、翌日の地元ガイドさんに説明されてはじめて理解できた↓


レーワルデンのシンボルとされている「オルデホーフェ塔」通称「レーワルデンの斜塔」↓

写真よりも実際に見ると確かに傾いている。↓この広場にある石がなにか?これも翌日に話をきいて理解することになる




ポストープラザ・ホテルにて夕食

牡蠣はこぶりながら良い味 燻製の魚と野菜に穀物
焼き魚も



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エダムに立ち寄る

2017-10-11 16:23:56 | オランダ
ライデンを出発して、フリースラントへ向かう途中。アムステルダムの北にある、チーズの村エダムへ立ち寄ることにした。
そこは、1609年から12年にオランダ人が最初に干拓した世界遺産「ベームスター干拓地」に近い。高速道路から降りるとき、遠くに看板だけが見えた↓

ベームスターはオランダチーズのブランド名にもなっているそうな
↑※詳しいサイトにリンクしております
**

小さな村。静かな広場。



でも、軽くランチに入った店は、オランダ人の女性グループがにぎやかにランチ会をしていた。日本とかわりません(^.^)

「名物料理は?」とは、よく訊かれる質問だけれど、パンの上にコロッケがごろっとのっているだけだと残念?↓

小松は実をとってカルパッチョ


さぁ、小さな町をあるいてみよう


今は小さな田舎の村になってしまっているが、通商で栄えた町。E川にダムをつくって建設されたのでエダムという名前になった。1526年には神聖ローマ皇帝カール五世が、毎週チーズ市を開く権利を与えた。

この橋は1881年にかけられた新しいもの↓






「小教会」の鐘楼はなぜかひょろりとした形をしている↓

もとあった身廊部分が壊れてしまっていたのか↓柱の跡が残されている↓


★チーズの町として発展したのは、神聖ローマ皇帝カール五世があたえたチーズ市開催の権利が、オランダ独立後も総督によって認められたからである。公式なチーズ市は1922年まで続けられた。その場所へ行ってみると、思ったよりも小さな広場ではある↓建物はチーズの計量所↓

チーズを乗せて運ぶ像がある。チーズ屋さんにもその絵が↓

チーズ屋さん、ぽつぽつあります↓

エダムに特徴的な丸いボールの巨大チーズ。外側は蝋でかためてある↓

重たいけどひとつ買いました。切ってみるのが楽しみ(^.^)

近くに売っていたキノコはちょうどシーズン、どっかで食べられないかしらん

今日はこれから大堤防経由してフリースラントへ
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スキポール空港からライデンへ到着

2017-10-10 13:49:20 | オランダ
オランダ、直行便でスキポール空港に到着したのは午後三時過ぎ。
空港の地下からすぐに電車にのってライデンへ向かう。

チケットはカードで購入するほうが便利


ライデンまでは三十分かからない。片道、二等席 ひとり5.8ユーロ


空港ホールにある斬新なデザインのエスカレーターでホームへおりられる↓

改札はないけど、そのままいっていいの?

実はここで、ちゃんと「チェックイン」しておかないと、ライデンの改札を出られなくなる。チケットをよくみると「チェックインしてください」とかかれている。でも、どこでチェックインできるの?
このポールにチケットを近づける↓

こりゃあ、知らないと「チェックイン」しないで列車に乗ってしまう人は多いだろう。その場合の罰金は15ユーロだそうだ。地元の人は、15ユーロ払わせるために目立たない「チェックイン」にしたのじゃないかと噂しているんだとか。

ホームへ降りて、列車を待つ。
15:42の快速にのれば、次がライデン↓


二階建て車両。車内で検札もやってきた。スーツケースがあるのでドアちかくで立っていた。ライデン駅到着↓

ホームから地上階へ降りてゆく。どこかのカフェのような空間↓



いきなり「COOL JAPAN」の展覧会の幟が↓

ここから予約したゴールデン・チューリップホテルまでは二百メートルほど↓ホテルの目の前には印象的なビル↓

これ、あとからきいたら、保険会社の建物なのだそうです。

荷物を置いて、さっとコートを着て、街歩きにでかけよう。時刻はまだ午後四時半だ。
***
駅前の駐輪場は日本以上の過密状態↓国民一人あたりの自転車所有率は1.3台にものぼるそうな。古い自転車を大事に使っている。重そうな自転車を、この高い位置まであげるのは大変だと思うのだけれど↓

日本食?のお店を発見↓ライデンはオランダでいちばん歴史ある大学がある



運河にかかる跳ね上げ式の橋とかうての旧市街の門↓

オランダらしい風車が見えるが、これは1990年代に復元されたもの↓

明日訪れる「シーボルト・ハウス」↓


市庁舎↓

ライデン市の紋章↓


荷揚げ品の計量所↓

通商で栄えたオランダの諸都市にはこういった計量所がかならずある。正確にその価値を認定してもらえる場所があることが、安心して商取引が行える基本である。

大航海時代の先駆者だったスペインやポルトガルの町では公的なおういった場所は見られない。それが、17世紀に明暗を分けていったのかもしれない。


二時間ほど歩いて、午後六時にホテル帰着。待ち時間を示してくれている信号↓

****

午後七時からホテルのダイニングで夕食にした。
前菜に「ハリブット(からすカレイ)」を注文すると、スープを注ぐのだという↓
これが…スパイスの入った少しアジアンなものだったのだが、ちょっとチガッた気がした ついでに、メニューを翻訳ソフトにかけて出てきたのが、こんな日本語だったそうな↓


メインコースはどれも十分おいしかった(^.^)
  
到着初日、有効活用できました(^.^)
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オランダを美味しくたべよう

2016-05-09 11:20:34 | オランダ
これは、●ウナギ
ご紹介→
→こちらに書きました

ベルギーがフランス語圏もあって食事がおいしいといわれるのに比べると、オランダは食事を楽しみにされることはそう多くない気がする。実際に素朴なものが多いオランダ料理ではあるが、店を選び、注文を工夫すれば、オランダ(およびオランダ語(フラマン語)圏)でも、食の楽しみはある。

ガイドブックでも言及される●ニシン
やはり生・酢漬けにオニオンを散らしたものは食べてみたほうがよい。鮮度によって味わいはもちろん変わってくる。
上を向いて口開けて、しっぽをつかんで頭から食べるということは、しなくてもよい(笑)

●アスパラガスは春先の名物。白はもちろんだが→グリーンも、そして、ほかの野菜たちもおいしい。こんなふうにおしゃれにだしてくれたところもあった→
いちど、こんな風に出されたことがあったのだが→これではあまり魅力がなかった。

●スタンポッドという料理は「スタンプした=つぶした」が語源になっている。そのとおり、じゃがイモをつぶして、肉とあわせてこんな風になる 
放牧が盛んなオランダでは羊もよく食べる。
5/1に訪れた店でおいしい●ラムチョップに出会えた。出てきたときは真っ黒でびっくりしたが→
ナイフをいれてみると、ほろほろと柔らかく、ぱさぱさしていない。味もちゃんとある。見よ、この断面↓


●グレイス・ハリナーレン(灰色のエビ)は、小さなエビでパッと見の豪華さはないが、味はよい。次の写真で小さいほうのエビです→

●エビクリームコロッケもおいしうございました→

今も風車でつくられているという手造りクラフトビールとともに、いただきましょう↓

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