ポストープラザ・ホテルを出て、角を曲がってすぐのところに、フリースラントの品だけを扱ったお店がある。
地元ガイドのウィリアムさんが連れて行ってくれたが、開店の十時まで一時間近くもある。どうするのかと思っていたら・・・
中を覗き込んで「おーい、居るかい」(たぶんこう言ったのだと思う)、と声をかけて、遠慮なくドアを開けて入っていってしまった↓
愛想良い女性が笑顔ででてきてくれて、「あら、はやいわねぇ…でも、どうぞどうぞ!」(と言ったのだと思う)
地元のガイドさんとまわると、解説以上にいろいろ楽しいのです(^.^)
フリースラントのチーズ↓
レーワルデンのはちみつ↓色が違うのは、町の別の地域でとれたもので、味が違うのだそうだ。
はっきり色が違った↓
オランダは蒸留酒ジンの発祥地。レーワルデンにも伝統的にジンをつくってきた工房がある↓
びっくりしたのは、これを割って飲むための専用コーラがあること。いや、はじめそう思っていたのだが、よく読んでみるとこのコーラはすでにアルコール度数が7%もるシロモノだった↓
↓あ、これってあの「斜塔」のデザインですね↓(後述)
徒歩観光のはじめにいっぱい買ってしまったので、お昼まで預かっていてもらいます。あとでまたきますね(^.^)↓
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地図を見ていたら、スペイン支配時代の要塞が町の南にあった事に気付いた。ウィリアムさんに、その痕跡でもないのかと訊ねたら、そこへ連れて行ってくれるという。現代まで使われていた監獄がその場所にあるのだという↓
来年レーワルデンは「ヨーロッパ文化都市」に選ばれているので、いろいろなところが修復している最中ではある。
入っていいのか躊躇する入口だけれど、ウィリアムさんはどんどん奥へ…↓
中庭に面した棟は確かに監獄↓
中へはいると、あ!そのままじゃないですか↓
ここは昨年?新たに改装して、それぞれの「独房」をお店に貸しているのだそうだ。
一軒、扉がひらいていた店では、自分でつくったアクセサリーを売る人が借りはじめていて、明日には自分の作品を搬入するのだと話してくれた。
↓レーワルデンの観光局「VVV」は現在この建物にある↓無料の紙の案内もあります
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レーワルデンの街は通商で栄えた。今とは比較にならない多くの運河が街中を流れていた。それらは埋め立てれていて、言及されなければそうとは分からない。我々が泊まったポストープラザ・ホテルの前の道が広いのも、もとは運河が流れていたからだったのだ。
現在の運河は清潔だが、かつてはひどく汚染されていたのだそうだ↓
そのひとつにかかる橋のたもとに、ちいさな女性のブロンズ像がある↓豊満な肉体で踊る彼女は★「マターハリ」↓
第一次世界大戦中のパリで踊り子をやっていた彼女は、レーワルデン出身者でいちばん有名な人物だろう。それが、スパイ罪で処刑されたからだというのは、悲しい話だが。
写真を見ると、エキゾチックな顔立ちの彼女は確かに人目を惹いたのだと思う。資料を読むと、養護教師のような仕事につこうとライデンで学校へ行っていた時担当の先生からセクハラにあってやめてしまったと書かれていた。キレイな女性はうらやましがられるけれど、ご本人はそれゆえに辛いことも多いのでしょうね。
見合い結婚して二児をもうけたが離婚。パリに移って踊り子をはじめる。子供たちはどうしたのだろう…。今もその血統は生き残っているのかしらん。
フランス、ドイツ双方の高官と交流があり、結果、スパイとして銃殺された。
それは1917年10月15日の事だった。
あ、ということはあと三日でその百周年だったのか。
ウィリアムさんいわく「フリースラント博物館で百周年記念の展覧会がもうすぐひらかれたのに、惜しいね」
いいんです、マタハリよりもレーワルデンそのものを知るために来たのですから(^.^)
「マタ・ハリ」の生家は2013年の火事で焼けたのを昔通りに再建したもの。火災を機にまったく新しく建てなおす案もあったそうだが、マタハリの生家だという事で、元通り復元されたそうである。
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ホフ広場に出る。統治者の邸宅があったのでこの名前になっている。かつて広場はこんな感じだった↓
現在はホテルになっている旧総督邸↓
ウィリアムさんはどしどし入っていって「ちょっとごめんよぉ」(と言った気がする)、とレセプションに手を振って、我々をダイニングに案内してくれた↓
かつての雰囲気を大事に残している
目立たない地下室のほうが歴史が残されている気配↓
広場に大事そうに囲いがされた木がある↓これは何?
「W」が、これを御手植えした方の頭文字。
ウィルヘルミナ女王はオランダ王国四番目の君主。
1890年に、わずか10歳で即位。その後五十八年の長きにわたり女王の座にあった。
後を継いだのは娘のユリアナ、そのまた後を継いだのがベアトリクス。2013年にその長男ウィリアム・アレキサンダーが即位するまで、オランダは百二十年以上女王の国だった。
三代それぞれ、即位するとフリースラントの首都レーワルデンを訪れて植樹しているのだそうだ。
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この通りは17世紀からの家が残されている↓
オランダの黄金の世紀とされる時代の市長が住んだ家は、1901年にフェーンストラ家が買って日用食品店をはじめた。それは、今日に至るまで百年以上続いて、ついにミュージアムも兼ねるようになり、町のガイドブックに掲載されている。ウィンドーにもレトロな商品がならぶ↓
地下へ降りる急な階段が、時代を感じさせる↓
フェーンストラ家には三姉妹がいたのだが、三人で終生この店を営んでいた。
ガイドのウィリアムさんは子供のころよくこの店でお菓子を買いにきていたので、彼女たちの事をよく覚えていると言った。壁に写真が飾られている↓
「このお菓子が好きで、よく買ってたんだ」と、懐かしそうに指さしたのがこれ↓右の、女の子がカップを手に持っているやつ。
※コレについては、こちらに少し書きました
この店、実は裏のジン(蒸留酒)の工房に抜けられる↓
今でもこんなふうに製造して販売している小規模な店があるのが「伝統」というのでしょうか
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斜塔の近くにレーワルデンの歴史センターがある↓この町の歴史をさっと理解するのに最善の場所なのだけれど、あまり入りやすい雰囲気ではないなぁ↓
頼むと五分ぐらいの英語のビデオを流してくれる。これ、分かりやすかったです↓紀元後一世紀。北海に面した三つの人工で高くした丘がそれぞれ小さな村を形成して、1435年に三つが一つの街となってレーワルデンがはじまった↓というところからはじめてくれる↓
展示コーナーには、三つの村が一つにまとまった時の契約書が展示されていた↓
19世紀までの市庁舎の塔の絵↓傾いてます
倒壊してしまって、今残っているのは頂上に飾られていた町のシンボルのみ↓
⇒※ここで買ったガイドブックで、レーワルデンの街の由来も書いてあったので、こちらに書いておきます
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青地に金の鐘の絵がついた建物が多い一角に出た↓ウィリアムさんが説明してくれている内容を、はじめのうちはよく理解できなかった↓
⇒※こちらに書きました
↓こちらは17世紀からの寡婦のための住宅↓
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大きな教会の広場に出た↓
この教会が建設されたのは13世紀前半。ドメニコ派によって修道院も併設されていたそうだ。
※この時代、共にイタリアからはじまったフランチェスコ派とドメニコ派の両新派が競ってヨーロッパ中に進出していた
15世紀に増築されて礼拝堂が増やされた。この時期のレーワルデンの繁栄がそれを必要としていたのだろう。
ところがオランダがスペインから独立して国教がプロテスタントに代わると、状況は一変した。
金を集め・金を消費する修道院は閉鎖され、豪華な聖体行列は行われなくなった。
しかし、プロテスタントの支配者といえども貴族は貴族。
ナッサウ家専用の出入り口が後陣に新たに設けられた↓
教会の内部・外部ともに、1972年から78年にかけて大規模な修復が行われ、
19世紀までに取り付けられていた豪華な飾りはすべて外された。
13世紀当初の素朴なスタイルに出来るだけ近づけてあるのだそうだ。
門のすぐそばに花が手向けられていたので、ウィリアムさんに訊ねると、事情には触れずさらりと答えた。
「きのうここで人が死んでいたんだ」
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最後に、レーワルデンのシンボルである「斜塔」を訪れた。
午後一時からしか開かないというので、それを待っていたのであります↓
⇒※こちらに斜塔の話を書きました