旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

キューケンホフ、遅い花盛り

2016-05-02 00:10:01 | オランダ

晴れた! 



今年は例年になく寒い日が続き、我々がオランダに到着した4/26 以降も冬の様な気温だった。しかし、きのうから天気は劇的に回復、ぐぐっと温度が上昇し、いっきにチューリップ畑も咲き出していた。今日の為に、開花を送らせてくれていたようにさえ思える、素晴らしいお天気である。


**朝いちばんで「チューリップ畑貸切」プランが含まれている。実際のチューリップ農家と契約して、その時その時で見どころのチューリップ畑を見せてもらうこのプラン、いつもぴったりのところがあるとは限らない。キューケンホフ公園のすぐ外にひろがる畑の中を走るとこんな建物も⇒ そして、スロットさんの経営する花畑へ到着すると・・・今日は素晴らしいコンディションでした。


オーナーのスロットさんとその畑↓



この花々は、明日には機械でちょんちょんっと首を切られてしまう。花ではなく、球根を育てるのが目的なので。


短い命の花、摘んで我々にひとつひとつプレゼントしてくださった⇒ 二人乗りの自転車も置いてあって、「花畑と自転車、オランダらしい写真を一枚どう?」


***ふたたびバスに乗り、キューケンホフ公園を目指す。途中にキューケンホフ鉄道駅の小さな駅舎⇒


大きなバス駐車時用のある「メイン・エントランス」は、すでに行列が出来ていたここはスキポール空港からほんの二十分ほど到着できる。乗継の時間に花を見に来ることも可能。キューケンホフのオープンしている時には空港からシャトルバスも運行されている。


園内地図も無料、こんな風に置かれていた⇒ これほど混雑していても、なぜかこの公園は誰でもよい写真が撮れてしまう。不思議な場所だ↓





温室・展示ハウスも四つあって、ユリアナ(前々女王)、ベアトリクス(前女王)、ウィリアム・アレキサンダー(現国王)、それにオレンジ・ナッソウ家の名前がつけられている。雨の日にもここならゆっくりできる場所。中ではいつもお手入れが行われている。ちょうど、芝生を張り替えているところだった⇒



日比谷公園の二倍しかないので、歩いてまわるのにちょうどよい。


★園内のいちばん端に風車がある。このテラスに登ればすぐ外にひろがるチューリップ畑も見渡せる。もちろんそちらは、さっきのように球根を育てるだめの畑なのだけれど。



★ワンちゃんも一緒にい連れて入れます⇒



セルフサービスのレストランがいくつもあるし、アイスクリーム屋台やフレッシュないちごにクリームを乗せて売っていたりもする。今日の様に天気がよければ、一日ずっと楽しめる場所にちがいない。



八重桜もありました.


 



オランダでは桜のことを「ヤパンスケルセン」と呼ぶと、アムステルダムのガイドさんがおしえてくれたっけ。


こちらに書きました

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アムステルダム~美術館とクルーズで一日

2016-04-30 11:41:18 | オランダ

空気は冷たいが晴れたアムステルダム。朝一番で国立美術館へ。中央駅と同じ建築家のデザインなので似ております↓

十年にもおよぶ全館修復を終えたが、この建物のど真ん中をぶちぬくように貫通する自転車道は残された⇒ミュージアム側としてはここも閉鎖して展示室にしたかったのだが、「自転車協会」が訴訟を起こして勝ってしまったから。もともと、この建物が出来た1887年以前からこの自転車道はあったのだから、仕方ないのかもしれません。

どのグループも必ず足を運ぶのがこの大ホール⇒突き当りにレンブラントの「夜警」が置かれ⇒ その手前のエリアにフェルメールやハルスやヤン・ステーンなどがずらりと並ぶ。しかし・・・小松は思うのですが、フェルメールなどの小さな絵をこんな大きな空間に展示するのはどうにも似合わないのではないでしょうか。とにかく時間節約して訪問するには便利ですが…。

小松の好きなアドリアン・コールテの小品は、小さな部屋でひっそり飾られていて「無事」だった⇒

個人的には博物館的な展示のセクションがより面白いと感じられる。次の写真で右に写っている甲冑のようなものは⇒1844年にロッテルダムの港を守る軍艦を飾っていたシンボル「オレンジ公」と呼ばれていた。

17世紀末から18世紀にかけてつくられた「人形の家」⇒婦女子のお遊びのためとはとても言えない、豪華でリアルなもの⇒

***ゴッホ美術館も見学。グループ予約だから並ばなくてすむが、一般入場の行列はとんでもない⇒ 各国語版の図録も充実しています⇒

昼食、ダイヤモンド工場 そのあと中央駅前からクルーズ船に一時間⇒日本語チャンネルもあります⇒ 

夕食前にシンゲルの花市場近くでしばし自由時間 チーズもたくさん売っているさすがオランダ ゴーダチーズの熟成モノ三種(牛、羊、ヤギ)を試食させてくれていて、はじめてこれらを比べることが出来た。ヤギはイタリアのパルメザンチーズのようにアミノ酸のざらっとした甘味がある↓

夕食はレンブラント広場近く、この広場には「夜警」を等身大(より大きい?)にした銅像群がある↓

フランス系のチェーンレストランFLOにて。メインコースの魚チョイスは「スケート・ウィング」と言われた。調べてみると「エイヒレ」!

こんな風に出てきました⇒

レストランからの帰路、ハプニングで歩いてホテルまで帰ることになってしまった・・・。天気の良い夕暮れで本当に幸い。こんな景色、歩かなければ出会えなかった⇒  明日はいよいよキューケンホフ公園。ぜひぜひ晴れますように!

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アントワープを経てブルージュ到着

2016-04-27 21:12:49 | オランダ

デルフトで昼食をすませ、ベルギー領へ入り、アントワープを少し歩く。

スヘルデ川沿いのステーン城。前には伝説の悪い巨人の像⇒ 市庁舎⇒中心には噴水。そこに悪い巨人の手を切り取って投げるローマの兵士ブラボーの像がある。この広場はギルドハウスの建物に囲まれている。

大聖堂を背景にしたルーベンスの像⇒この広場は昔お墓だった場所。

大聖堂の中、いちばんの見どころはやはりルーベンスの「十字架降下」⇒ 外へでてみるとけっこうな雨が降っていたので、みんなでチョコレート屋さんのカフェに飛び込む。冷たい雨の降る日には、こういう時間が嬉しいなぁ。コーヒーとプラリネのチョコ五つで9ユーロほど。

白いのは暖かいココアにするミルク。溶けやすいチョコを混ぜると・・・

みんなでチョコを楽しんで外へ出る⇒ と、大聖堂を背景に再び青空がひらけてきた

右は、アントワープから昔出航していた大西洋航路の宣伝ポスター⇒飛行機のない時代、この港は今よりももっと旅客の集まる場所だったのだろう。

***ブルージュへ到着したのは18時半ごろだが、まだ昼間の様に明るい⇒ 夕食のデザートにはワッフル。おおきいけれど、サクサクのブリュッセル風。

夕食を終えて21時過ぎ、まだ空はうっすら蒼かった 

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デルフト工房の風景

2016-04-27 13:11:18 | オランダ

マウリッツハイス美術館を出てデルフトまでは道が混んでいなければ十五分ほどで着く。かつての城門が見えるこのあたり、あの「デルフトの風景」が描かれ場場所に近いと言われる。実際には、まったく同じ風景は存在せず、フェルメールが画面上でアレンジしたことが分かっている。

**デルフト工房の見学

まずは日本語のビデオを十分ほど⇒ ★アジアからの磁器を真似て18世紀に売れたデルフト陶器は、最盛期には三十五もの工房・工場が競い合っていた。 ところが、イギリスのウェッジウッドなどが台頭してくると、いっきに衰退し、現在デルフト陶器をつくっているのは、ここただ一社になっている。

百年ほど前、建物のインテリアも多くてがけていた。この工場自体がその時期のもの⇒ 

現代では、やはり青い焼き物がデルフトらしさか。現国王のプレートその結婚記念プレート⇒

2000年に制作されたレンブラントの「夜警」の実物大⇒ 注文主の家に入らなくて、ここに展示され続けているとか。

デルフト工房を19世紀に復活させたのはヨースト・トーフトという人物。彼のサインが入った作品も多く展示されている⇒ 現在も手画きの作品には彼のイニシャルがあしらわれている⇒左の写真はそのイニシャルの部分を意図的に欠いて、検査に合格しなかった「二級品」であることを表している。

案内してくださった工房のガイドさん、二枚の同じデザインの皿を見せて「どちらが手描きでどちらがプリントでしょうか?」と問う⇒ ぱっと見きれいに描かれている方がプリントなのでした(^^)値段は手描きの方が圧倒的に高い。一品モノなのだから当然だが、かならずしも手描きがプリントの量産品より優れているとは言えないと、個人的には感じる。

最後にショップへ 今日の昼食は工房付属のカフェにて。チューリップ用のウェアが上手に飾られたテーブル⇒ 晴れ間も見えて中庭も暖かくなってきた

 

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マウリッツハイス美術館(事実上)貸切見学

2016-04-27 09:12:14 | オランダ

朝10時開館のマウリッツハイス美術館だが、優先入場で一時間早く見学できる。我々の他にもきっとたくさんグループがいるとおもったら、おどろきの十名貸切状態であった。

**8時にホテルを出たので優先入場までも時間がある。「平和宮殿」写真ストップ⇒ ここは国際紛争を解決する国と国との裁判所。小和田元国連大使も勤務されている。古そうに見える建物だが百年ほどしか経っていない。第一次大戦後の1919年に、各国が協力して建設された。

資金はアメリカの鉄鋼王カーネギーが提供し、土地はオランダ女王が。塔の時計はスイスが、黒い鉄柵はドイツ、内部のサロンには西陣織が張られた日本の間もあるそうな。デルフト焼き工房がデザインした部分もあると、午後の工房見学で知った。これが、それ⇒

運河につながれたピンクの自転車

国会のあるハーグの中心・ビネンホフ前で下車。「あの建物は現在拷問博物館になっていますが、かつての監獄で、フェルメールのお父さんも収監されていました。罪名は贋金づくりだったそうです」⇒ 

ビネンホフ入口には出店今日は王様の誕生日で祝日なのだ。

中央の「騎士の館」⇒が14世紀に建造された。後の時代に周囲の建物が建設されて中庭になった。向かって左側は七十五名の国会議員の国会が入ったたてもの。

9月の 第三火曜日には国王が馬車に乗ってパレードと共に到着し、国会の開会を宣言する。

上の写真、騎士の家の左に見える門を出ると、左手に内閣が入った建物がある⇒ その先には首相執務室。次の写真で左側の建物⇒現在のルッテ首相は五十歳前。毎朝自転車で公邸から出勤している。「それって、国民向けのポーズじゃないの?」と思ったある記者が、ほんとうに毎日自転車通勤しているのか二週間はりついたそうだ。が、雨の日もカッパ着てふつうの人と同じように自転車通勤していた。ううむ、日本の首相にはいろんな意味で出来ますまい。

さて、上の写真で右側に見えるマウリッツハイス美術館に到着⇒ マウリッツ提督は西インド会社を指揮して南米に駐在していたが、帰国して邸宅が必要になったので、この建物を建設した。王家のひとりだったから、この場所に邸宅を構えることができた。

邸宅だから、一つ一つの部屋はたいして大きくない。この花の時期には大混雑する例年だが、今年だけはひっそりしている。午前九時からの優先入場、他にだぁれもいない。我々十人だけ。昨年完成した改装で地下の入口が登場⇒ マウリッツ提督の胸像もこちらへ移動していた⇒ 受付には華やかなチューリップ リュックはこのコインロッカーに預ける。デザインがおしゃれですねぇ⇒

上階へ上がっていく。しんっと静かなサロンに「青いターバンをつけた耳飾りの少女」が振り返っている。

逆側の壁には「デルフトの風景」 ああ、これって、今日の空の色だ。くるくる変わるお天気。早足で通り過ぎてゆく雲。光が射したと思ったら、次の瞬間にはすうっと陰になる。そんな、今日のようなデルフトの空を、フェルメールも見ていたことが実感として感じられる。画かれたその地を訪れて見る意味は、ある。

フランツ・ハルスの笑う少年はこの時代のだれよりも印象派的。早描きのハルスだからこうなってしまっただけなのかしらん。

レンブラントの出世作「トゥルプ博士の解剖学講義」今回も読み返して来た、司馬遼太郎さんの「オランダ紀行」に言及されていた話を思い出す。

小松が思い入れをもっていつも見ているのは、エイドリアン・コールトという人の小さな静物画。

★Adriaen Coorteアドリアン・コールテの存在を知ったのは、マウリッツハイス美術館で開催された展覧会に、偶然行きあった時だった。 いつものようにフェルメールやレンブラントの作品を説明してもらい、ほんの二十分ほどの自由時間で、階下のコールテの展覧会にも入ってみた。

正直、静物画というものにたいした興味を持っていなかったのだが、その、写実を超えたリアルさに一目見て惹きつけられた。すぐに思い出したのはカラヴァッジョの「果物籠」。テーブルぎりぎりのところに置かれ、一部がいたみはじめた果物。虫や葉。暗闇の光(カラヴァッジョ作品では金色の背景だが)。

静物画というかたちととりながら、人の生死を見つめるような厳粛さが漂う精緻な画面。そうか、机の上に置かれた静物を描くだけでも、充分に自分の考えをさらけ出すことが可能なのか。

++コールテは17世紀後半にごく短い時期の仕事が確認されているだけ。レンブラントが亡くなった後、フェルメールよりも少し後の時代である。現存が確認されている作品数は六十点ほど。これらをマウリッツハイス美術館の前館長とコールテ郷土の学校教師が協力して研究していたのだそうだ。(※その時の展覧会本より)

彼の作品はパリのルーブルやオックスフォードのオシュモリアンなど、世界中の美術館に数点ずつ公開されているが、多くはプライベート・コレクションになっていて、なかなか見ることが出来ない。今後、どこかで展覧会が開催されるのが分かれば、それが世界のどこであっても飛んで行きたいと思っている。

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フェルメールの少し先輩にあたるファブリティウスという画家もマウリッツハイス美術館の目玉のひとつである。この人の「ゴールデン・フィンチ(五色ヒワ)」という作品をつかった小説が、近年話題になり映画化もされるのだそうだ。原作本が売店に積まれていた⇒ 数年後に映画が話題になれば、この絵の前にどっと人が集まることでありましょう。

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