旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ノイシュバンシュタイン城からスイスへ

2019-05-24 09:00:56 | ドイツ
雪のアルプスはドイツとオーストリアの国境↓
↓ノイシュバンシュタイン城が小さく見えてきた

↓バイエルン王ルードヴィッヒ二世がこの城を建造したのは日本なら明治時代

ジーメンスが電気配線をしたセントラルヒーティング完備の趣味の城である。

今日はこの景色が見える村に泊まる

翌朝、山が赤くなるのが牛小屋のむこうに見えた

**
乗合シャトルバスでマリエン橋へ

城が最もきれいに見える場所かもしれない

この橋はルードヴィッヒ二世の父であるマクシミリアン二世が木製でかけていたものを、ノイシュバンシュタイン城の建築にあわせて最新の鉄の橋にかけかえられた。

頑丈な橋だが近年あんまりにも観光客が多くなりすぎて人数制限をはじめたようだ

↓橋から城まで徒歩二十分ほど
途中で下に黄色いホーエンシュバンガウ城が見える↓

ルードヴィッヒ二世は子供の頃からあそこに住んで、このノイシュバンシュタイン城の場所にあった中世のシュバンシュタイン城廃墟を見て育ったのだ。


趣味の城ノイ(新)シュバンシュタイン城の下へやってきた。

内部は撮影禁止
***
入場後馬車道を歩いて降りる

昼食後の13時半、駐車場からバスにのりスイスへ向かった

***
コンスタンツ湖の近くでオーストリアとの国境をこえる↓

ドライブインでストップ
景色も通貨もかわらないが、お土産だけモーツァルトチョコレートが置かれている
↓ふたたびバスに乗るとすぐにスイス領へ

ドライバーの簡単なチェックだけで我々にはパスポートを見せろとも言われない

スイスらしい雄大な山並みが近づいてきた

氷河湖なので小さな湖でも水深百メートル程度はふつう

途中の峠でルンゲン湖を見晴らす

↓ベルナーオーバーランド、山々に守られた地形のスイスの心臓部にはいってゆく

↓今日のホテルはスイスのシャレー風

インターラーケン西駅近くのお店で
前菜にラクレットがでた。もっと食べたいなぁ。

21時過ぎ、ようやく夕暮れとなる

↓明日朝に登山列車で向かうユングフラウ駅の灯りが見えた


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ローテンブルグをさっと

2019-05-23 12:00:38 | ドイツ
今日はローテンブルグも二時間程度の時間でさっとご案内しなくてはならない。
↓北の城壁近くの店でランチの後

マルクト広場からブルグ公園へ向かう。
↓途中に天皇陛下がお泊りになったというホテル「アイゼンフート」↓なるほど鉄の帽子だ

13世紀にユダヤ人の集会場があった「白い塔」の前庭↓ヘブライ文字の墓碑が壁に埋められている

ローテンブルグに限らず、中世のユダヤ人は20世紀の迫害以上にきびしい時代を生きてきた↓
ヒトラーはそれを利用したのだ
↓ブルグ公園の記念碑は1998年に置かれた↓
※これについてこちらに書きました


この記念碑のあるブルグ公園への入口門↓
↓城の側から

↓街の側から

ふたたびヘーレンガッセ(「旦那衆通り」)を歩いていると、こんな解説が立てられていた↓

現ローマ法王フランシスコ一世は1986年8月2日から10月2日までドイツ語習得の為にフランシスコ教会に滞在していたのだそうな。

↓ほんの十五分でも、小松がローテンブルグでいちばん見ていただきたい「聖血祭壇」へご案内しよう

それは★ヤーコプ教会にある
かつてローテンブルグは、この「キリスト血」に出会うべく多くの巡礼がやってきた↓

↑祭壇は1506年ごろまでに四十代のリーメンシュナイダーが彫り、聖なる血は水晶の球に納められた
「最後の晩餐」を描いているのだが、中央にユダが配置されている↓

↑左に立つキリストの手がユダの口元にパンをもっていく
裏切り者が誰なのかがあきらかになるシーン。
かつてこの彫刻を見上げた巡礼たちは、はっと気づかされたのではないだろうか。
「この場面で一番苦しんでいるのはユダに違いない」
最も弱く苦しむ者こそが救われるべき存在の筈だ。
ほとんどの人はキリストのようにも聖者のようにも生きられはしない。
むしろ自分はユダのような弱き心しか持ちえない。

こんな構図の祭壇を発案したリーメンシュナイダーは、自画像をこの群像の中に入れている↓
↓こちらを向いているヤーコブこそがそれ↓この方向から見ると目が合う

この祭壇にOKを出した当時の教会責任者もなかなかの人物ですな(^.^)

下の階にある主祭壇↓

ここに描かれた巡礼を助ける奇跡の話の一角に、1400年代中ごろのマルクト広場が描かれている↓

↑左の市庁舎をよく見ると、現在のものと建物の半分が違っているのが分かる↑
↓これが現在の市庁舎

右半分が1501年の火事で焼けてしまい、ルネサンススタイルで建てなおされた。
左半分は13世紀のオリジナル、ゴシック建築のままなのであります。

16:30バスの駐車場からノイシュバンシュタイン城近くの村へ向かう。
到着は午後八時ぐらいになるかしらん。
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ハイデルベルグを二時間でさっと

2019-05-23 09:00:00 | ドイツ
ハイデルベルグ城は廃墟だが美しい

↑17世紀はじめ、宗教戦争勃発前夜に建設された円形の舞踏広間は今も窓枠だけをとどめている。
今日は内部まで見学する時間はないができるだけ。
↓これはかつての学生寮

↓18世紀に城を修復したカール・テオドールのイニシャルが門番小屋に残されている↓

↓ケーブルカーを参加のみなさんにご負担いただいてケーブルカーで旧市街へ降りる


ネッカー川にはアルテ・ブリュッケ(古い橋)↓

↑門はかつて監獄にも使われていた

立っている石像はカール・テオドールその人

↑足元に領内を流れる四つの川を表す神々の像をしたがえている。
↓足の下の橋にはかつて洪水が起きた時の水位が記されている↓

橋から見上げたハイデルベルグ城↓

橋から騎士の家↓の前へ

途中に「学生のキッス」というハイデルベルグのチョコレート屋さんがある↓

ハイデルベルグ大学がはじめて女学生を受け入れた時、男女の間は衝立でしきられていたのだそうな。
それでも、男女が席を同じくすれば起きることは起きる。


老舗の免税店でトイレを借りる。
観光用の免税店と侮るなかれ。ドイツのいろんな商品をよく選んで置いてある。
こんな物までみつけてくるとは↓

広いデパートであたふた走り回ってあげくに中国製の品を買ってしまうよりもずっと効率的な買い物が出来るとおもう。

ネッカー川沿いの駐車場へ向かう





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リューデスハイムの晴れた午後七時半

2019-05-22 20:00:51 | ドイツ
葡萄畑の広がる丘から古城とライン川が見晴らせた↓

**
羽田からの直行便は午後四時半にフランクフルト空港に到着。
アウトバーンは混んでいたが午後六時半にはリューデスハイム旧市街のホテルにチェックインできた。

晴れた午後七時。まだまだ元気な皆さんを散歩に誘い出す。
はじめてのヨーロッパの印象がこの葡萄畑になりますように(^.^)。
村はずれの小さな道をあがれば葡萄畑↓

陽の長い北ヨーロッパの五月。遠くの修道院が少し傾いた陽があたっている。

葡萄作りは継続的・安定的・知的な作業が必要。
中世ヨーロッパでは修道院が最適なワイン育成機関だったということ。

中世のライン川は物流のメインルートだった。
それを守る?襲う?リューデスハイムの「騎士」の城



***※ここから2008年9月に訪れた時の写真を引用します
この丘の上にはラインの向こうを見据えるゲルマンの女神の像がある↓

1871年にフランスとの戦争に勝ったドイツ=かつてのプロイセンが設置した
最初の石を置いた皇帝ヴィルヘルム一世と「鉄の宰相」=ビスマルクが刻まれている

リューデスハイムの村から葡萄畑の上をいく小さなゴンドラもある
9月末のあの日は、葡萄が実っていた

ほんとに小さくて大人二人しか乗れないのだがそれが楽しい

十年前の写真を引っ張り出してあの時間を思い出した。
今日撮影した写真も十年後にそんな風に使ってもらえますように。
****
ふたたび2019年5月
村に降りて、有名な「つぐみ横丁」の店で

この時期ならではの白アスパラをいただきました↓


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「若返りの泉」クラナッハ と ゲメルデギャラリー

2018-02-13 22:31:34 | ドイツ
よれよれの老女たちが画面左から泉に入る↓

↓中央へいくにしたがいだんだんと元気になり・・・

右側で泉から上がる時にはすっかり若返って↓

右奥で開催中のお金持ちとの合コンの席につく

1546年、七十代のルカス・クラナッハが描いたこの絵は、当時は世界のどこかにあると思われていた「若返りの泉」を描いた作品。
今回のこのベルリン、ゲメルデ国立絵画館を見学している時に全員が興味津々となった。
洋の東西を問わず、時代も問わず、人間ならば誰もがちょっとは「あったらいいなぁ」と思う泉なのだろう。
**
これだけの名品が並ぶ美術館では、「名品と呼ばれる作品を全部見てやろう」などと考えること自体が間違っている。限られた時間でそれは不可能なのだから。
むしろ、何か一つだけでも、自分の気に入る作品に出会うほうが価値がある。

ゲメルデギャラリーは1960年代に建設された文化センターの中にある↓ベルリンの主要なミュージアムは当時は東側にあったので、西ベルリン地区にも文化的な施設が必要だと考えられ、建設された場所。


ここに飾られている絵画はもともと宮殿や邸宅に飾られていたもの。オリジナルの展示場所とは違う。

それはそれで仕方がないし、作品そのものを標本のように隅々まで観察することができるのは、こういった場所におかれているからなのだ↓
美術館の入口はこんな部屋↓




ルネサンス期の名作もたくさん所蔵されている↓

フィレンツェにある代表作「春」と同じ時期に、三十代の●ボッティチェリによって製作された「歌う天使と聖母子」

●マンテーニャ↓にはやはり師匠のベッリーニからの影響があるのだなぁとあらためて思う


ルネサンス期の作品をみてきた後で●カラヴァッジョの作品に出会うと、ある種どぎついリアルさにぎょっとさせられる。当時の人々がいただいた感覚とはこういうものだったのかもしれない↓

大量のコレクションを持つ美術館が作品群をそのように配置するかは腕のみせどころなのだ。

ヴェネチアの風景画家●カナレットは一見客観的な風景画↓今回、ウィーン、ドレスデンの両都市でもカナレットの描いたそれぞれの町が印象的だった




●フェルメールも所蔵している

●デューラーのデューラーらしくないカラフルな作品↓二十代半ばでイタリア絵画を見に旅した彼が、もろに影響をうけていたことが感じられる↓

三十代前半、未だ自分のスタイルを完成させる途上のデューラー吸収力

●ルーベンスのこの小品に描かれた子は、ウィーンのアルベルティーナで見た彼の息子にちがいない↓

弟子の手が入った大作注文品よりも、こうした小さな作品の方が彼本人の息吹がつたわってくるではないか

●レンブラント?「兜の男」は、1980年代までは真作とされていたが、その後弟子の作と断定されてしまった作品。2003年に来日した時に見て、真贋は知らず、好きな作品だと感じた↓

2007年に大阪でこれとそっくりの作品が見つかり、「こっちがほんもの?」との話も週刊誌に載ったが、真偽は不明。

いつも思うのだが、「真作・名作」とか「世界遺産」とか「ミシュラン★付」といったレッテルに惑わされずに自分の価値観でものごとを判じるのは、思うよりずっと難しい。
それは「思ったままを口にする」という事とは違うのだ。

****
一時間ほどガイドさんに解説していただきながら見学。
その後、併設のカフェで軽食↓

どんな場所でも、見所を全部まわるなんてぜったいに無理なのだ…誰でも物事をやり残したままで、いずれ去っていかねばならない。クラナッハの描いた「若返りの泉」など存在しないのだから。


ミュージアムショップ↓



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