旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

イーエスコー城を見てからコペンハーゲンへ

2017-05-28 20:30:12 | デンマーク

午後、オーデンセからコペンハーゲンへ向かう。せっかくだからフュン島でいちばん人気のある古城へ寄っていく事にした↓ 

茅葺屋根の家、よく手入れされています

★イーエスコー城は16世紀はじめからの城、駐車場から広大な庭をあるいていくと・・・

どーんとその姿を現す↓

こういった古城をいろいろなところで見学するが、内部には何もない廃墟になっている事が多い。

この城はまったくちがって、暮らしがずっと継がれている。いくつものちがったファミリーの変転を経ているが、ずっと人が住み続けている稀有な城なのだ。

お客を迎えただろうサロンには、虎の皮が誇らしげに飾られている。20世紀前半まで、狩りは貴族の大事な遊びだった↓

こちらは最初の持ち主のお姿⇒

今もお住まいの方?↓

いえいえ、これは先々代の蝋人形↑どんな雰囲気でくらしていたかよくわかります。

食器にはちゃんとイニシャルや家紋が↓

城の屋根裏部分から外が覗ける↓

元は厩舎だった建物がカフェテリアになっていた↓

サンドイッチを注文したら、こぉんなに大きくてびっくり↓

敷地内には子供たちが一日遊べるような遊具もある↓

菜の花オイル売ってたので買いました↓

古い城と広大な敷地をよく手入れし、観光地として繁盛させているイーエスコー城であります↓

****

フュン島の東端ニューボーから二十キロも続く橋を渡る↓

二時間ほどでコペンハーゲンに入る。チボリ公園が直営ではじめたホテルができていた↓

****

ホテルにチェックインして、夕食にデンマークらしい食事、ということでこのお店↓

前菜にニシンのいろんな漬物と黒パン↓

こんな風に食べます↓

メインコースに「デンマーク・ステーキ」、ハンバーグですけど、これがおいしい↓

 

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オーデンセの夜と翌日の街歩き

2017-05-28 12:51:53 | デンマーク

オーデンセの老舗レストランDen Gamle Kroの白アスパラは、お勧めだけのことはあった↓

 

 

しゃきしゃき感があっていままで食べた中でも指折りの白アスパラ↑

 

オレロップ体操アカデミーで一日過ごし、オーデンセへもどった。20時から三組のデンマーク人ご夫婦と遅めの夕食七時間かけてつくったというお肉↓ちょうどよく赤みが残っている

 

 

もちろんデザートも  22時半でもまだ明るさの残るレストランの外観↓

 

 

5月末の北欧、オーデンセの古い町並み↓

 

 

****翌朝

 

オーデンセの町を徒歩で案内していただく。アンデルセンにまつわる話が主になる。旧市街地面には「アンデルセンの足跡ルート」が描かれていて、これをたどると便利↓

 

 

↓この木造の建物は貧窮院で同時に貧しい子供たちへの教育も行っていた。アンデルセンは小学校レベルの教育をここで学んだとされている↓

 

 

靴職人だった父は十歳の頃に亡くなり、母が洗濯婦をして彼を育ててくれた。寒い日には酒の力を借りることも多くて、だんだん身体をやられていったらしい。古い家の並ぶ突き当りにある川岸。ここも仕事をしていたといわれる場所↓

 

 

 

「生まれた家」は、アンデルセン博物館のある場所だが、二歳から十四歳まで住んでいた家も博物館になっている↓ちょうど修復中↓実際にはこの家の半分だけが彼の住んでいた場所↓

 

 

オーデンセ市庁舎↓貧しい出自をほとんど語らなかったというアンデルセンだが、60歳を過ぎてからオーデンセの名誉市民に認定された。この市庁舎のバルコニーから市民に向かって挨拶したとされている↓

 

 

アンデルセン博物館ホールに描かれた絵の一枚はその時の様子だというのだが、なんだか違うような?↓絵の場所、ちょっと調べてみたいとおもいます。ホールはこんな雰囲気。アンデルセンの生涯を代表するシーンが描かれている⇒

 

 

****アンデルセン博物館は日本人建築家・隈健吾さんによって新しくされている途中↓

 

 

有名人になってからのアンデルセンは、自分の写真を百二十枚以上撮らせたそうだが、そのほとんどは彼の希望するように捕れていなかったようで、ボツになっていた。身長だけは185㎝もあったアンデルセンだが、自分自身の容貌にはコンプレックスを持ち続けていた。だからこそ、自分自身の姿をよりよく留める一枚の写真を残したかったのだろう↓

 

 

アンデルセン博物館からそのまま「生家」に入ることができる。

 

『意外と広いわねぇ』とつぶやく方もあるが、七部屋に五世帯の家族が暮らしていたという場所なのであります↓父親の靴工房が再現されていたが、こんな余裕ある場所ではなかったはずである↓

 

 

今年新たに展示されるようになった、新しい切り紙が展示してある↓

 

 

 

※これらについては⇒こちらからお読みください

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オレロップ体操アカデミー訪問

2017-05-27 18:30:52 | デンマーク

日本のラジオ体操に影響を与えたデンマーク体操。それを継承する総本山がこのオレロップ。エキジビションの準備体操をする姿を見て、ほんとに似ていると感じた↓



***今日は年に一度の同窓会、1920年創立だから様々な年代の同窓生が集まる。


我々を迎えてくれたステファンさんは現役教師最古参組。「おひさしぶりです」と、多くの卒業生が挨拶にやってくる。カフェテリアの昼食には子供たちもたくさん。卒業生が家族とやってきている。和やかな晴れた土曜日↓



★国旗の入場からはじまり、全員が起立。客席の年長組も、多くはかつて演じる側の一人だったのか↓



オレロップ体操アカデミーは、デンマーク国民学校のひとつとして1920年に創立。国を代表する体操教育機関である。


びっくりするような演技が次々に披露されるが、競技体操ではない。個々人の能力に合った発表がされている↓



第一部、卒業生の発表が終わり、我々はかつての校長執務室で休憩。今日は天気が良いからデンマーク人は屋外の太陽の下を好む。日本人は屋内を好む。★この執務室の初代の主、創立者のニルス・ブックの肖像画がかけてある↓



彼は学校の敷地内に住んでいたから、人生すべてを捧げていたと言っていいだろう。明るい部屋には、ここにもクリントのデザインしたライトが吊り下げられている↓



過去を記憶する品々も展示されている↓これは?指揮棒ですね。ムチじゃありません(笑)



たくさんの蔵書の中に、つながりの深い日本のものもあった↓



ここでニルス・ブックと出会った小原國芳の言葉が、一冊の本に寄せられているのを見つけた。昭和五年に日本に招聘した想いがつづられている↓体操だけでなくスキーの教育・普及にも尽力されていた↓



ニルス・ブック、小原國芳、二人の想いは確実に現代にも継がれている。


※玉川学園のホームページに、二人のつながりを解説したページがあります


校内には創立当時からの場所も多く残っている。この、今となっては少し小さめの体育館↓



どこかブダペストの温泉を思い出させる温水プール↓時代を感じさせるデザインです↓



留学していた二十代のTさんは、このプールで10キロメートル遠泳を完遂したのだそうな。


現在の校長先生があいさつに来てくださった。記念の額をプレゼント学校の運営にはお金がかかる。それを捻出する手腕が求められる立場。彼の代になって、企業からのサポートも増えたのだそうな。庭にたつモニュメントもその代わりに設置されたとか⇒


大きな、現在の体育館にはすばらしい最新設備が用意されている。トランポリンで遊ぶ子供を前に、かつての卒業生だろうお母さんは、昔を思い出してついつい演技?↓



****第二部、エリートチームのモダンダンス↓演劇的・美術的要素が強いのもデンマーク体操の魅力↓



最後は屋外プールで高飛び込みの、ちょっとしたショー。ほんとに晴れてよかった↓



「IKKE UDEN RISKO」とは? 


 

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デンマーク人の豊かな暮らし

2017-05-27 11:00:53 | デンマーク

オーデンセの旧市街ど真ん中のホテル。目の前の広場で土曜日の朝市。新鮮な野菜をたくさん売りにきていた↓真っ赤なのはルバーブ↓ 日本ではそれほど見かけない、北部ヨーロッパらしい野菜と言えるだろう。

注目したいのは、どの札にも「デンマーク産」と目立つように書かれていること↑

ほかの店でも、産地をはっきり示すことが義務になっているようだ↓南アフリカ産のグレープフルーツ、メキシコ産のライム、コスタリカのパイナップルなどなど…↓

流通が発達した現代では、高く買ってくれる国においしい品物が集まってくる。生活の質にこだわるデンマーク人に受け入れられた品が、少々高くても求められているのだろう。

**09:15ホテルを出発。菜の花と青空の中を南へ向かう オレロップの体育アカデミーで、Tさんの同級生だったというステファンさんと学校の前で待ち合わせ、ご自宅へ伺った。昨年、森の中の家から海の近くのこの家に引っ越された。大金持ちというわけではない方だが、海へ向けて開けたこのご自宅↓

日本人ならここまで家の中が見えてしまう生活は出来ないかもしれない↓

ほとんど、カーテンというものがかかっておりません

朝十時半、ちょっとお茶の時間となる↓ 地元で迎えてくださる方があると、ただ外から写真だけ撮るのでは見えてこない、デンマーク人の豊かな暮らしがしみじみ感じられる。

家自体は1960年代のものだという。この張り出した部屋はまえの所有者が付け足したそうだ。ステファンさんはさらに庭へのウッドデッキを自分で日曜大工したそうだ。↓この露天風呂も自作↓

拾ってきた流木に手を加えてオブジェにして飾ってあったり、器用にいろんなものを自作している。デンマークでは珍しくないことだそうな。

隣の家は手間のかかる茅葺屋根↓柵や塀などない。その先の海まで歩いてみよう↓

海の中に立てられた杭は何? 夏場に船に乗り降りするための桟橋を、近所の人たちでとりつけるのだそうだ↓

***

12時にオレロップ体育アカデミー学校へ行くのだが、その前に学校の創立者であるニルス・ブックのお墓を見てみたいとお願いした。町の小さな教会の前庭墓地にある↓

 小松は、このデンマークの旅を依頼されるまで、ニルス・ブックについて何も知らなかった。今回オレロップを訪れるにあたり、玉川学園創立者の小原国芳とニルス・ブックの関係を読んで、ちょっとした感慨があった。この二つの学校は、自国の将来を深く考えた二人の人物が、国は違えど共鳴する理念を唱えてはじまった。その理念に賛同してくれる人・特に資金を出してくれる人をまとめあげて実現していったものだったのだ。

ニルス・ブックの遺志を継ぐ人々によって、オレロップ体育アカデミー(国民学校のひとつ)は、デンマーク指折りの教育の場でありつづけている↓

今日はオレロップの、年に一回の同窓会。模範演技もみられる。楽しみに向かう(^.^)

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オーデンセに到着の午後

2017-05-26 20:26:00 | デンマーク

オーフスを出たリムジンは海峡の橋をすいすいと渡り 一時間半ほどでオーデンセの町に入った。

オーフスはアンデルセンの故郷。家の壁に描かれた、お気に入りのシルクハットをかぶった横顔が迎えてくれた↓

宿泊は町の中心のここ↓アンデルセンの生家からもすぐ。入口でアンデルセンが座ってます(^.^)

自然光の入るあかるいロビー↓昼間は「無料のアイス」の入ったBOXがおいてあるんです(^.^)↓

このホテルはすべてアンデルセンのお話がテーマになっている。ホテルの廊下によって、ちがったお話の絵がかけられている。これは、「大きなクラウスと小さなクラウス」↓

これは「火打ち箱」↓に出てくる、銀の箱の上に座っている「目が水車ほどもある犬」ですね(^.^)↓

これらの絵のおかげで、似たようなホテルの廊下を迷わずに部屋に戻れた(^.^)

今回の旅のきっかけをつくってくださったTさんの友人オーネさんがご挨拶に来てくださった。日本から持ってきた富士山の写真をさしあげる⇒オーネさんは、明後日の朝にオーデンセの町を案内してくださることになっている。地元出迎えてくださる方があるのは嬉しいことですね。

陽が長いこの時期、夕食かねてオーデンセの古い街を散歩した↓今日オーフスで訪れた「デンマークの明治村」にあってもおかしくない古くて美しい低い屋根の家が夕陽に照らされている↓

あ、ここにもアンデルセン↓

彼はひょろっと背は高かったが、長い鼻の自分の顔にずっとコンプレックスを持ち続けていた↑

 マンホールのふたまでアンデルセン⇒

明日の夜にデンマークの友人たちとの会食に予約したレストラン↓なんと17世紀からなのだ↓

ガイドブックに載っていなくても↓ちょっと見てみたい博物館はある↓

オーデンセという町の名前は、北欧神話の神「オーデン」からきている。町の紋章↓

夕食に選んでくださったのは、「ナイト・ウォッチャー」がベースにしていた昔ながらのパブレストラン↓

メニューにあった「ナイト・ウォッチャーズ・シチュー」がこれ↓塩味はつよいけれど、美味↓

アスパラもあったので注文。野生のものらしく、こぶりです↓

明日も良いお天気だそうです(^.^)

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