朝、ルーアン旧市街徒歩観光。午後はMSM(モン・サン・ミッシェル)を観光しそのままMSM近くのホテル泊、という一日。
**8時過ぎ、八月というのに暑くない気持ちよい朝である。まだ店も開いていないひっそりした旧市街を歩いて見学するのは楽しい。ジャンヌ・ダルクが火刑に遭った「市場広場」から歩き始め、名物の大時計の下をくぐり、フランス最大の尖塔を誇る大聖堂前にやってきた。
均整が取れているとは言えないが、圧倒的な迫力で視界全体に立ちふさがる大聖堂。
大聖堂の目の前に、現在はツーリスト・オフィスとして使われている下の写真の建物がある。この二階部分でモネが四ヶ月間大聖堂の連作を描いていた。※この並びの別の建物いくつも使用した。
1893年、この建物は婦人服の店としてつかわれており、二階には試着室があったそうである。「変な男の人がいる」と苦情が出たので、婦人服店はモネに貸すのをいやがったが、二倍の家賃、やがて三倍の家賃まで支払ってまでここをアトリエに使っていたそうな。試着室としてもそのままで、衝立の向こうで大聖堂を描いていたモネである。
このルーアン大聖堂のファサードの連作を描いたのは五十代の半ば、名声も確立し経済的な余裕もできていた時期にあたる。
ルーアン市のオフィシャルガイドさんを雇っていれば、ここのカギを借りて中に入ることが出来る。
毎朝、ホテル・アングレテールから六時にはここへやってきて、多い時には九枚ものカンバスを並べて描いていた。つまり、時間の経過と共にだんだんととなりのカンバスへ移動していくというおもしろい方法で、毎日同じ時間の大聖堂を描く事ができたのだ。
全部で三十枚にもなる大聖堂の連作は、現在世界中に散っている。ルーアンにあるのはたった一枚。地元の裕福なコレクターが寄贈した中の一点として美術館に展示してある。
モネはまったく見たままに描いた。下記の絵の中でファサード上部の突起飾りに注目。下の写真で、現在は見られる飾りの部分が全く無い事がわかる。さらに聖堂左隅にへばりつくようにして建てられた小さな家が、描かれている。カリヨン職人の家があったのだ。
下はモネが見ていただろう同じ窓から見える大聖堂。