京都東山にある霊山観音。ここには学生時代よく来ていた。
歩いて、時にはバイクでやってきては大きな観音さんの前で京都の町を見渡していたものだった。
しかし、当時は明治維新の歴史などにはほとんど興味がなかったので、ここが維新の功労者達を敵味方の区別なく祀っている場所であるということなどちっとも知らなかった。
ほとんど山の斜面いっぱいに各出身地毎に墓や記念碑が並んでいる。
この場所に維新の博物館がある。※写真上
小規模だが見応えがある。
入り口近くには榎本武明や土方歳三が函館戦争にまでもって行った「東照大権現」と書かれた巨大なのぼり。
「坂本龍馬を切った刀」というのものまで展示されていた。
入場したのが閉館三十分前だったのであまりゆっくり見ても居られなかったのだけれど、かえって空いている館内を気ままに見て回ることができた。
品々もおもしろいが、往時のリーダー達の写真に興味をひかれた。
名前はよく知られた人々でも顔がすぐうかぶわけではない。
松平容保の若さに目が留まった。
長州をはじめとするいわゆる志士達が跋扈する京都の治安を回復するために、屈強な会津の武士を引き連れて京都守護職についたひとである。1835年生まれ、18歳で藩主となり徳川家にまっすぐな忠誠を捧げ(※後に孝明天皇直筆のご宸翰(手紙)もあったと判明するが)、京都へ来た時には28歳でしかなかった。
その若さと直情が、会津藩の運命を悲劇に導いていったのかもしれない、そんな風に思わせる、若すぎる肖像写真であった。
博物館の閉館と共に出ると、二年坂からの京都の夕焼けが心に染みた。
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歩いて、時にはバイクでやってきては大きな観音さんの前で京都の町を見渡していたものだった。
しかし、当時は明治維新の歴史などにはほとんど興味がなかったので、ここが維新の功労者達を敵味方の区別なく祀っている場所であるということなどちっとも知らなかった。
ほとんど山の斜面いっぱいに各出身地毎に墓や記念碑が並んでいる。
この場所に維新の博物館がある。※写真上
小規模だが見応えがある。
入り口近くには榎本武明や土方歳三が函館戦争にまでもって行った「東照大権現」と書かれた巨大なのぼり。
「坂本龍馬を切った刀」というのものまで展示されていた。
入場したのが閉館三十分前だったのであまりゆっくり見ても居られなかったのだけれど、かえって空いている館内を気ままに見て回ることができた。
品々もおもしろいが、往時のリーダー達の写真に興味をひかれた。
名前はよく知られた人々でも顔がすぐうかぶわけではない。
松平容保の若さに目が留まった。
長州をはじめとするいわゆる志士達が跋扈する京都の治安を回復するために、屈強な会津の武士を引き連れて京都守護職についたひとである。1835年生まれ、18歳で藩主となり徳川家にまっすぐな忠誠を捧げ(※後に孝明天皇直筆のご宸翰(手紙)もあったと判明するが)、京都へ来た時には28歳でしかなかった。
その若さと直情が、会津藩の運命を悲劇に導いていったのかもしれない、そんな風に思わせる、若すぎる肖像写真であった。
博物館の閉館と共に出ると、二年坂からの京都の夕焼けが心に染みた。
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