《手造の旅》初日、午後。
ケンブリッジ地区のハーバードから旧市街へもどってくる。時計の付いた印象的な建物は旧税関の塔。昔はすぐそこまで海だったのだ。ジョン万次郎もこの塔をスケッチしているそうな。
ファニエル・ホールはもともと1740年に二階建てで建てられた市場だった。ここで建国の英雄たちが演説を行った事で史跡のひとつになっている。※2004年には当時の大統領候補だったケリー上院議員もここで演説したそうな。
1806年に現在の大きさに改修された。当時から風見についていたのは「バッタ」。ガイドさんによればこれはロンドン商工会議所のトレードマークとのこと。
建物の逆側には、ここで演説したサミュエル・アダムスの立像。
しばらくいくと、植民地時代の議事堂がビルの谷間に埋もれている。
独立宣言が読み上げられた時、建物上部左右角にある一角獣とライオンは燃やされてしまったが、後世に再度取り付けられた。
建物の前にあるこの丸い印は、茶会事件に先立つ「ボストン虐殺事件」をあらわしている。
イギリスの兵士がボストン市民を銃撃した事件、なのだが、当時の事情を知ると、市民側がさんざん愚弄し暴力を加えた末の出来事だったそうなで、イギリス兵にも釈明の余地ありと思えた。
ガイドブックでは「この建物の一階の一部はマリン・ミュージアム・・・」と書かれているが、その一部の他がどうなっているか?
「ひとがひっきりなしに出入りしているので、よっぽど人気がある場所なんだなと思っていたら・・・
地下鉄の駅だったんです!」と長年ボストン在住のガイドさんのお話。
オールド・サウス・ミーティング・ハウスは1729年に清教徒の礼拝所としてつくられた。
当時は植民地でいちばん大きな建物で、1773年12月16日に植民地の人々が集まり「イギリスの押し付けてきた茶税には従わない」という決議をした場所。
↑このビルはボストン旧市庁舎。フリーダムトレイルの他の建物と比べてひときわ立派なのは1865年の(新しい)建物だから。
以前ここにはアメリカではじめて公立のラテン語学校があった。それを記念する石板が道路にはまっている。
そのラテン語学校で学んだ一人、ベンジャミン・フランクリンの立像台座には、有名なタコで雷を電気だと解明した時の絵が刻まれている。
建物の前にロバの銅像?
ロバは民主党のマーク。この前にある靴型に立ってロバを愛でるのでしょうか、いえいえ、靴型の下には共和党のマークである象が画かれております。
キングス・チャペルはなんだか武骨な建物。神殿風の柱も実は木材。
英国国教会の教会を建てるについては、清教徒たちからの大反対があったそうな。彼らの弾圧から逃れて新世界へやってきたのだから当然でしょう。
グラナリー墓地にはサミュエル・アダムスの墓をはじめ、建国の父たちが多く葬られている。
パーク教会は愛唱歌「America-my country 'tis of thee」がはじめて歌われた場所
※このyoutubeのサイトにて聴くことができます。
1829年にはじめて奴隷制度廃止への演説が行われた場所。
ここまでくればボストンコモン。今では公園だが、ボストンからレキシントンへ進軍する英国軍の集合出発地だった。州議事堂が金色のドームを見せている。
ここには巨大なリスたちが文字通りごろごろしていた
**
ホテルへ戻り、近くのモールへ。クリスマスの飾りが美しい。
ノンストップ便だからこそ、到着当日もこれだけ有効に見学することが出来たが、時差もあって少々お疲れ様。
ボストン名物のクラムチャウダーをくりぬいたパンの器に入れたものでも食べて、早く休みましょう。
写真はロブスター・ビスクです
ケンブリッジ地区のハーバードから旧市街へもどってくる。時計の付いた印象的な建物は旧税関の塔。昔はすぐそこまで海だったのだ。ジョン万次郎もこの塔をスケッチしているそうな。
ファニエル・ホールはもともと1740年に二階建てで建てられた市場だった。ここで建国の英雄たちが演説を行った事で史跡のひとつになっている。※2004年には当時の大統領候補だったケリー上院議員もここで演説したそうな。
1806年に現在の大きさに改修された。当時から風見についていたのは「バッタ」。ガイドさんによればこれはロンドン商工会議所のトレードマークとのこと。
建物の逆側には、ここで演説したサミュエル・アダムスの立像。
しばらくいくと、植民地時代の議事堂がビルの谷間に埋もれている。
独立宣言が読み上げられた時、建物上部左右角にある一角獣とライオンは燃やされてしまったが、後世に再度取り付けられた。
建物の前にあるこの丸い印は、茶会事件に先立つ「ボストン虐殺事件」をあらわしている。
イギリスの兵士がボストン市民を銃撃した事件、なのだが、当時の事情を知ると、市民側がさんざん愚弄し暴力を加えた末の出来事だったそうなで、イギリス兵にも釈明の余地ありと思えた。
ガイドブックでは「この建物の一階の一部はマリン・ミュージアム・・・」と書かれているが、その一部の他がどうなっているか?
「ひとがひっきりなしに出入りしているので、よっぽど人気がある場所なんだなと思っていたら・・・
地下鉄の駅だったんです!」と長年ボストン在住のガイドさんのお話。
オールド・サウス・ミーティング・ハウスは1729年に清教徒の礼拝所としてつくられた。
当時は植民地でいちばん大きな建物で、1773年12月16日に植民地の人々が集まり「イギリスの押し付けてきた茶税には従わない」という決議をした場所。
↑このビルはボストン旧市庁舎。フリーダムトレイルの他の建物と比べてひときわ立派なのは1865年の(新しい)建物だから。
以前ここにはアメリカではじめて公立のラテン語学校があった。それを記念する石板が道路にはまっている。
そのラテン語学校で学んだ一人、ベンジャミン・フランクリンの立像台座には、有名なタコで雷を電気だと解明した時の絵が刻まれている。
建物の前にロバの銅像?
ロバは民主党のマーク。この前にある靴型に立ってロバを愛でるのでしょうか、いえいえ、靴型の下には共和党のマークである象が画かれております。
キングス・チャペルはなんだか武骨な建物。神殿風の柱も実は木材。
英国国教会の教会を建てるについては、清教徒たちからの大反対があったそうな。彼らの弾圧から逃れて新世界へやってきたのだから当然でしょう。
グラナリー墓地にはサミュエル・アダムスの墓をはじめ、建国の父たちが多く葬られている。
パーク教会は愛唱歌「America-my country 'tis of thee」がはじめて歌われた場所
※このyoutubeのサイトにて聴くことができます。
1829年にはじめて奴隷制度廃止への演説が行われた場所。
ここまでくればボストンコモン。今では公園だが、ボストンからレキシントンへ進軍する英国軍の集合出発地だった。州議事堂が金色のドームを見せている。
ここには巨大なリスたちが文字通りごろごろしていた
**
ホテルへ戻り、近くのモールへ。クリスマスの飾りが美しい。
ノンストップ便だからこそ、到着当日もこれだけ有効に見学することが出来たが、時差もあって少々お疲れ様。
ボストン名物のクラムチャウダーをくりぬいたパンの器に入れたものでも食べて、早く休みましょう。
写真はロブスター・ビスクです