旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ボストン市内を歩く

2012-12-18 21:32:29 | アメリカ東部
《手造の旅》初日、午後。
ケンブリッジ地区のハーバードから旧市街へもどってくる。時計の付いた印象的な建物は旧税関の塔。昔はすぐそこまで海だったのだ。ジョン万次郎もこの塔をスケッチしているそうな。

ファニエル・ホールはもともと1740年に二階建てで建てられた市場だった。ここで建国の英雄たちが演説を行った事で史跡のひとつになっている。※2004年には当時の大統領候補だったケリー上院議員もここで演説したそうな。
1806年に現在の大きさに改修された。当時から風見についていたのは「バッタ」。ガイドさんによればこれはロンドン商工会議所のトレードマークとのこと。

建物の逆側には、ここで演説したサミュエル・アダムスの立像。


しばらくいくと、植民地時代の議事堂がビルの谷間に埋もれている。

独立宣言が読み上げられた時、建物上部左右角にある一角獣とライオンは燃やされてしまったが、後世に再度取り付けられた。

建物の前にあるこの丸い印は、茶会事件に先立つ「ボストン虐殺事件」をあらわしている。
イギリスの兵士がボストン市民を銃撃した事件、なのだが、当時の事情を知ると、市民側がさんざん愚弄し暴力を加えた末の出来事だったそうなで、イギリス兵にも釈明の余地ありと思えた。

ガイドブックでは「この建物の一階の一部はマリン・ミュージアム・・・」と書かれているが、その一部の他がどうなっているか?

「ひとがひっきりなしに出入りしているので、よっぽど人気がある場所なんだなと思っていたら・・・

地下鉄の駅だったんです!」と長年ボストン在住のガイドさんのお話。

オールド・サウス・ミーティング・ハウスは1729年に清教徒の礼拝所としてつくられた。

当時は植民地でいちばん大きな建物で、1773年12月16日に植民地の人々が集まり「イギリスの押し付けてきた茶税には従わない」という決議をした場所。

↑このビルはボストン旧市庁舎。フリーダムトレイルの他の建物と比べてひときわ立派なのは1865年の(新しい)建物だから。
以前ここにはアメリカではじめて公立のラテン語学校があった。それを記念する石板が道路にはまっている。

そのラテン語学校で学んだ一人、ベンジャミン・フランクリンの立像台座には、有名なタコで雷を電気だと解明した時の絵が刻まれている。


建物の前にロバの銅像?
ロバは民主党のマーク。この前にある靴型に立ってロバを愛でるのでしょうか、いえいえ、靴型の下には共和党のマークである象が画かれております。

キングス・チャペルはなんだか武骨な建物。神殿風の柱も実は木材。

英国国教会の教会を建てるについては、清教徒たちからの大反対があったそうな。彼らの弾圧から逃れて新世界へやってきたのだから当然でしょう。

グラナリー墓地にはサミュエル・アダムスの墓をはじめ、建国の父たちが多く葬られている。


パーク教会は愛唱歌「America-my country 'tis of thee」がはじめて歌われた場所
※このyoutubeのサイトにて聴くことができます

1829年にはじめて奴隷制度廃止への演説が行われた場所。

ここまでくればボストンコモン。今では公園だが、ボストンからレキシントンへ進軍する英国軍の集合出発地だった。州議事堂が金色のドームを見せている。
ここには巨大なリスたちが文字通りごろごろしていた

**
ホテルへ戻り、近くのモールへ。クリスマスの飾りが美しい。
ノンストップ便だからこそ、到着当日もこれだけ有効に見学することが出来たが、時差もあって少々お疲れ様。
ボストン名物のクラムチャウダーをくりぬいたパンの器に入れたものでも食べて、早く休みましょう。

写真はロブスター・ビスクです
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直行便にてボストン到着~ハーバードへ

2012-12-18 13:59:15 | アメリカ東部
《手造の旅》ボストン、NYC~コンサートとクリスマスの旅8日スタート。

JALがボストンへのノンストップ便を飛ばすときいて、このツアー企画をおもいたった。最新鋭機材B-787の特徴は翼の端がしなっている様なデザインであること

窓ガラスにシェードは、ない。

ボタン一つで曇りガラスに変わる。

「全然違う」のが、いちばん感じられるのがトイレだった。軽量の、大げさに言えば紙を固めたようなプラスチックである。


新鋭機材とは関係ないけれど、二回目の機内食はKFCとのコラボでした。
個人用スクリーンでいろんな漫画を楽しむことができるシステムはJALだけだろう。これには字幕もないようすだったし。自分のペースでよみ進められるのも漫画のよいところです。

**
ボストンは雨だった。そのせいか思ったほど寒くはない。トンネルをくぐって旧市街(ボストンはヨーロッパのようなこういう言い方が似合う)へ入っていくと、「ボストン茶会事件」の場所が見えた。当時のお茶を積んでいた船が再現されている。一時燃えてしまったのだが、再び姿をあらわしたそうな。

詩人の名前を冠したロングフェロー橋をわたって、ケンブリッジへ。この橋は途中に立っているこの建造物によって「ソルト・アンド・ペッパー橋」とあだ名されるのだとか。なるほど、塩コショウの入れ物に似てますね。

ハーバード大学には建築課もあるそうな。これら面白い建物はその成果?


こちら図書館の建造は1914年。あのタイタニック号に乗っていてご主人と息子を失い自分は生き残ることになった富豪の婦人が、息子の名前を冠して贈ったもの。


その向かい側にある教会はどの宗派にも属していないという。ここもまた世界大戦の時に従軍して命を落とした学生に捧げられている。
中の壁一方の全面は、その名前でうめつくされていた。
彼らは強制的な「学徒出陣」ではなく、自分の意志で従軍している。だから、医学生部門に特に名前が多い。

道路を渡ったところにあるさらに大きな建物は、今は講堂や食堂として使われているが、南北戦争の戦没学生を追悼するための教会だったそうだ。

内部へ入ると礼拝堂の雰囲気を感じさせてくれる。

建物にラテン語で「人間性」「勇敢さ」「慈悲」と刻まれているのは、なるほどそういう理由だったのだ。

ハーバード大学の学生であるということは、ただ単に頭脳が優秀であるという事だけでなく、その人格においても国のリーダーたることを求められているのだろう。

それは、今やアメリカというだけではない。世界中から学生たちが集まっている。近年は特に中国からの学生は多い。学生寮の窓に、こんな張り紙を見つけた。

2010年にノーベル平和賞を受賞した中国人・劉 暁波(リュウ・シャオボー)へのメッセージ、ということなのだろう。政治的なものと学問を切り離すというのは、簡単ではない。学ぶことは、自己の置かれた場所に目覚める事を意味するからである。

午後になって雨はあがったが、橋の向こうのボストンのスカイラインは、ご覧のように霧の中であった。
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