トラブゾンのNOVOTEL HOTEL朝食はパンが豊富。このあたりは小麦のかわりいにトウモロコシを使った黄色い生地のパンがめずらしい。
どれもおいしい(^^)
トルコ北東部は黒海からすぐに山になっている。大型バスで四十分走って、15人乗れるバンに乗り換えてさらに十分ほど。そこから15分こんな道をのぼって標高は1200mに達している。
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途中でカラデニズ(黒海)ケメンチュという三弦楽器を弾くおじさんに出会い
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かつてのスメラ修道院へたどり着く。高い岩の中に入り組んだ六階建ての建物が造られていたのだ。途中の道から見上げるとこんなふう↓
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内部は六世紀からに遡るフレスコ画に埋め尽くされている
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いわば本堂の天井には巨大なキリストと聖母マリア
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ともに少し黒っぽい顔をしている。スメラ修道院の語源は、ギリシャ語のメラス=黒だとされる。
フレスコ画は何度も上塗りされている。ここは14世紀頃のものか?
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壊れたところから、より古い筆致の絵が覗いていたり、場所によっては明らかに19世紀頃に描きなおしたと分かる部分も見える。ここは二十世紀初頭まで実際に使われていた。
伝説によると、十二使徒のひとり聖ルカが画いた聖母マリアの肖像画があったとされる。
1453年のコンスタンチノープル陥落の後も、ビザンチン帝国の最後の生き残りであるトラブゾン王国は1461年まで生き延びた。スルタン・メフメット二世直々に攻撃を受けて街は陥落したが、だからといってキリスト教徒が追い出されたりはしなかった。
オスマントルコの皇帝はイスラム教徒だが兄弟宗教であるキリスト教にもちゃんと敬意を持って接し続けている。
トラブゾン生まれのスレイマン大帝はじめ、多くのスルタンが修道院に寄進をしているほどに。
修道院がこんな廃墟になったのは、共和国トルコが成立した1923年。ギリシャ系の住民が強制的に移住させられた住民交換が起こった時である。
信仰する人々が追い出されてしまっては修道院は存続できない。
貴重な品々を持ち出せるだけ持ち出した後、「イスラム教徒の手におちるよりは」と、修道院を爆破したのは修道士であったということだ。※このあたりの話は修道院の英語版ガイドには載っていません。トルコ語の詳しく歴史を解説したものにだけ書かれていると、今回のガイドさんがはじめて教えてくれた。
今は雨ざらしになってしまったこの空間も、かつての写真ではたしかに屋根があった
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最も大切な、聖ルカによって描かれた聖母マリアの肖像画は、一キロ離れた聖バルバラ教会の地下に埋め隠されたそうだ・・・★この聖なる絵についての話は、こちらに書きましたのでお読みください。現地の英語版ガイドと、同行したトルコ人ガイドさんからの情報、および、後日ネットでの情報によります。
**
トラブゾンの街に戻り、バスは入り組んだ路地にはいっていった
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今回の小松のこだわりはビザンチン時代の聖エウゲニウス教会を見つける事。メフメット二世がトラブゾンを征服後、最初の金曜日(イスラム教徒にとっての聖なる日)に祈った場所とされ、現在イエニ・ジュマ(新金曜日)モスクになっているという。
前回来た時に入手していた現地のガイドブックを読んでいて、見ていただくに値すると判断した。
だが・・・その場所が正確にわからない。バスで入っていけるような場所にあるのかどうか・・・訪れやすい市街地なのかどうか・・・。そんな懸念を感じつつも、今回の真面目な運転手ガディシュさんは、巨像のようにどんどん路地にはいっていく。
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歩いている人の「こんなところに観光バス?」という視線を感じつつ、はらはらしていると、突然「あ!あれだ」と、直感する建物が見えた。
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いかにも元教会の雰囲気を感じさせるドーム。なにより、そのロマネスク的な後陣部分の形状が美しい。幸いすぐ前にバスを駐車可能。降りて入っていくと、ちょうどお祈りの時間がおわったところで、地元のおじさんたちが出てきたところである
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「中に入っていもいいですか?」「どうぞどうぞ」トルコでは異教徒がモスクへ入るのも、お祈りの時間でなければそれほど問題にされない。入ってすぐに、そこが教会だった頃の空気が感じられる。
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資料によると、ビザンチン時代に街を守った聖エウゲニウスに捧げられたバジリカスタイルだったが、後に手が加えられ、現在見られるのは13世紀のかたちだそうだ。建設材料には古代の神殿の意志も利用された形跡がみられる
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おもしろいのは、祭壇の場所。教会時代の主祭壇は東向きだったが、モスクになってからメッカの方向=南向きに変えられた↓
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トルコも東の端までくると、メッカは東ではなくほとんど南方向になるのである。
よって、教会時代の祭壇はなくなり、その場所の壁をぶち抜いて今の玄関がつくられているのである。
外部にはビザンチン時代コムネノス朝の頭が一つの鷲が彫られている
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****
モスク番のおじさんはちょうど街へ行きたかったのでバスに同乗することになった。
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バスはトラブゾンの旧市街へ向けてさらに坂を下りていく。
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途中、古い街が取り壊されている様子がそこここに見えてくる
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観光客にとっての「風情のある町」は、往々にして住民にとっては「住みにくい街」だったりするから、仕方ないのだが
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旧市街の中心部にある、もうひとつの主要な元パナギア・クリソケファーロス教会・現オルタヒサールモスクを訪問。
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前回入手した資料を読み込んでみると10世紀の教会以前にも教会があり、さらにその前にギリシャの神殿があった。やはり、入口にあるイオニア式の柱は古代からのものだと考えてよさそうだ。
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外部にもこぶりな柱が二本
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神殿だった時代からと思われる大理石装飾が壁にも残されている
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かつて主祭壇があった東側のアプスにむかって左右の壁。これと似たものはイタリアの古代神殿を利用した教会の壁でも見たことがある。
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ここは、コムネノス朝時代には戴冠式につかわれた、一番上位とされる教会だった。メフメット二世によって征服されたのち、最初にモスクに改称されたのもここだとか。前回、「最初に金曜礼拝をした」と書いたが、それは、今回先に訪れたイエニ・ジュマ・モスクだったようである。
****
昼食はどこも予約していない。繁華街の、この店でさらっと食べることにした。
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観光バスは混雑した街の中に堂々と駐車。めったに来ないだろう日本人団体さんのバスだから許していただいているらしい、ありがたいことです。
よっく見かける茄子料理イマム・バユルド(「坊さんが気絶した」の意)今日のはけっこう大きいです
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そしてケバブにバターライス、唐芥子添え。これにはヨーグルトドリンク=アイランがよくあう
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店にはトイレがなかったので近くのモスクのものを借りに百メートルほど歩いている時、偶然にもうひとつ見てみたいと思っていた元教会の建物が見えた。美しいロマネスク風の後陣。
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地元の資料にトルコ語でキュチュク・アイヴァジル、英語で聖アンナ教会だと書かれている。七世紀創建のトラブゾンで三つの重要な教会のひとつだったもの。現在見えるものは九世紀に改修後。
内部のフレスコは失われたが、南入口に9世紀ビザンチン帝国のバシレイオス一世時代とされる碑文が見られ、地下もあるとか。ううん、今回は閉まっていて、時間もなかったので見られませず、次回への宿題。
*****
街の西はずれ、海が見える高台にトラブゾンのアヤソフィアがある。
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ここは、数少ないトラブゾンを訪れるツアーでは必ず入っている場所だ。
1204年の第四回十字軍によって追われたビザンチン皇族が建てた。
先ほどのイエニ・ジュマ・モスクと同様の後陣を持っているのがよくわかる
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ここもモスクに改装されていたが、現在は元の教会の姿をした博物館になっている。
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柱頭のデザインはロマネスク風。セルチュクトルコの時代だからよく似た雰囲気がある
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内部、美しい基本構造と一部にフレスコ画が残されている。
庭には時代ごとの墓石。ビザンチン時代、モスク時代の墓石が分かれて展示されている。
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★小耳にはさんだ噂だが、現エルドゥアン政権がこのアヤソフィア博物館を再びモスクにしようとしているという。支持率の高いイスラム政党政権だからといって、そこまではやりすぎだと思う。このアヤソフィアの受付女性は何も知らなかった。デマでありますように。
**
黒海を右に見ながら、海からすぐの斜面にはヘーゼルナッツの林が延々続く。ひたすら走る。
途中のドライブインではヘーゼルナッツのペースト。
トラブゾンから東のリゼというところはお茶の産地
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四時間以上走って、サムスンに到着したころには夕暮れ
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ホテルはめずらしい日本からのお客さんを待ち構えてくれていた
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最後に出された甘い甘いかぼちゃのデザート
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どれもおいしい(^^)
トルコ北東部は黒海からすぐに山になっている。大型バスで四十分走って、15人乗れるバンに乗り換えてさらに十分ほど。そこから15分こんな道をのぼって標高は1200mに達している。
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途中でカラデニズ(黒海)ケメンチュという三弦楽器を弾くおじさんに出会い
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かつてのスメラ修道院へたどり着く。高い岩の中に入り組んだ六階建ての建物が造られていたのだ。途中の道から見上げるとこんなふう↓
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内部は六世紀からに遡るフレスコ画に埋め尽くされている
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いわば本堂の天井には巨大なキリストと聖母マリア
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ともに少し黒っぽい顔をしている。スメラ修道院の語源は、ギリシャ語のメラス=黒だとされる。
フレスコ画は何度も上塗りされている。ここは14世紀頃のものか?
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壊れたところから、より古い筆致の絵が覗いていたり、場所によっては明らかに19世紀頃に描きなおしたと分かる部分も見える。ここは二十世紀初頭まで実際に使われていた。
伝説によると、十二使徒のひとり聖ルカが画いた聖母マリアの肖像画があったとされる。
1453年のコンスタンチノープル陥落の後も、ビザンチン帝国の最後の生き残りであるトラブゾン王国は1461年まで生き延びた。スルタン・メフメット二世直々に攻撃を受けて街は陥落したが、だからといってキリスト教徒が追い出されたりはしなかった。
オスマントルコの皇帝はイスラム教徒だが兄弟宗教であるキリスト教にもちゃんと敬意を持って接し続けている。
トラブゾン生まれのスレイマン大帝はじめ、多くのスルタンが修道院に寄進をしているほどに。
修道院がこんな廃墟になったのは、共和国トルコが成立した1923年。ギリシャ系の住民が強制的に移住させられた住民交換が起こった時である。
信仰する人々が追い出されてしまっては修道院は存続できない。
貴重な品々を持ち出せるだけ持ち出した後、「イスラム教徒の手におちるよりは」と、修道院を爆破したのは修道士であったということだ。※このあたりの話は修道院の英語版ガイドには載っていません。トルコ語の詳しく歴史を解説したものにだけ書かれていると、今回のガイドさんがはじめて教えてくれた。
今は雨ざらしになってしまったこの空間も、かつての写真ではたしかに屋根があった
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最も大切な、聖ルカによって描かれた聖母マリアの肖像画は、一キロ離れた聖バルバラ教会の地下に埋め隠されたそうだ・・・★この聖なる絵についての話は、こちらに書きましたのでお読みください。現地の英語版ガイドと、同行したトルコ人ガイドさんからの情報、および、後日ネットでの情報によります。
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トラブゾンの街に戻り、バスは入り組んだ路地にはいっていった
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今回の小松のこだわりはビザンチン時代の聖エウゲニウス教会を見つける事。メフメット二世がトラブゾンを征服後、最初の金曜日(イスラム教徒にとっての聖なる日)に祈った場所とされ、現在イエニ・ジュマ(新金曜日)モスクになっているという。
前回来た時に入手していた現地のガイドブックを読んでいて、見ていただくに値すると判断した。
だが・・・その場所が正確にわからない。バスで入っていけるような場所にあるのかどうか・・・訪れやすい市街地なのかどうか・・・。そんな懸念を感じつつも、今回の真面目な運転手ガディシュさんは、巨像のようにどんどん路地にはいっていく。
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歩いている人の「こんなところに観光バス?」という視線を感じつつ、はらはらしていると、突然「あ!あれだ」と、直感する建物が見えた。
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いかにも元教会の雰囲気を感じさせるドーム。なにより、そのロマネスク的な後陣部分の形状が美しい。幸いすぐ前にバスを駐車可能。降りて入っていくと、ちょうどお祈りの時間がおわったところで、地元のおじさんたちが出てきたところである
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「中に入っていもいいですか?」「どうぞどうぞ」トルコでは異教徒がモスクへ入るのも、お祈りの時間でなければそれほど問題にされない。入ってすぐに、そこが教会だった頃の空気が感じられる。
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資料によると、ビザンチン時代に街を守った聖エウゲニウスに捧げられたバジリカスタイルだったが、後に手が加えられ、現在見られるのは13世紀のかたちだそうだ。建設材料には古代の神殿の意志も利用された形跡がみられる
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おもしろいのは、祭壇の場所。教会時代の主祭壇は東向きだったが、モスクになってからメッカの方向=南向きに変えられた↓
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トルコも東の端までくると、メッカは東ではなくほとんど南方向になるのである。
よって、教会時代の祭壇はなくなり、その場所の壁をぶち抜いて今の玄関がつくられているのである。
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外部にはビザンチン時代コムネノス朝の頭が一つの鷲が彫られている
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モスク番のおじさんはちょうど街へ行きたかったのでバスに同乗することになった。
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バスはトラブゾンの旧市街へ向けてさらに坂を下りていく。
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途中、古い街が取り壊されている様子がそこここに見えてくる
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観光客にとっての「風情のある町」は、往々にして住民にとっては「住みにくい街」だったりするから、仕方ないのだが
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旧市街の中心部にある、もうひとつの主要な元パナギア・クリソケファーロス教会・現オルタヒサールモスクを訪問。
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前回入手した資料を読み込んでみると10世紀の教会以前にも教会があり、さらにその前にギリシャの神殿があった。やはり、入口にあるイオニア式の柱は古代からのものだと考えてよさそうだ。
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外部にもこぶりな柱が二本
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神殿だった時代からと思われる大理石装飾が壁にも残されている
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かつて主祭壇があった東側のアプスにむかって左右の壁。これと似たものはイタリアの古代神殿を利用した教会の壁でも見たことがある。
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ここは、コムネノス朝時代には戴冠式につかわれた、一番上位とされる教会だった。メフメット二世によって征服されたのち、最初にモスクに改称されたのもここだとか。前回、「最初に金曜礼拝をした」と書いたが、それは、今回先に訪れたイエニ・ジュマ・モスクだったようである。
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昼食はどこも予約していない。繁華街の、この店でさらっと食べることにした。
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観光バスは混雑した街の中に堂々と駐車。めったに来ないだろう日本人団体さんのバスだから許していただいているらしい、ありがたいことです。
よっく見かける茄子料理イマム・バユルド(「坊さんが気絶した」の意)今日のはけっこう大きいです
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そしてケバブにバターライス、唐芥子添え。これにはヨーグルトドリンク=アイランがよくあう
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店にはトイレがなかったので近くのモスクのものを借りに百メートルほど歩いている時、偶然にもうひとつ見てみたいと思っていた元教会の建物が見えた。美しいロマネスク風の後陣。
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地元の資料にトルコ語でキュチュク・アイヴァジル、英語で聖アンナ教会だと書かれている。七世紀創建のトラブゾンで三つの重要な教会のひとつだったもの。現在見えるものは九世紀に改修後。
内部のフレスコは失われたが、南入口に9世紀ビザンチン帝国のバシレイオス一世時代とされる碑文が見られ、地下もあるとか。ううん、今回は閉まっていて、時間もなかったので見られませず、次回への宿題。
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街の西はずれ、海が見える高台にトラブゾンのアヤソフィアがある。
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ここは、数少ないトラブゾンを訪れるツアーでは必ず入っている場所だ。
1204年の第四回十字軍によって追われたビザンチン皇族が建てた。
先ほどのイエニ・ジュマ・モスクと同様の後陣を持っているのがよくわかる
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ここもモスクに改装されていたが、現在は元の教会の姿をした博物館になっている。
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柱頭のデザインはロマネスク風。セルチュクトルコの時代だからよく似た雰囲気がある
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内部、美しい基本構造と一部にフレスコ画が残されている。
庭には時代ごとの墓石。ビザンチン時代、モスク時代の墓石が分かれて展示されている。
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★小耳にはさんだ噂だが、現エルドゥアン政権がこのアヤソフィア博物館を再びモスクにしようとしているという。支持率の高いイスラム政党政権だからといって、そこまではやりすぎだと思う。このアヤソフィアの受付女性は何も知らなかった。デマでありますように。
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黒海を右に見ながら、海からすぐの斜面にはヘーゼルナッツの林が延々続く。ひたすら走る。
途中のドライブインではヘーゼルナッツのペースト。
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四時間以上走って、サムスンに到着したころには夕暮れ
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ホテルはめずらしい日本からのお客さんを待ち構えてくれていた
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最後に出された甘い甘いかぼちゃのデザート
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