旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

高知へ日帰り

2014-12-06 07:54:03 | 国内
空気は冷たいが、すっきりと晴れた朝11時前。
高知の海岸線が見えてきた。山が海近くまで迫る海岸線に小さな集落が寄り集まっている。
万次郎の村もこういう場所だったのだろう。
空港を降りてすぐの案内版。ひと目で見どころが把握できるこういう地図は役にたつ。
何気なく撮っておいたもののなかに、あとから符合するものが見つかった。左下のパラソルでアイスクリームを買っている絵がそれ。

桂浜で実際に売っているたのがこれ。アイスクリームではなく「アイスクリン」がただしい。

クリームではなくて、ジェラートとカキ氷の間みたいな食感。なんでも食べてみないとわかりません。
後日調べてみると、咸臨丸に乗ってアメリカへいった勝海舟や福沢諭吉が報告しているそうな。
こちらにメーカーの説明ページがありました←

昼食は地元で人気だという鰻へなぜホンモノの飛行機が置いてあるのか知りたくてHPにアクセスしてみたけれど、それは書かれておりまず。しかし、おいしかった理由がわかりました。
⇒かいど屋のHP
ストレスがある鰻はおいしくないんだ(・o・)

ここで、高知といえばやっぱりカツオでしょう、ということでお店に承諾を得て持ち込みで賞味させていただいたカツオがこれ。
たっぷりした身で、なにより外側の焼きがとても香ばしい。このほとんどを小松がいただいてしまいました。毎日召し上がっているという当地の方は「あぶらがのってたらもっとうまいきに」とのコメント。いや、小松にはじゅうぶん美味しかったですm(__)m

この写真は桂浜への高架。「あ、ここ見た事ある!」渡っている時、大学二年の時に大阪からバイクで四国ツーリングで訪れた記憶がよみがえったこの太平洋の青さが魅力駐車場には闘犬センターがあるそして、有名な海を見つめる龍馬の像高知の市内からは二十キロぐらいあるそうだが、昔の人はよく歩いたからそのぐらいはなんてことなかったんでしょうね。
前出の「アイスクリン」をいただき、浜を見下ろす神社まで上がる
「五色石」というのを、昔はこの浜で拾う事ができたが、今は尽きてしまったそうな。小松も記憶がある。売店で五色セットを売っていた記憶がある。なんなく拾ってみました(笑)
桂浜の上に位置する「県立龍馬記念館」へ。こういう場所を味わい尽くすには相当な時間が必要だが、とにかく自分の目で見て自分にとっての要点を見つけることが重要と思う。

●ジョン万次郎関係の書いたアルファベット一覧表2012年の12月にボストン近郊のジョン万次郎が育ったフェアヘイブンを訪れた。万次郎は十五歳の漁師だったから文字は書けなかった。彼がはじめて覚えた文字は、日本文字ではなくアルファベットだったのである。彼がこのアルファベットを習っただろう学校も訪れた。
★2012年の万次郎の育った町へ訪問した日記は⇒こちらからお読みください。

書簡がたくさんあったが、それぞれの文字が人の性格をもよく表していると感じた。
●たとえば木戸孝允が1866年に龍馬に宛てて書いた手紙のきっちりした書達筆というのはこういうものか、とおもう。
一方、龍馬の文字がこれ。
悪筆で知られた龍馬、木戸のものとくらべるとお世辞にも達筆とは言えないが、分かりやすく豪放で親しみやすい人柄だったのが感じられるではないか。

そして、現代の我々でも注釈と比べれば読める!書き出しの三行はこう。
「さしあげんと申した脇差しハ まだ大坂の使(つかい)がかへり申さず 故、わかり申さず」

木戸の手紙が読み下しと比べても全く読めなかったのにくらべて、現代の目からみても、龍馬はわかりやすいと感じる。

龍馬という人の魅力は、物事の本質をすぐに見てとり、それを簡潔に直裁に表現する力にあったと思うのである。そういう物言い・文章、目指したいですね。

●記念館の一番上の展望室からは湾曲した海岸線が見える。きれいだなぁ、と見ていたら、「そこの下の木の間に墓があるのみえます?あれは罪人の処刑場所やったとこで、唐丸籠に入れられた罪人があそこへ運ばれてきて首切られたんですろ」と説明してくださった。
言われなければわからないだろう。林の間に確かに墓石が長く連なっているのがみえる。

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★★★今回の最大の収穫はこの干し芋!
こんな甘くておいしい干し芋はじめてでした。「東山(ひがしやま)」と呼ばれているそうな。


※この干し芋については⇒こちらにもう少し書きました
コメント
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