旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

午前ベートーベンの「遺書の家」を見学、夜はオペラ座で「トゥーランドット」観劇

2020-03-01 12:39:09 | オーストリア
マツコ並みにデラックスなトゥーランドット姫(右から四人め)

※夜のオペラの様子をこちらに書きました

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ベートーベンが暮らしたホイリゲ(新酒ワイン村)を抜けて上がっていくと、ドナウ川を見晴らすカーレンベルグの丘に出る

ヨハン・シュトラウスの時代の「美しくあおき」あばれ川のドナウは治水工事の結果まっすぐ流れる二本の水路のようになっている↑
↑上の写真いちばん左に針のように立っているのが「ドナウタワー」。今日の我々のランチ場所。
↓カレンベルグの丘は17世紀にトルコによる「第二次ウィーン包囲」を打ち破る転機となった場所↓その記念碑のひとつ

トルコ軍に包囲されたウィーンの救援にポーランドからかけつけたヤン三世ソビエスキはこの丘に陣を置き、この教会で加護を祈った↓

当時の建物ではもちろんないけれど
↓壁にヤン三世の記念プレート

同じくポーランド出身のローマ法皇ヨハネ・パウロ二世がやってきた時の記念プレートもある
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二百年の後、この丘の中腹は「ホイリゲ」(~新酒を飲ませるのでこうよばれた。ドイツ語Heuteは「今」とか「今日」の意味)酒場が集まる場所となっていた。そこにあるパン屋の一角にベートーベンが住んでいた↓

↓壁の一角には当時の看板絵がのこされている↓

ボンから出てきて十年。ピアノの名手ではあったけれど、まだ何者でもなかった。
当時のボンの様子↓フランス革命の激動がヨーロッパ中に波及している時期

↓当時のウィーンのイメージ


長男の重責を背負い、しかし難聴がすすんでいた三十歳そこそこのベートーベンは(出さなかったけれど)遺書まで書いたのだった。
↓下の写真右側のピアノの上におかれた大きな覆いは、ここに頭をつっこめば難聴でも音が聞こえるとつくった品↓

ほかにも歯で噛んで音を聞く道具など、苦労の品々がたくさんてんじされている。
↓デスマスク?かと思ったら、生きている時にとられたものだった↓なぜこれを?

解説によると、ピアノメーカーの宣伝のために頼まれてとったのだそうな。
「ベートーベン先生も愛用する!」というようなコピーとともにピアノの横におかれていたイメージですね(^.^)

↓コーヒー好きで、自分で入れるときには豆をきっちり五十粒かぞえていたんだとか


この家の近辺は歴史ある修道院・教会もある


この丘のあたりを歩いて六番「田園」の構想を得たと言われているので、近くにこんな像もおかれている↓


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本日の昼食は「ドナウ・タワー」にて

足元からみあげると↓さすが高さ二百五十メートル

↓途中の高さ百七十メートルの位置にあるレストランへ四十秒ほどであがってゆく

展望台から階段をあがるとすぐにレストラン↓

こういう回転レストラン、一時は世界中で流行った↓
ここも1964年に国際ガーデンショーの記念としてオープンしたのだそうだ。
リニューアルしても当時の雰囲気がつたわってくる↓三十分ほどで一周する感じ
なかなかの絶景が楽しめます↓楽しめたのは景色だけではない。
食事も「観光用レストラン」の質をはるかに超えていた。
↓前菜のサーモンとビーツのサラダ

メインコースには超厚切りのローストビーフ

ボリュームがあるということではなく、素材の質も料理法も味付けも最上のものだと感じた。

日本人には多すぎる量ではあるだろう。
しかし、ツアー用に量を減らすオーダーをうけるようなことをしない店であることは、味にも妥協しない証明である気がする。
自分たちの味に誇りをもつみせならば、「外国人だし量を食べないからこのぐらいでいいよね」という対応などしない。
ほんとうにおいしい二品でした。
ここの料理ならまた食べたい。

コメント
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