旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ドレスデン二年後の再訪

2020-03-04 16:27:26 | ドイツ

マイセン磁器製の102mの壁絵「君主の行列」
↓これは連合軍の爆撃にも無傷だった

最初は1876年にスグラフィートで画かれたものだったが、1906年にマイセン磁器タイルでつくりなおされたもの
↓行列の最後に磁器製作者が参加しておりますとさ(^.^)↓

※アウグスト二世の乗った馬がバラの花を踏んでいることについては2018年のブログに書いております。ラファエロの画いたほうづえをつく天使のあるので有名なドレスデン絵画館についても書きました。

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2018年に訪れたのは一月末だったからか、三月に入っている今回はずいぶん暖かく感じる。
聖母教会も青空の下ずいぶん明るく映る

二年前に神秘的に見えた堂内も、今日は光にあふれている↓

連合軍の空爆で瓦礫と化した以前の教会のドームにあった十字架も↓

↑今回新たに知った事
二階にあたる部分にガラスのはまった部屋がぐるりと囲んでいるが、これらはドレスデンのお金持ちファミリーが使っていた部屋。
※2018年1月に訪れた時の写真をこちらからごらんください




★ツヴィンガー宮殿の中庭にはじめて見る白いドームがあった↓

↓きけば、1719年にアウグスト二世(強王)が、息子のアウグスト三世の結婚式に催した祭典の様子をヴァーチャル再現した期間限定展示だという↓

三十分ほどの自由時間に観ることにした。料金3ユーロ、実質上映時間12分↓

おぉ、言葉が分からなくてもかなりリアルに楽しめる(^.^)
今も見られる「ポーランドの王冠」⇒2018年に撮影
ツヴィンガー宮殿にはマイセン磁器にまつわるおもしろい展示もたくさんある。
良いガイドさんともお知り合いになれたことだし、ドレスデンに宿泊して博物館もゼンパーオペラでの催しも楽しめる旅、つくってみたいです。
***
ツヴィンガー宮殿は「催物会場・展示場」であったが、実際に住んだのはこちら↓レジデンツ

中庭に覆いがかけられて通り抜けもできる展示空間になっている

となりの長方形の中庭は、中世に騎馬試合が行われていた場所↓としてはヨーロッパ最古だそうな↓

↑二本建てられたポールはそこを基準にして長槍を抱えた騎馬武者の試合が行われていた証拠。
向かい合って突進してきて、出会いがしらに相手を突き落とそうとする試合であります。
↑面しているルネサンス風スグラフィート装飾のある建物は厩(うまや)。常時百三十頭もの馬が用意されていたそうである。

午後四時、ベルリンへ向かって出発
カナレット1720-1780(ヴェネチアの風景画で有名なカナレット1697-1768の甥)が画いたのと同じように、ドレスデンの旧市街がエルベ川に映っていた

↓こちらが1750年ごろにカナレットが画いたドレスデン。昨年ドレスデンの絵画館で見ました。

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絵画館付属の「アルテ・マイスター・カフェ」でのランチ。
たいへん質が良く、量的にもそれほど多すぎずほどよい。
今回は我々だけのためにお昼にあけてくれていた。

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ゼンパーの美しきオペラ座

2020-03-04 15:51:52 | ドイツ
ドレスデンのオーパー(オペラ座)は噂どうりの美しさだった。

19世紀前半の馬蹄形型劇場のなかでもっとも美しいものとされている

火災や戦災で何度か建てなおされているが、ワーグナーが指揮者を務めていた1840年代の雰囲気が感じられる。

↓驚くのはこの座席の配置↓

真ん中にあるべき通路がない!
遅れてきた人が中席にはいるのはなかなかたいへん
だが、この座席自体は新しい。背中の穴が空調になっているのです↓

この座席をとりはらって舞踏会も行われるのだと、ガイドさんが写真をみせてくれた↓

設備は現代のものに換えたのに、全体のスタイルと装飾はゼンパー時代のものを踏襲しているのか。
新しい劇場にした方が舞台は確実に見やすいのに、それでも昔と同じように復元したいと思わせる魅力がこの劇場にはある。
↓こちらロイヤルボックス入口

この席に座るのならそれなりの服装が必要になるでしょうねぇ

ロイヤルボックスを一般客席から見上げると↓こんなに目立つ場所になるのだから

この座席にはザクセン王国(1806年~1918年)の国王も座った筈。
王国の紋章が舞台の上に大きく掲げてあるのが見える↓

**
「柱の林」と呼ばれる階段近くのエリア↓

これらの柱はホンモノの大理石ではなく

↓疑似大理石↓塗り上げていったものを磨いてこの文様をだす

戦前のものは少し色が薄く
戦後の再建の際のものは緑色が濃い↓

どうしても同じには出来なかったとうことだが

疑似大理石であっても高価で美しい装飾であるのは間違いない。
↓手摺の下のこの部分はホンモノの大理石なのだが↓

比べてみて、どちらが美しいかは歴然。
↓戦後の再建には木を使わずに、木のように見えるためにひとつひとつに木目を画いていった↓

ぱっと見、まったくわかりません

現在の概観は戦後に建てなおされた際のもの↓

戦争中に爆弾がど真ん中に落とされたのだが、外側・外観は幸い残されたので内部だけをすっかり新しくしていたのだ。
もしも爆弾が壁をも破壊していたら…ライプツィヒのように全く新しい演奏劇場として建てなおされていたかもしれない。
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