旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

プラハ城、旧市街

2020-03-03 18:55:33 | チェコ
16世紀のゴシック天井が今も美しい、プラハ城の広間。

当時は馬場になっていて屋内騎馬試合も開催されていたのだそうだ。
チェコは当時ボヘミア王国の首都。
王の三種の神器のレプリカが一室に展示されている↓

↓宝物は実際には白い塔に保管されているそうな


王宮の敷地でもっとも目立つのは聖ビート大聖堂↓
↓完成まで五百年もかかった建物で、16世紀当時は塔から右までしか完成していなかった↓

↓なるほど。左の門をくぐって中庭に入ると、入口の塔が近すぎるのはそれがためだったのか

ゴシックで統一された内部

↓入口から入って三つ目のステンドグラスを19世紀のミュシャがデザインしているのは、ここがその当時新しく建築された部分だったからである。

↓奥(東側)に行くほど古くなっていて
↓この木製のプラハの様子は1620年にハイデルベルグからこの地にやってきたプファルツ選帝侯フリードリッヒ五世が「白い山の戦い」に敗れて城を脱出するシーンが画かれている↓何度も見ていたが今回はじめて認識した


↓こちらは15世紀の礼拝堂

聖バーツラフの遺物が保管された14世紀の礼拝堂↓

**
トラムに乗って市民会館前まで移動し、旧市街広場まで歩く
↓左側が破壊されて空き地になったままの建物だが、塔には見事な仕掛け時計がはめこまれている↓

↓一時間に一度、地味だが動いてくれる

↓この塔は市庁舎の一部になっているのだが、塔から左へ四つの建物を買い取って市庁舎としてつかっているのだそうだ。

↓そのまた左に建てられた建物では「カフカ賞」の授賞式が行われる場所だそうで、2006年には村上春樹氏も訪れている。


↓カレル橋を渡ろう

ここから見上げる、先ほど訪れたプラハ城

教会がひときわ聳えている

↓橋にたくさんの彫刻が設置されていったのは18世紀以降バロックの時代。
少しひろくなったところは処刑場だったと解説された


カレル橋を渡りきってバスの待つ隣の橋までもすこし歩いた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トラム(路面電車)も使ってプラハ観光

2020-03-03 14:10:45 | チェコ
チェコ通貨一回券24コルナ=約一ユーロの切符を買って、プラハ城の下から15番のトラムに乗る

乗ったら忘れずに日時打刻しましょう↓検札はけっこうあるし、神様は見ているし(^.^)

次は市民会館のガイドツアー。大きなバスでは目の前に止まれないがトラムの停留所はすぐ近くで便利。
今回十人ちょっとの人数だから、便利なトラムを使えるのです。

プラハのトラムは五十年以上走っている古いものからごく最近の新しいものまで、いろいろなタイプが同じ路線を走っている。
↓十分ちょっとでもう到着

プラハ市民会館はもともと王宮のあった場所に建設された、他に例を見ない美しさを持つ建物↓

内部でいちばん有名なのは「プラハの春音楽祭」のオープニングで毎年「わが祖国」が演奏されるスメタナホールだろう↓

★2009年にこの場所で聴いた「プラハの春音楽祭」オープニングコンサートの様子をこちらに載せましたこの時はクラウス大統領も臨席、国の特別なイベントなのだというのがひしひし感じられた。
↓ステージ向かって左手の彫刻はドボルザークの「スラブ部局」をイメージしている

↓右手はスメタナの「わが祖国」をイメージ

やはりチェコの作曲家というとこの二人の名前がまずあがってくるのだ
↓市民会館内の絵にも二人が並んで描かれている↓右からの二人

「これは実際にはあり得ない絵で、スメタナをあの年齢で描いたらドボルザークは青年でなくてはならないのです」
と、ガイドさん。二人は二十才ほど離れているからそのとおりですね。

いわゆるアールヌーボー様式の時代の傑作

民族の英雄はもっと描かれている

これはヤン・フスという宗教改革者。ルターより百年早くカトリック教会の腐敗を訴えたが、1414年に火あぶりで殺された。足元に漂う火と煙がそれを暗示しているのだろう。
↓こちらは17世紀はじめの教育学者コメニウス

1990年ごろのチェコスロヴァキアの紙幣になっていて認識した。
「同じ年齢の子供たちに、同じように教育を与えることをはじめて説いた人です」というガイドさんの簡潔な解説ですっきり理解できた気がした。現代の我々があたりまえだと思っている事々も、ひとつひとつが先人の試行錯誤の上に確立されてきたものなのだ。
↓これらの人々が描かれた部屋は、この市民会館のいちばん重要な部屋となっている

↓変にゆがんだかたちをした部屋が角にあった↓

もともと古い王宮が火事で焼けた跡地をつかって建てられたので、ゆがんだかたちの土地の上にたっている。
角のところで調整しているのですな。アラブ風の小さな噴水をもうけてある↓

↓市民会館の正面左手に真っ黒な塔がある「火薬塔」と呼ばれている旧市街への城門で、今も市民会館内から内部へ入っていける↓ここが隣接した部屋だったのか

***
市民会館の見学後、旧市街を歩いてカレル橋を渡り(※別途写真載せます)、ホテルにチェックイン。
今日は夕食も市民会館内のフレンチレストラン(^.^)
夜景も美し(^.^)市民会館

建物内の三つのレストランでいちばん高級感がある

↓オニオンスープ

↓鱈の包焼き

↓レストランのイニシャル入りのデザート


★2018年の同様のコースでの様子をこちらからごらんください
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする