16世紀のゴシック天井が今も美しい、プラハ城の広間。
当時は馬場になっていて屋内騎馬試合も開催されていたのだそうだ。
チェコは当時ボヘミア王国の首都。
王の三種の神器のレプリカが一室に展示されている↓
↓宝物は実際には白い塔に保管されているそうな
王宮の敷地でもっとも目立つのは聖ビート大聖堂↓
↓完成まで五百年もかかった建物で、16世紀当時は塔から右までしか完成していなかった↓
↓なるほど。左の門をくぐって中庭に入ると、入口の塔が近すぎるのはそれがためだったのか
ゴシックで統一された内部
↓入口から入って三つ目のステンドグラスを19世紀のミュシャがデザインしているのは、ここがその当時新しく建築された部分だったからである。
↓奥(東側)に行くほど古くなっていて
↓この木製のプラハの様子は1620年にハイデルベルグからこの地にやってきたプファルツ選帝侯フリードリッヒ五世が「白い山の戦い」に敗れて城を脱出するシーンが画かれている↓何度も見ていたが今回はじめて認識した
↓こちらは15世紀の礼拝堂
聖バーツラフの遺物が保管された14世紀の礼拝堂↓
**
トラムに乗って市民会館前まで移動し、旧市街広場まで歩く
↓左側が破壊されて空き地になったままの建物だが、塔には見事な仕掛け時計がはめこまれている↓
↓一時間に一度、地味だが動いてくれる
↓この塔は市庁舎の一部になっているのだが、塔から左へ四つの建物を買い取って市庁舎としてつかっているのだそうだ。
↓そのまた左に建てられた建物では「カフカ賞」の授賞式が行われる場所だそうで、2006年には村上春樹氏も訪れている。
↓カレル橋を渡ろう
ここから見上げる、先ほど訪れたプラハ城
教会がひときわ聳えている
↓橋にたくさんの彫刻が設置されていったのは18世紀以降バロックの時代。
少しひろくなったところは処刑場だったと解説された
カレル橋を渡りきってバスの待つ隣の橋までもすこし歩いた。
当時は馬場になっていて屋内騎馬試合も開催されていたのだそうだ。
チェコは当時ボヘミア王国の首都。
王の三種の神器のレプリカが一室に展示されている↓
↓宝物は実際には白い塔に保管されているそうな
王宮の敷地でもっとも目立つのは聖ビート大聖堂↓
↓完成まで五百年もかかった建物で、16世紀当時は塔から右までしか完成していなかった↓
↓なるほど。左の門をくぐって中庭に入ると、入口の塔が近すぎるのはそれがためだったのか
ゴシックで統一された内部
↓入口から入って三つ目のステンドグラスを19世紀のミュシャがデザインしているのは、ここがその当時新しく建築された部分だったからである。
↓奥(東側)に行くほど古くなっていて
↓この木製のプラハの様子は1620年にハイデルベルグからこの地にやってきたプファルツ選帝侯フリードリッヒ五世が「白い山の戦い」に敗れて城を脱出するシーンが画かれている↓何度も見ていたが今回はじめて認識した
↓こちらは15世紀の礼拝堂
聖バーツラフの遺物が保管された14世紀の礼拝堂↓
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トラムに乗って市民会館前まで移動し、旧市街広場まで歩く
↓左側が破壊されて空き地になったままの建物だが、塔には見事な仕掛け時計がはめこまれている↓
↓一時間に一度、地味だが動いてくれる
↓この塔は市庁舎の一部になっているのだが、塔から左へ四つの建物を買い取って市庁舎としてつかっているのだそうだ。
↓そのまた左に建てられた建物では「カフカ賞」の授賞式が行われる場所だそうで、2006年には村上春樹氏も訪れている。
↓カレル橋を渡ろう
ここから見上げる、先ほど訪れたプラハ城
教会がひときわ聳えている
↓橋にたくさんの彫刻が設置されていったのは18世紀以降バロックの時代。
少しひろくなったところは処刑場だったと解説された
カレル橋を渡りきってバスの待つ隣の橋までもすこし歩いた。