旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

河口慧海の滞在したマルファ村

2020-07-19 13:32:42 | ネパール
2006年《手造の旅》ネパールより
圧倒的に青い、空の圧力。百年前の河口慧海もこの空の下を歩いただろう。

ゴンパ(チベット仏教の寺)からマルファ村を見下ろす。
三十三歳の河口慧海は1900年6月12日にこの村を出発し7月4日にチベットの国境にたどり着いた。

三か月滞在した家が記念館になっている。

百年前から基本的なカタチはそんなに変わっていないのかと思わせる

滞在中の慧海は中国人僧に化けるためにチベット語を懸命に学んでいた。
当時のチベットは朝貢国清朝崩壊前夜。半独立国状態で鎖国政策を敷いていた。
入国には中国人のふりをする必要があったのだ。

↑ポカラの山岳博物館にあった、日本を出発する時・三十歳ごろの肖像写真。
黄檗宗の僧として大学(東洋大学の元になった哲学館。井上円了にも出会っただろうか)にも学んだけれど、漢文から翻訳された日本の経典解釈に飽き足らず、原典を学ぶべくチベットへ赴く決心をした。

↑山岳博物館に展示してあった踏破ルート↑
インドのカルカッタで上陸しブッダ悟りの地ブッダガヤには寄り道し、ネパールに入っている。

↑カトマンドゥのボーダナートにあった1899年の彼のレリーフ。
これは、いつごろの姿をモデルにしているのだろう。

↑日本を出た時と同じ瞳の力はそのままに、文字通り地を這って道を求める迫力が加わっている。
**
2006年の《手造の旅》

ジョムソン・マウンテン・リゾートに荷物を置くとマルファ村を目指した。

カリガンダキ(黒い流れ)川に沿って歩く。

小さなシャン村を抜ける。

屋根には重い石が乗せられている。風が強い場所なのだ。

きちんとした暮らしがある







この先にアンモナイトの化石がごろごろころがっている場所があるときいた

ジョムソンからアンナプルナ山系をめぐるルートは山岳ツアーが多く訪れる。



鉄平石を切り出す仕事もある


マルファ村の入口



街の上にゴンパが見える

あそこまであがれば村が一望できるだろう



王宮での銃撃事件で亡くなった前国王夫妻の写真が飾られていた

経文が納められている箱。
近年こういうものが盗み出されることがよくあるのだそうだ。

冒頭の写真の眺めはここからのもの


ジョムソンへ戻る道、リンゴ畑は

河口慧海が歩いた当時はまだなかった。
1970年代から近藤 亨(こんどう とおる)氏がこの地の農業を劇的に変えたのだった。

りんご栽培はその象徴的なもの。

夕方になるといよいよ風が強くなってきた。
ジョムソン⇔マルファ村、往復五時間ぐらいはかかっただろう。

休憩で
「ホテルに戻る登り道はたいへんだなぁ」と話していたら、

ホテルからのお迎えが見えた(^.^)
ジョムソン・マウンテン・リゾートに夜が近づく

コメント
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