旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「ハッサンはいずれ帰る」再録

2022-03-03 08:35:18 | 旅行

ロシアがウクライナに侵攻した今、
2002年にドイツ・ハイデルベルグのホテルでポーターをしていたソマリア人のハッサンが言っていたことを思い出す。
2001年に公開された映画「ブラック・ホーク・ダウン」を観て、
※戦闘ヘリコプター ブラック・ホークが墜落して乗組員が虐殺された1993年の事件をもとにしている
ソマリアはアルカイダが暗躍するコワイところかと思っていた。
はじめてソマリア人のハッサンと話すまでは。



『「お前の国は危険だ。次に爆弾落としてやる」なんて言われたらどう思う?
アルカイダなんて見た事もないよ。どこにいるのか言ってみろよ。』
モガディシオ出身のハッサンはそう言った。

ドイツ・ハイデルベルグのとあるホテルにいつもにこやかに良く働く黒人がいて、
私は彼を見覚えていた。
重い日本人のスーツケースをたくさん運びながら
「はいぃ、コニチワぁ、ゼンブでにじゅうごこ、ソウデスネェ」
なんてニコニコ喋っている。
何年か毎に見かけるがその度に日本語が上手くなっていく。

ある日の夕方ホテルへ帰ってくるとそのハッサンが花壇に水をやっていた。
「君はどこから来たの?(英語で)」という私の質問に、
はじめは「私はドイツからきた!そうでしょ」と笑ってはぐらかしていた。
しかし私が何度も真面目に訊ねると、やっと真面目に答えた。
ハッサン「どこから来たと思う?」
小松「アフリカでしょう?」
ハッサン「モガディシオだよ。知ってるかい?、
   私はイスラム教徒だ。でもアラブ人じゃない。
   もう15年ドイツにいる。
   10年、ずっと税金を納め続けてきて、ドイツ国籍もとった。
   こっちで結婚した。」

ソマリアという国についてその時小松が知っていたことはわずかだった。
首都はモガディシオ。
国連の平和維持軍が駐留して、暫定政府を支えているということ。
アメリカが一時「飢餓から人々を救う」という名目で侵攻したけれど、
多くの犠牲を出して撤退した。
こんな事ぐらい。
過去の歴史も民族も知りはしなかった。

ハッサンは話しながらだんだんとエキサイトしてきた。
「アルカイダなんていないよ。見た事も無い。
それなのにアメリカは我々の国を爆撃しようというんだ。『平和の為』といってね。
ブッシュはちょっとここ(アタマをさして)おかしいよ。
ソマリアがアメリカに何かしたことがあったか?信じられないよ」

アメリカ軍が侵攻したら、
モガディシオの普通の人々は、
きっとアフガンの人のように、
突然わけもわからないで爆撃にさらされる。

ハッサンの親戚=私たちと同じような普通の人々が突然に戦場に放り出されるのだろう。
自分の家に突然爆弾が降ってくるのでは、どんな相手にでも憎しみを覚えずにいられない。

「そうだろうなぁ、ハッサン。君がアメリカを憎く思うのもわかるよ」

帰国後、ソマリアという国をしっかり認識していなかった私は、少々調べてみた。
すると、ソマリアは私が思っていたよりも、未だに苦悩深い状況にあることが分かった。
そしてなお、今日の日本の新聞にはモガディシオでの戦闘の事が載ってさえいた。
そうか、ソマリアはハッサンが国を出た15年前とくらべても状況は少しも良くなっていない。
少なくとも外国人にとって未だ相当に危険な状況である。
一般の人々とて、いつ内戦に巻き込まれるか分からない。
ソマリアは、映画「ブラック・ホークダウン」のモデルになった事実のように
充分アメリカとも戦った。ソマリアはとても普通じゃない。
だからハッサン、君もこうしてハイデルベルグに15年いるんじゃないか。

「ソマリアはとても人が住みたくなる国じゃないんだね。」
ハッサンはずっとドイツに住むのだろうと、
私は勝手に思い込んでいた。

小松「ハッサン。君はソマリアへ帰るのか?」
ハッサン「もちろんだ!なぜかえらないと思うんだ?」

そうか、どんな祖国であっても故郷に帰りたい。
今彼のいるドイツの方が、
祖国ソマリアの20倍も100倍も豊かであっても。

これから先ソマリアのことを耳にしたら、
私は必ずハッサンの事を思い出すだろう。
彼は私のはじめて出会ったソマリア人である。



コメント
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