ロシア上空を通れなくなって、パリまでは直行でも14時間のフライトとなった。
機内のフライトマップでは↑北上して折り返しているように見えるが、実際には北極海上から大西洋の北・ノルウェー海に入るルートを飛んでいる。
↑左上の巨大な白い陸地は世界最大の「島」グリーンランド↑そこからアイスランド島の北へ↑アイスランドの首都・レイキャビクの文字が見える。スコットランドからイングランド上空を通過してパリにむかっていた↑
*
JALの機内食はU-35 料理人コンペのファイナリストによるメニュー
↑「若鶏と蓮根のおこわ柚子の香り」
小松が大好きな蓮根のしゃっきり食感、キノコ、ニンジン、枝豆、柚子が和食らしさを強調。
↑左上の白いのは海老しんじょう、となりはサツマイモとレモン(瀬戸内海だからか!とあとで思った)、オクラ。
検索して、広島でCHILANという店をやっているドグエン・チランさんの考案だと知った。
※こちらインタビュー記事にリンクします
両親はベトナム難民だが東京生まれで日本語はまったく日本人。自分がルーツをベトナムに持っていることを誇りに思えた日々だけではなかっただろう。それを否定せず、他人に真似のできない長所にした人なのだ。
広島のお店、是非行ってみたくなりました(^^)
**
機内映画「エッフェル塔」は今年三月に日本公開。
パリへ行ってエッフェル塔を目にしない人はいないから、この映画ぜひぜひ見てから行かれるとよいでしょう(^^)
※こちらに映画評をもう少し書きました
機内映画、観たかった是枝裕和監督の「ベイビー・ブローカー」について書きたい、けれど、長くなりそうなので別の機会にて<(_ _)>
***
フランス時間、午後四時にパリ、ド・ゴール空港に到着。
冬らしい青空。
もう来られないかもしれないと思っていたパリに、今戻ってきた。
入国までの通路で目に入る広告のひとつひとつにさえ嬉しくなる↑「あなたが思っていたような旅へ」リゾートホテルグループの広告コピー。
JALの機内ではマスク着用が厳しく求められていたし、「空港でもマスクをご着用ください」とアナウンスされた。空港の廊下でも↑こんな表示がたくさんあるのだけれど…空港職員も旅客も九割はマスクをしていない。
入国審査を待っていると「どこからですか?」と声をかけてきたスタッフ。ぱっと見アジア系の雰囲気がしたので「君はどこから?フランス?」と応じたら、「両親はアルジェリアからだよ」と気さくに話してくれた。
1962年にド・ゴール大統領が実施した国民投票で独立を承認されたアルジェリアからフランスに移住した人は多い。独立前には100万人のフランス人が住んでいたのだ。彼の両親もそんな一人だったのかもしれない。
コロナ禍でベストセラーになったカミュの「ペスト」の舞台もアルジェリアだったっけ。
入国して、スーツケースをとって、バスへ向かうために屋外へ出た。
午後五時半をまわっているのにまだまだ明るい。
東京よりずっと陽が長い。
「ここ一週間ぐらいでぐっと日の入りが遅くなった印象ですね。朝はまだ8時でも暗いですけど」と、アシスタントさん。
ド・ゴール空港をでてすぐ夕方の渋滞にまきこまれ、平原に沈んでゆく夕陽をバスからながめていた。
パリの南東方向、シャンパーニュ地方の古都トロワに泊まる。
いつのまにか陽は暮れてあたりは真っ暗。
二時間ほど走って高速出口のカフェテリアで15分休憩。
ぱっと目についたアマゾンの宅配ボックス↑
パンは多彩なフランス↑みんなおいしそうだけれど安くはない。バゲットサンドイッチもキッシュも6,7ユーロ(日本円なら千円程度)はする。
↑クロワッサンやレーズン入りのパンひとつが350円ぐらい。
絵本がたくさんおいてあるのが楽しい(^^)
フランスやヨーロッパ全般のデザイン感覚はどこを切り取っても絵になる↑
****
シャンパーニュ地方の古都トロワの旧市街に入ってきた。
はじめて訪れる街はいろいろなかたちで下調べをするが、トロワはネットも観光局の資料も「木組みの家」と「ステンドグラス」ばかりだった。
しかし、今、実際に訪れて小松の第一の印象はこの運河。
トロワは中世から栄えた街だけれど、この運河があるということは18世紀後半から20世紀はじめごろまでは物流の拠点だったのだろう。少なくとも、ドイツのロマンチック街道にあるローテンブルグのような中世都市ではないのだ。
ミシュランのグリーンガイドには、16世紀からメリヤス産業で栄えて今も工場があると書かれていた。明日のローカルガイドさんとのウォーキングツアーが楽しみです(^^)
旧市街と新市街の境目にあるホテルに宿泊。
テレビをつけると、日本でもよくあるリフォームのビフォーアフターの番組をやっていた。
機内のフライトマップでは↑北上して折り返しているように見えるが、実際には北極海上から大西洋の北・ノルウェー海に入るルートを飛んでいる。
↑左上の巨大な白い陸地は世界最大の「島」グリーンランド↑そこからアイスランド島の北へ↑アイスランドの首都・レイキャビクの文字が見える。スコットランドからイングランド上空を通過してパリにむかっていた↑
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JALの機内食はU-35 料理人コンペのファイナリストによるメニュー
↑「若鶏と蓮根のおこわ柚子の香り」
小松が大好きな蓮根のしゃっきり食感、キノコ、ニンジン、枝豆、柚子が和食らしさを強調。
↑左上の白いのは海老しんじょう、となりはサツマイモとレモン(瀬戸内海だからか!とあとで思った)、オクラ。
検索して、広島でCHILANという店をやっているドグエン・チランさんの考案だと知った。
※こちらインタビュー記事にリンクします
両親はベトナム難民だが東京生まれで日本語はまったく日本人。自分がルーツをベトナムに持っていることを誇りに思えた日々だけではなかっただろう。それを否定せず、他人に真似のできない長所にした人なのだ。
広島のお店、是非行ってみたくなりました(^^)
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機内映画「エッフェル塔」は今年三月に日本公開。
パリへ行ってエッフェル塔を目にしない人はいないから、この映画ぜひぜひ見てから行かれるとよいでしょう(^^)
※こちらに映画評をもう少し書きました
機内映画、観たかった是枝裕和監督の「ベイビー・ブローカー」について書きたい、けれど、長くなりそうなので別の機会にて<(_ _)>
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フランス時間、午後四時にパリ、ド・ゴール空港に到着。
冬らしい青空。
もう来られないかもしれないと思っていたパリに、今戻ってきた。
入国までの通路で目に入る広告のひとつひとつにさえ嬉しくなる↑「あなたが思っていたような旅へ」リゾートホテルグループの広告コピー。
JALの機内ではマスク着用が厳しく求められていたし、「空港でもマスクをご着用ください」とアナウンスされた。空港の廊下でも↑こんな表示がたくさんあるのだけれど…空港職員も旅客も九割はマスクをしていない。
入国審査を待っていると「どこからですか?」と声をかけてきたスタッフ。ぱっと見アジア系の雰囲気がしたので「君はどこから?フランス?」と応じたら、「両親はアルジェリアからだよ」と気さくに話してくれた。
1962年にド・ゴール大統領が実施した国民投票で独立を承認されたアルジェリアからフランスに移住した人は多い。独立前には100万人のフランス人が住んでいたのだ。彼の両親もそんな一人だったのかもしれない。
コロナ禍でベストセラーになったカミュの「ペスト」の舞台もアルジェリアだったっけ。
入国して、スーツケースをとって、バスへ向かうために屋外へ出た。
午後五時半をまわっているのにまだまだ明るい。
東京よりずっと陽が長い。
「ここ一週間ぐらいでぐっと日の入りが遅くなった印象ですね。朝はまだ8時でも暗いですけど」と、アシスタントさん。
ド・ゴール空港をでてすぐ夕方の渋滞にまきこまれ、平原に沈んでゆく夕陽をバスからながめていた。
パリの南東方向、シャンパーニュ地方の古都トロワに泊まる。
いつのまにか陽は暮れてあたりは真っ暗。
二時間ほど走って高速出口のカフェテリアで15分休憩。
ぱっと目についたアマゾンの宅配ボックス↑
パンは多彩なフランス↑みんなおいしそうだけれど安くはない。バゲットサンドイッチもキッシュも6,7ユーロ(日本円なら千円程度)はする。
↑クロワッサンやレーズン入りのパンひとつが350円ぐらい。
絵本がたくさんおいてあるのが楽しい(^^)
フランスやヨーロッパ全般のデザイン感覚はどこを切り取っても絵になる↑
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シャンパーニュ地方の古都トロワの旧市街に入ってきた。
はじめて訪れる街はいろいろなかたちで下調べをするが、トロワはネットも観光局の資料も「木組みの家」と「ステンドグラス」ばかりだった。
しかし、今、実際に訪れて小松の第一の印象はこの運河。
トロワは中世から栄えた街だけれど、この運河があるということは18世紀後半から20世紀はじめごろまでは物流の拠点だったのだろう。少なくとも、ドイツのロマンチック街道にあるローテンブルグのような中世都市ではないのだ。
ミシュランのグリーンガイドには、16世紀からメリヤス産業で栄えて今も工場があると書かれていた。明日のローカルガイドさんとのウォーキングツアーが楽しみです(^^)
旧市街と新市街の境目にあるホテルに宿泊。
テレビをつけると、日本でもよくあるリフォームのビフォーアフターの番組をやっていた。