旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アヴィニョンでメリーゴーランドに乗る、市場を覗いて食材散歩

2023-02-11 12:46:09 | フランス
大人もほんとは乗ってみたい(^^)
アヴィニョン市庁舎前広場の常設のメリーゴーランド

正午になり、市庁舎の仕掛け時計を見守ったがやっぱり動かなかった。

広場に面してずらりと並んだお店のひとつでガレットやオニオンスープを食べた。

レトロな本格的なメリーゴーランドが明るい昼の光に輝いている。
「のってみたーい」

一回2.5ユーロだが、六回なら12ユーロ。旅の女性メンバー全員のれますね(^^)
もって帰りたくなるようなチケット

三分ぐらいまわったかしらん(^^)
**

法皇宮殿の裏側の路地を歩くと

↑建物の基礎はローマ時代のアーチだったとわかる。

突然開けた広場にあるサン・ピエール教会↑
ここは七世紀の司教でありアヴィニョンの守護聖人である聖アグリコラが葬られた場所。
1358年に再建され、1495年の鐘楼をもち、ファサードは1511-24年に完成。
※案内看板より
↓その扉に1551年にはめこまれた木製彫刻(アントワーヌ・ヴォラール作)は一見に値する↓

↑いかにものルネサンス彫刻↑
***
入口は修復中のレ・アール市場を覗いてみよう

↑肉売り場は大きく・いろいろな種類のいろいろな部位を売っている。日本人のサカナへのこだわりに似ている。

↑フランスはチーズの国↑

ポテトも多彩だが、ジャガイモは18世紀にパルマンティエが普及させたもの※2007年のブログに書きました

キノコ、おいしそう!

そのまま食べられる総菜も売っている。
ここでお昼もよかったかも(^^)

↑タプナードソース(黒オリーブとアンチョビなど)が目に留まった↑
味見して思わず買っちゃいました。けっこう塩分が濃いからオリーブオイルで薄めてハーブかバジルを足してパスタソースにしよう(^^)


街へ出て歩くと

↑不思議な寿司屋も目につく

↑本格的そうな日本的ラーメン屋さん

ギョウザ7ユーロ、ラーメン12ユーロ。
これを高いと思ってはいけない。
日本が安すぎるのではないかしらん。

↑向かいの店は日本関係の書籍などを積極的に扱っていた↑

↑こちらはアヴィニョンのお菓子屋さん

↑レモン菓子がいちばんの売り。南仏ですねぇ。
*****

南仏のシンボルのひとつは蝉↑日本のとはぜんぜん違う鳴き声なんですが。

ローヌ川沿いのバス駐車場に集合する前にしばし自由時間。
すぐちかくが有名な「アヴィニョンの橋」なので、ちょうど行く時間になる。

入場料を払うと日本語のイヤフォンガイドも借りられて、これがなかなか詳しいのです。

バスのところから橋の上を歩く旅メンバーを見ていたら、なにやらカラフルな格好の人物とお話してましたが…
こんなピエロさんだったのですね(^^)

バスの駐車場を出て、対岸の写真スポットへ向かう。
地元ガイドさんが道案内してくれたから行けたけれど、ハンガリーからのドライバーさんだけだったらむずかしかっただろう。対岸と書いたけれど実際は中州のビューポイントから、「アヴィニョンの橋」と旧法皇庁宮殿、ドンの岩山がきれいにみえた


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アヴィニョン~法王庁の建物はかつて

2023-02-11 10:37:48 | フランス
巨大な厨房の煙突だけは14世紀と変わらないのではないかしらん。

↑調理室とその煙突は↓下の写真大広間壁の右隅に見える小さな扉から入ったところにある。

アヴィニョンの法皇宮殿は今はがらんどう。

かつてはタペストリーが壁を飾り、祭壇も家具類もあっただろう。

巨大な宮殿がこんな状態になるとは、何があったのか?

↑壁に残る塗りこめられた窓がそのヒント↑

同じ場所を内側から見たところ↑
宮殿はフランス革命期に巨大な兵舎に改造されていた。
天井の高い空間は兵舎には必要なく、二つの床をつくって三階建てに分割されていた。

↑この巨大な礼拝堂も

↑かつては三階分割

↑正面のゴシック縦長窓もわざわざ三つに分割されている↑

この写真は1905年に14世紀法皇宮殿の姿をとりもどすべく改修工事がおこなわれていた時のもの↑
どれだけ大規模な改修がされていたのかがひと目でわかる。

↑礼拝堂入口に向かって右側の壁には↑かつて階段があった跡がはっきり残されている↑
五百年前の姿というのはそう簡単に「そのまま」に残らない。

↑一部にフレスコ画が残された部屋があるが、これらを復元するのにどれだけの苦労があったか。

↑壁に四角くはがれた跡があるのは後の時代になにか構造物がとりつけられていたからだろう。
↑はがされてどこぞの美術館に収蔵されて戻ってこない部分もある。

かつての床のタイル柄がおもしろい

↑これなんか「織部焼」みたい(^^)

シモーネ・マルティーニのフレスコ画は

そのシノピエ(下絵)がとなりに展示してあった。
フレスコ画の下に隠れているシノピエは一度はがされなければ見ることはできない。

つまり、一度はがされてしまったものなのである。
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アヴィニョン到着、翌朝歩きはじめる

2023-02-11 09:14:03 | フランス
有名なアビニョンの橋は途中で壊れたままになっている。

2023年2月10日、暗くなる前に「オクシタン」地区に入った。

今は南仏方言となったオック語を話すエリア、という意味。

アビニョンの城壁そばのホテルにチェックイン。

翌朝、ガイドさんと共に

城壁の中、旧法皇庁宮殿まで伸びる並木道を歩く

このリパブリック通りがアヴィニョンの目抜き通り。まっすぐな通りは革命後に建設されたのだろう。

途中にある作家フレデリック・ミストラルの胸像↓

「ミストラル」というと冬にこの地域に吹く強風のこともそういうが、
オック語もつかって文学作品を発表した郷土作家も同じ名前。

市庁舎↑その向こうに14世紀からの時計台↓

動かなくなって久しいようです。

↑ローマ法皇庁が「アヴィニョンの虜囚」だった時代に建設されていった宮殿。
1309年に、当時治安が悪かったローマ周辺から護るという口実でアヴィニヨンにつれてこられた法皇。
アヴィニョンはローヌ川に面した国境の片田舎だったが、
その後七十年のあいだにこんな法皇宮殿が建設され、発展した。
現在でも夏の演劇祭が行われる文化芸能の街になっているのはこの時代があったおかげ。

向かっていちばん左にみえる「ドンの聖母」教会へ

入ってすぐのロマネスクのフレスコ画がある空間が中世の雰囲気を留めている。


↑身廊部分はだいぶ新しい雰囲気。
アヴィニョンの発祥、ローヌ川をみおろす「ドンの岩山」に登る
冒頭の「アビニョンの橋」が見えた。

大河ローヌを渡る橋はずっと求められてきたが建設が困難だった。
12世紀に羊飼いのベネゼが「神のお告げ」をうけ、衆目の中巨石を動かして橋の建設がスタートした。
この時の橋はしかし、現在みるようなものではなく川の中に立てた石に板を渡した程度のものだった※2004年に橋博物館のイヤフォンガイドをきいたときの日記にリンクします2004年には三回もアヴィニョンに来ていたっけ。

↑橋の下の中州で踊る人々の写真↑演劇祭の時に撮影されたもの



↑教皇庁の建物に入ろう
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