旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

シベリア鉄道の支線にちょっと乗る

2024-08-10 07:16:45 | モンゴル
「シベリア鉄道に乗ってみたい」
誰でも思ったことがあるのではないかしらん。
でも…実際にモスクワ→サンクト・ペテルスブルグ間の夜行列車「赤い矢号」に乗ったことがある身としては、一時間体験乗車ぐらいがちょうどよいと思う。ロシア国境方向に向けての長距離列車に最初の一時間だけ乗車した。

↑この地図は2009年にモスクワ近くセルギエフ・ポサードでみかけた。
三日月形をしたバイカル湖は長さ約630km、東京⇔岡山の距離に近い。
↑バイカル湖の南東に位置するУлан-Удэ(ウラン・ウデ ※ブリヤート自治共和国の首都)から国境を越えてУлаанбаатар(ウランバートル)までの距離はおよそ570kmになる。
※2009年ロシアでこの地図を見つけた日のブログにリンクします


朝、ウランバートルの中心、スフバートル広場近くのホテルを出て駅に向かった。

建設中の緑色のドームはモスクにちがいない。
ここでもイスラム教徒は増えてきている。

ウランバートル駅が見えてきた↑「75周年」の幕がかかっている。
シベリア鉄道本線は1905年に完成したが、支線になるウランバートル経由北京への路線は第二次大戦後1947年に建設スタート。この駅は1949年に開業。

★モンゴルの鉄道は1938年にはじまる。ウランバートルから43kmのナライフ(ナライハ)炭鉱から石炭を運ぶための狭軌だった。
旅客鉄道は1947年に建設開始、1949年にウランバートル駅が開設され運行開始。

1955年には中国の線路ともつながった。

現在の駅舎も当時のまま。

↑こちらは税関のビル

特別室も昔の雰囲気。

正面玄関を開けたロビー↑

↑充電器?電話レンタル?

駅舎の線路側↑

↑09:30に中国方面からの列車が到着していた↑

↑「ザミウード⇔ウランバートル」
内モンゴル自治区から国境を越えてすぐの都市ザミウードを18:30に出発し、約15時間でウランバートルに到着した国内列車である。
↑車両についている馬のマークは1990年以前・社会主義モンゴルの時代のもの↑

観光客?里帰り?
内モンゴル自治区からの人も多いのかしらん?

ザミンウードからの機関車が移動してゆく↓

別の機関車が入線してきた※動画をUPしました
↓こちらは2008年に撮影したもの

動画に出てくるものをふくめて、ディーゼル機関車にもいろんな種類があるのだなぁと、小松もちょっと興味を持った。

↑こちら同じ2008年のウランバートル駅↑ベンチや屋根が設置されるなど少しずつ変化している↑

さぁ、今日乗車する車両のあるホームまで移動しよう↓

各車両の入り口で「社会主義的」制服の係員が予約の名前をチェックしている。
よいしょっ!日本のような列車の高さに合わせたホームはない。

客車によじ登る

ソ連製の車両は半世紀ぐらいタイムスリップさせてくれる

車掌室↓

コンパートメントは二段ベッド

けっこう高い位置にあるがハシゴはない↓

どうやって登ったのかというと…↓

↑入ってすぐ横にこんな可動式の足掛けがあるのです。

一つの部屋で四人利用。

10:30をすこしまわって、ゴットンっと動き出した。

まずはウランバートル市内を西へ移動↑並走している太いパイプは暖房用の熱い湯が流されているのだそうだ。

飛行機とちがって間近に人々の暮らしが見える。
夢中で外を見ていたら↓日よけがぽろんと外れた!戻したけどまたすぐはずれそう…

大事に使い続けている車両なんですね

ビルは減り、ゲルが増えてくる。

列車の左右が広くなる。

線路がカーブして北にむかう。

我々の降車するダワーニ駅はもうすぐ

一時間乗っても↑まだまだウランバートル市内

ウランバートル市内でも↑こんな草原の中のぽつんと駅

一時間、お世話になりました(^^)

ダワーニの駅舎なんてのはないのね

トイレだけぽつんと。
閉まっていたけれど男性用だけ建物の外についている。

この柵は家畜が入らないようにするためなのだろう


回送しておいたバスに乗車

到着して三日目だがまだどんよりした天気。

草原で行われていたダワーニのナーダム

「自家用馬」でやってきた人々

広大な車用の駐車場も用意されているから、かなりの人がやってくるのだろう。

一時間ほどで昼食のツーリストゲルに到着。

ようやく青空がかいま見えてきた。
コメント
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