旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ルーアン、ジベルニー、上陸作戦の海岸を経てMSM島内のホテルへ宿泊

2015-06-20 16:19:00 | フランス
《手造の旅》フランス9日~ブルゴーニュ、MSM,シャルトル
行程二日目。

ルーアンのホテルは駅のすぐ近く、ちょっと中も見てから行きましょ最近はどこの街にもある共用自転車
マルシュ広場の市場、当然チーズがたくさん 
近くの老舗チョコレート屋さんの看板はジャンヌダルクの火刑そこの名物チョコ「ジャンヌダルクの涙」を試食させてくれてます

きのうは入れなかった大聖堂中へシャルトルにあるのと同時期13世紀初頭と思われるステンドグラスが一部残されているなかでもこの作品は、ルーアン出身、19世紀の小説家フローベル(「ボヴァリー婦人」が代表作とされる)は、「聖ジュリアン伝」の着想をここから得ていたのか…
●聖ジュリアンが(予言のとおり)あやまって自分の両親を殺してしまうシーン↓

このステンドグラス全体は魚屋組合が出資したので、一番下に彼らの仕事のようすがえがかれている↓


きのう入れなかったサン・マクルーの不気味な中庭もちょっと覗いておきましょ


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一時間ほどバスで走って、モネが後半生をすごしたジベルニーの邸宅と庭を訪問

今でもよく手入れされた庭

モネ自身がかんがえて作らせた水庭。これを見てから「睡蓮」の絵をみると、モネが描いていた様子がよく理解できるだろう

ここではできるだけゆっくり時間をとりたい。陽が照ると水面も木々も花も、にわかに色を変えてゆくから。


現在お土産屋さんになっているところが、かつてのアトリエ。天井から自然光が降り注ぐ


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三時間ほどバスで走り、あの「ノルマンディ上陸作戦」が行われた海岸へ。五か所でいっせいに行われた上陸作戦のうち、ここオマハビーチでのみドイツ軍の激しい抵抗に遭い、アメリカ軍はこの日だけで三千人の犠牲をだしたとされている。彼らが葬られた場所はアメリカに寄贈され、戦士は祖国に葬られたかたちになった

記念碑には

日本軍との戦闘範囲も掲げられているアメリカにとって敵国だったのだから当然だ。日本のツアーがほとんどここを訪れないのもわからないわけではない。
だが、小松としては、祖国アメリカから遠く離れたノルマンディで命をおとしたアメリカ人が七十年前にもあったという事実を、自国の現在に思いを致しながら考えてみてほしいと思うのだ。

少し離れた海岸へ


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一時間半ほどでMSM(モン・サン・ミッシェル)が見えてきた

今日は島内のホテルとなった。部屋が狭くて設備も古い…と危惧していたのだが、改装して快適になっていた

ほっ。これならば島内のホテルでも問題ありません。
はじめて来られた方もあるので、定番のメニューとしました

食事の後、島内を歩く

かつてバスが走っていた道はほぼ撤去されたようだ


・・・23時。夜景を見たければこのぐらいの時間でないとね、空が深い紺色になる
島内のホテルなので、この景色をするに楽しむことができた。


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