一般的なローマ観光ではなかなか訪れないトラステヴェレ地区だが、見どころはいくつもある。今朝はシスト橋すぐ近くのホテルから歩き出した。シスト橋は、今日の午後訪れるヴァチカンのシスティーナ礼拝堂を建設したシスト四世によって1475年に建設が命じられた。もともと古代ローマ時代の橋があった場所でその基礎を再利用している↓
すぐ近くにテヴェレの中之島、ティベリーナ島が見える。古代からここは病院であり続けている↓
見学したい教会をいくつかリクエストしたが、開いているところから見はじめた。
●サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会
三世紀に殉教した聖女チェチリア(英語ならセシリア)の家があった場所に建てられたとされている
セシリアの遺体はアッピア街道沿いのカタコンベに葬られていたが、9世紀の法皇パスカリス一世がこの教会に移動させた。内部の突き当りにはその当時9世紀のものとされるモザイク画で飾られている↓
向かって左端に描かれている、四角い光背(生きている人をあらわす)をもった人物がそのパスカリス一世↓
左手前の祭壇は「ローマ一美しい」との評価もある、フィレンツェの彫刻家・建築家アルノルフォ・ディ・カンビオ1293年の制作。
祭壇中央には1599年に棺の蓋を開けた時の聖女の姿を、ステファノ・、マデルノがそのままうつしたとされている「聖女チェチリア」大理石像。遺体は腐敗しておらず、右手で三位一体、左手で天と地を指さしていたとされる↓
この彫刻をつくらせたのは、棺をあける時にたちあったスフォンドラーティ枢機卿。彼の墓も教会入口にあって⇒彼の生涯でいちばんのハイライト、聖女チェチリアの棺を開けた時の様子が彫られていた↓
教会内の上階部分は、こんな格子がはまった窓がたくさんならんでいる。これは、修道女たちが人前に顔をさらさずにミサに出席できるようにつくられた構造であります。
※この教会にはジョットと同時代のピエトロ・カヴァッリーニの巨大な「最後の審判」のフレスコ画がある。以前一度だけ見たことがあるが、今回はその時間まではなかった
「オルト」とは、菜園の意味。ここはもともと野菜畑だった。1488年、中風(麻痺)に苦しむ農夫が、菜園の一角にあったフレスコ画聖母子に祈って回復するという奇跡が起きた。 感謝にと建てた小さな礼拝堂は近在の人がやってくるちょっとした巡礼地になった。主祭壇の真ん中にある絵は、よく見ると確かに壁からはがして設置されたものであるのが分かる↓
1492年アレクサンドル六世法皇によって信徒会の結成が認められ、関連する十二の同業者組合によって現在の教会が建設された。
中央床のデザインも確かに野菜↓
関連する同業者組合がそれぞれの小礼拝堂を持っていた。それを記念する床プレートもある↓
小松がこの教会を選んだのは、ここが日本にも縁が深い場所だから、である。下の写真で、祭壇に掲げられている絵、誰だかわかりますでしょうか?↓
★中浦ジュリアンの肖像~2007年に「福者(聖者の下の位)」に認定された時、記念に奉納された。
九州のキリシタン大名たちが送った、天正の遣欧少年使節団はよく知られている。信長の時代に日本を発った彼らは、三年の年月を費やし、1585年3月ついにローマに到着した。ローマでの宿泊場所のひとつがこのあたりであったとされていて、この教会が完成してまもないころに訪れていたと思われる。また、当時は今ほどには装飾されてはいなかっただろうけれど。また、四人がテヴェレ側河口にあるローマ遺跡オスティアを見学に行った際、荒天で船が難破しそうになったところ、この教会の「オルトの聖母」に祈ったところ静まったという奇跡があったそうだ。
ローマ法皇グレゴリオ13世に謁見する当日、中浦ジュリアンは体調不良で赴けなかったのだが、後日、特別のはからいにより、一人だけ法皇に合う事ができた。 後年「私はローマを見た中浦ジュリアンである」と自己紹介するようになり、殉教の最期の言葉もそれだったとされている。
使節団四人は、八年の旅のあとキリスト教禁教下に帰国。他の三人が病死、追放、棄教、という運命に流されてゆくなかで、中浦ジュリアンだけが殉教を遂げたのであった。
教会の方、我々が日本人だと分かると、下の日本語カードをくださった↓
ローマでももっとも歴史ある教会のひとつ。公認される以前からあったとされている。前廊にカタコンベからみつかったたくさんの石板↓
堂内、突き当りには黄金に輝くモザイク↓
柱は古代の建物からの再利用である↓
正面祭壇の下部に「オイルの泉」のラテン語⇒※これについては⇒こちらに詳しく書きました。
●モザイク近影↓
ビザンチン風のモザイク なかで、ひとりリアルに祈っているのがこのモザイク画を画かせた人物。彼の墓がすぐちかくにあった↓
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午前中の最後は★「ファルネジーナ荘」へ⇒ ここでいちばん有名なフレスコ画はラファエロの画いた「ガラテアの凱旋」↓
他、ラファエロの弟子筋によって画かれた、ルネッサンスの宝石と呼ばれるのも納得のすばらしいフレスコ画が展開されている。※これらについてはいろいろな人が詳しく書いているので、ここではフレスコ画の画く神話などにはあまり触れずにおきます↓
二階のこの部屋に描かれた一六世紀のドイツ語による落書きがおもしろい⇒ ※べつのところで書きます↓
正午過ぎ、サンドイッチを買って、テヴェレ川を渡ってホテルに戻る。二時間ほど休憩。