旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

台北から野柳へ

2019-02-20 10:00:00 | 台湾
台湾で世界遺産になるならここ、と言われる「野柳地質公園」
※台湾は中国との関係でユネスコに入れないので世界遺産はない。
どんなに素晴らしい場所でも自己申告しないと世界遺産には認定されないのであります


風雨が激しい海岸に出現した奇岩がならぶ小さな半島だ。

入場料を払って遊歩道を歩きだす。複雑に入り組んだ海岸線ににょきにょきと立っている↓赤い線から先に行ってはいけません

↓これはカメ岩、なるほど

いちばん有名なのは「女王頭」なのだが、人が多すぎて写真の順番待ちがすごい
↓スタンプでいいですワタシ

↓ここでしか見られないというローソク石

これは傍までいけないから踏み荒らされていなくてよい

岩もよいけれど、「アダン」に見入ってしまった↓田中一村の気持ちが分かります(^.^)

**
今朝は台北市内のリージェントホテルを九時に出発した。目移りする朝食群↓

↓サラダ

↓温菜

↓甘いパンたち

↓いちばん気に入ったのはもち米でにぎってくれるおにぎり!

明日もここで食べましょ(^.^)


***
内陸に位置する台北市内と今日訪れる四か所はお天気がそれぞれ違う↓
冒頭の「野柳地質公園」は風雨が荒い海に曝される場所にあるのが分かる↓※海岸沿い赤地に白抜き文字です

お昼に訪れる基隆(きーるん)は、日本統治時代には民間船が着く最大の港だった↑
※自然の入江になった奥に黒字で基隆の表記がある

九份は観光地だが小さい表記でちょっと見つかりにくい。海からすぐに山になる、もともと金が取れた山間の小村。
霧がかかることも多い。
十份そこから内陸に入った鉄道も通っている街※黄色地に白抜き文字

さてそれぞれの場所、今日はどんなお天気でしょう。






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松江自助火鍋城とランタン祭の夜

2019-02-19 20:00:00 | 台湾
記憶に残る食事になった(^.^)
台北に何度も来ている方が「いつも行列しているから入ったことがなかった」という人気店。予約をとらないと書いていたHPもあったが、地元ガイドさんが予約を入れてくださり、待たずに着席できた。
とにかく活気がある店内↓

「自助」とは「セルフサービス」のこと。
具材はすべて自分でショーケースから出す方式。

とはいえ、まるではじめてなのでどうやっていいか分からない。すかさす赤い髪の店員さんがつかつかやってきて「肉は牛?豚?何人前ずつ?、具材最初はこれでいいわね?」とどんどん話をすすめてくれる↓
石鍋?鉄鍋?で手際よく炒めはじめる↓

↑これは、スルメですね。ほお~。

★小松は二十年ほど前にはじめて訪れた台湾で食べた「石鍋」が忘れられず、今回どうしても台北でこれをたべてみたくなったのだった。これは「石鍋」じゃなくて鉄のようだが、調理スタイルは記憶しているものといっしょだった。

↓肉を胡麻油で半生ぐらいに炒めてとりだす↓

他の具材もある程度炒めて

肉を戻し

巨大なヤカンにはいった出汁スープを入れて

はじめは圧倒されて見ていた我々もようやく参加できる体制になった

↓煮込みはじめる

↓それぞれに、好みの調味料をつかってつけだれを調合↓パクチーとかにんにくとかは、ここで各自対応。

↓さて、もういいかな?

一度やり方がわかると、具材選びに勢いがついた
野菜はどっさり

↓エビももちろん

↓一皿一皿の料金がとにかく安い

↓そしてアジア料理的なクセがなく、日本人にとても合った味

最後の卵雑炊にいたるまで、しっかりいただきました(^.^)


↓回転寿司のように、空になった皿の色と枚数でお勘定するのだ。




***ホテルへもどってすぐ、
「西門の方でランタン祭りをやってますよ」とガイドさん。
このの誘いに五人がのった。




「ハニービール」なるモノが売っていた。
ビーとベアを合わせたキャラクター↓






↓これは貝殻に貝柱を調理した練り物を詰めて焼いたもののよう

なかなかおいしい。

↓ステージではマジックショー

この時期、台北の夜はにぎやかです

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台南から新幹線で台北へ

2019-02-19 17:00:00 | 台湾
頭上を轟音が駆け抜け、驚いて見上げた↓

↓二度目にその音がやってきた時にとらえた機影↓

※実は最初の写真にも小さく写っていた

「台南は軍用空港でもあるので毎日ですよ」と、ガイドさん。
台南中心部の鄭成功廟を訪れている時の事だ。
**
新幹線の台南駅へいく途中で空港の前を通った↓

日本統治時代に建設された空港がもとになっている。
鉄条網が続く↓

台南空港を発着する多くの定期便が膨湖諸島、金門島へ飛んでいる。日本からの直行便は関空から飛んでいるようだ。

***
突然、大聖堂のドームのような建物が見えてきた↓

これはなんと個人美術館

CHIMEI(奇美)という台湾一の樹脂メーカーのオーナー許文龍氏の個人コレクションを展示している。
2015年開業、訪問には予約が必要とのこと。
※日本語のホームページ、こちらから
一見に値するコレクションがある様子。別のタイミングで一度訪問してみたい。
工場も近くに見えた↓


****
台南新幹線駅に到着。隣り合わせて一般鉄道の「沙崙Shalun駅」がある↓

台南新幹線駅は市内から離れているので市内と結ぶ線として新幹線と同時期に開業した。
↓駅構内は広くてきれい

↓予約券を実券に交換するためにカウンターへ

「一本早い列車に乗れますが、換えますか?」ときいてくれたが、そのままの14:41発にした↓

皆さん駅でのお買いものを楽しんでおられますから(^.^)
↓待っている間にモスバーガーが気になった↓

モスバーガーのアジア進出が最も早く成功し、店舗数も二百五十を超えている台湾である
↓メニューは日本と変わらないようにみえた

このパネルでオーダーもできるようだが↓

ライスバーガーひとつだけを試しに買った。座席で食べて見よう(^.^)
改札をとおり
↓ホームに登る。なんとなくフランスはアヴィニョンのTGV駅を思い出させるつくり
↓ホームは北上と南下の二つ

↓今回はビジネス座席でゆっくり1時間50分ほどかけて台北へ向かう

↓モスライスバーガーは黒いぽつぽつはキヌアです(^.^)


車内サービス、ビジネス席はお茶とお菓子がつく。
↓こんなのが出ました


↓車両のつくりは、当然ながら日本の新幹線と同じ



****
16:39台北駅到着

タクシー乗り場がいちばん近いときいた西口の改札へ

台北だけ三日間参加の方が待っていてくださいました。
※《手造の旅》は一部日程だけ参加も可能です(^.^)

タクシーでリージェントホテルへ向かう
英語で「リージェント」と言ってもなかなか通じないので、この漢字表記メモはとてもやくにたいちました(^.^)

↓二泊するリージェントホテルにチェックイン
眺めが良いです

荷物を置いたら、予約してもらった火鍋の夕食に出発だ

たのしみたのしみ

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台南に残るオランダの面影

2019-02-19 12:00:00 | 台湾
「徳記洋行」は19世紀に英国商館の倉庫だったとされる建物。

ガジュマルに覆われた姿が強い印象を与える。

↑今は「安平樹屋」という呼ばれている。
↓壁の外からはこんな感じ↓


この安平という場所は
オランダ東インド会社が17世紀に築いた砦があったエリアがルーツになっている。そのゼーランディア砦=安平古堡はこんな西洋風の城だった?↓

↑いや、現在はとってつけたような展望台が立っております(笑)観光地としては有効な施設なのかもしれないが
↓入場入口

↓内部展示で砦としての姿が模型で再現されていた↓

↓現在の地図に重ねてみると、となりにあった碁盤の目に区切られた居住地区が安平の住宅エリアに埋もれているのがわかる↓
↓掘ればいろんなものが出てくるわけだ

オリジナルのレンガ城壁が一部残っている↓

↓黒い実践が日本統治時代の調査でオリジナルが残っているとされた部分↓




↓台南の港からこんな風にみえていたのかも↓

↑いちばん上に「ゼーランディア・ウ・ドゥ・タイワン」と書かれている
↓港全体はこんな感じだった↓

↑砂州がのびてできた場所に港を守るゼーランディア砦があったわけだ

東インド会社のマークが復元された事務所・砦の建物↓

↓新しいエレベーターも設置されております↓


★↓展示されていた古い地図でこの場所の由来が理解できる↓
ポルトガル人がはじめてこの島を認識した時「Iフォルモサ」=美しい島と記録した↓
↓その名前が見える地図↓

台湾島は欧米人にはフォルモサということばの方が認識してもらいやすいそうだ。
「アイム・フロム・タイワン」と言っても「え?タイランド?」ときかれてしまうから
「アイム・フロム・フォルモサ」と言った方がよいです、とガイドさんが教えてくれた。
↑上の地図で台湾島が三つに分かれて描かれているのは、川を海峡と思ったからだとか。

中国と日本と東南アジアを結ぶ好立地。
欧米諸国が台湾島に貿易拠点をつくりたくなるはずだ。
↓展示に描かれた取引商品図

↑「大員」と表記されているのは、「タイワン」という地名がもともと原住民シラヤ族の呼んでいた地名「タイオワン」に中国人が漢字をあてたから。

当時は台南が主要な港だった。
前出の港の絵図でもわかるように、ここは港を囲うかたちで伸びた砂州の先になる↓

↑内陸部に円形の城郭のような建物が描かれている↑
あぁ、あれが、宿泊したホテルの近くにあった「赤崁楼(せきかんろう)」か。
港を守る砦がゼーランディア城であったのに対して、こちらは役所機能であったと理解した。
オランダ語ではProvintiaと呼ばれていた。

昨夜夕食の後にみんなで訪れました(^.^)

↓全体図

↑右下の緑の中に「鄭成功義和図」と書かれているのがわかるだろうか↑
↓明の再興を目指した日中ハーフの鄭成功がオランダからプロヴィンティア城を手に入れた時の図

※鄭成功についてはこちらに書きました

オランダがここ台南に拠点を持っていた時代は
ゼーランディア砦(安平古堡)が1624年から1661年までの38年間
プロヴィンティア(赤崁楼)が1653年から1661までの8年間
だったということになる。

★冒頭のイギリス商館は1858年の天津条約(「アロー号事件」の後)で安平が開港された後に開設された商館(当時「洋行」と表記)
この地区には他にも欧米の「洋行」がいくつもあったが、日本支配がはじまると多くは接収されていった

昨夜赤崁楼にて↓夜の9時まで見学できました




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林百貨店~台南に残る日本の面影

2019-02-19 11:00:00 | 台湾

台南の繁華街に、周囲と違うレトロで整った建物が残されている↓

日本領となった台湾には本土と同じように百貨店が建設されていった。
この林百貨店は1932年(昭和七年)だから、日本橋三越が開店するより一年早くオープンしたことになる。
同じ年台北には菊元百貨店、少し遅れて1941年(昭和十六年)高雄に吉井百貨店が開業している。
この二つはもうかつての姿を留めていないなかで、林百貨店だけが「そのまま」で残った。
↓建築様式としてはおとなしいアールデコといった感じ。

↓ホテルにチェックインしてから徒歩で訪れた。実はここに歩いていく事を想定してホテルの場所を選んだのだ(^.^)

建物は「そのまま」に見えるが、ずっと百貨店だったわけではない。戦後に工場、事務所、派出所などにつかわれていた。その時代には看板をはじめ外観は相応に改修されていたことだろう。
しかし、1980年には空き家になっていたそうだ(※ウィキペディアより)この時期に取り壊されなくてほんとうによかった。
1998年に歴史遺跡に認定され、委託された業者が再び百貨店としてオープンしたのはつい2014年のことである。
つまり、観光施設として再オープンした百貨店なのだが、これが馬鹿にしたものではない。
観光客心をつかむスタンプ↓

↓漢方薬の包みを模したキャンディ↓

これ、ひとつひとつ効用がちがうのです↓

中身の味がどれほど違えてあるのかまでは確認できておりません~


↓これは栞?


旧内装を上手に生かしてあるデザイン

五階建ての最上階には簡単なレストランもある↓

**
いちばんの見所は屋上ではないかしらん↓五階から階段で上がる

↓壊れてしまった鳥居の神社がある。開店から半年たった1933年五月に「末広社」として披露されたが一般公開はされてなかった↓

鳥居は戦争中にアメリカ軍の空襲を受けて破壊されたもの。
↓銃弾の後も残されている↓




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