旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ゴールドコースト

2021-09-05 09:14:15 | オーストラリア
2003年オーストラリアの旅より

ケアンズあたりはサンゴ礁の海グレートバリアリーフだが、そこから南へ1500㎞ほどいくと砂浜のゴールドコースト。

海を使ったアミューズメント・パークがいくつもある

シーワールドの水上スキーのショーはここならでは



ペリカンをこんな間近で見たのははじめて

ほんとに大きなくちばしと袋!


空港近くにあるカランビン動物公園では、タスマニアデビルがいた↓

平和なタスマニアでは「猛獣」なんだけれど、ぱっとみ小型で不機嫌そうな顏がかわいい。

すごく特徴的な歩き方をする。写真を撮ろうとするけれど・・・

ちょろちょろ動きまわってうまく撮れなぁい


そこいくと

このこはだいじょうぶ


こんなチェスも売っておりました。

海の街ゴールドコーストを観光するのにピッタリな乗り物はこれ↓

↑水陸両用車でのツアーはワシントンDCなんかでもあって「ダックツアー」と称しているのだけれど、ここゴールドコーストではペリカンの顔してます(^^)

じゃぼーんっと海に入るとそのままクルーズ

豪邸やマンションを海から見る

**

ショッピング・アーケードにはなんと

フィレンツェにあるミケランジェロの「ダビデ」の原寸大レプリカが↑
・・・ホンモノそっくりなはずなのに、なぜかちっとも心に迫るものを感じられなかった
※フィレンツェで本物をじっくり見た時の話はこちらに載せています

***

空港のブックショップで、2002年に日本で観たオーストラリア映画の原作を見つけた↓

原題は「Rabbit-Proof Fence」。
入植した農民がウサギが入ってこないように何百㌔にもわたって築いた壁のこと。
二十世紀前半、白豪主義のオーストラリアで同化政策のために家族から引き離された幼いアボリジニの姉妹が、このフェンスをたどって自分たちの家に帰ろうとする話。
※こちらにテレビ東京の紹介頁があります
「アボリジニ」という言葉は 「ab-origine=起源から」という意味で、ローマ人がイタリア半島を征服していく過程で先に住んでいた部族や動物を指して使ったラテン語が元。征服された部族はローマ人の言葉と文化を学ぶことで同化して(させられて)いった。特に支配階級の子供たちは部族から離され、ローマ人の家庭で育てるようにした。

オーストラリアを征服した白人たちも同じように、先住民族アボリジニの子供たちは親から引き離して欧米風に教育することが彼らのためになると考えた。

だが↑こんな小さな子供たちを親から引き離し、キリスト教団体の運営する寄宿者で生活させたのは間違いではなかったか?
今ではこの世代の子供たちを↑親たちから「盗まれた子供たち」=「STOLEN CHILDEN」と呼ぶようになっている。

20世紀も終わりになって、オーストラリアやニュージーランドの白人たちも、先住民(オーストラリアではアボリジニ、ニュージーランドではマオリ、とひとくくりに呼ぶ)の言語や文化を「自分たちの文化」として遇するようになってきた。
何万キロも離れた土地でいくら母国イギリス風に生活しても、母国からは真似としかみなされない。
入植から二百年とすこし。何世代にもわたって虐げてきた先住民たちの文化こそ「自分たちの文化」であると理解しはじめてやっと、入植者たちはほんとうのオーストラリア人・ニュージーランド人になれたと言えるのだろう。







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ケアンズで気球に乗る

2021-09-03 06:08:36 | オーストラリア
2003年オーストラリアの旅より

気球が飛べるかはその日になってみないとわからない。朝四時に電話で確認して、真っ暗なホテルを出発。真っ暗な草原に着く。
バーナーの炎が熱い空気を送り込むバルーンが大きく膨らみはじめた。

気球は風が安定していないと飛べない。なので世界中どこでも、風が変わる時間帯=夜明けか夕暮れのフライトが多い。だんだん明るくなる空をバックにバーナーの炎が熱い空気を送りこむ風景は世界のどこで見ても美しい。※2019年のエジプトでの写真をこちらからごらんください
※2018年メキシコのテオティワカンでの動画をこちらからごらんください

熱い空気が溜まると気球はゆっくりと立ちあがる。
※メキシコのテオティワカンでの気球からの写真はこちらに載せています

そろそろバスケットに乗りこむタイミングだ

気球はその国・その土地独特の風景を楽しめる。
バスケットは二十人ぐらい乗れる大型のもの。

オーストラリアはこのアリ塚もそれにあたるだろう。
※2013年トルコのカッパドキアで奇岩の上をとんだ時の写真はこちらに載せました
※2012年アメリカのユタ州アーチーズ国立公園の上を飛んだ時の写真はこちらに載せています

ケアンズは熱帯に位置している。

ユーカリ(ばかりではないかもしれないけれど)の林と

沼のような場所の上を飛ぶ↑水面に気球が映っている↑

気球は降りる場所を予定して飛ぶことは難しい。
つまり、降りやすい場所が周辺にあることが気球アトラクションを可能にする。
この日四十分ぐらいのフライトの後、着地したのは背の高い草の中でバスケットから降りるのに苦労した。

気球ツアーは世界中にあるが値段は大きく違う。タンザニアでは四百ドルもしたけれど、降りると草原に特別の朝食テーブルが用意してあって、現地の人が何十人も世話をやいてくれる、まるで「植民地時代のご主人様」のような待遇だった。

オーストラリアは良し悪しではなくその対極。
値段は四分の一ほどだが、乗客全員で気球をたたむところまでやる(やらされる?)。
空気が抜けてゆく途中の気球を引っ張り(上の写真)抜けきるまえにカタチを整えなくてはならない。これをやってみてはじめて、アフリカで気球と格闘していた現地の人の気持ちを理解できた気がした。





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ケアンズからグリーン島へ

2021-09-02 07:23:16 | オーストラリア
2006オーストラリアの旅より
ケアンズ沖27㎞ほど、サンゴ礁の中の小さな緑の島へ。

島で一日を過ごす人でフェリーはいっぱい。

到着したらすぐにちいさなグラスボートにのりかえよう。

グラスボートは1930年にケアンズの会社が世界ではじめて考案した。

たしかにこのサンゴ礁の海を楽しむにぴったり。

熱帯魚も鳥もびっくりするほど元気

島は東京ドーム二個半ほどの大きさでいろんな遊びが用意されている

ヘリコプターも

トレイルを抜けた先に乗り場



1770年6月10日、イギリス船エンデバー号のジェームズ・クック船長は緑に覆われた平たい島をみつけた。
同乗していた天文学者のチャールズ・グリーンにちなんで「グリーン島」と名付けた。

サンゴ礁の海は美しいが船には座礁の危機がある。
エンデバー号もグリーン島を見つけた日の夜に座礁。
バラストと大砲まで海に捨てて軽くして満潮と共に抜け出した。
※この時の大砲は1969年に発見された。

時は移り、多くの船がケアンズを出入りするようになってからもサンゴ礁の座礁事故は多かった。
1889年に椰子の木が植えられたのは漂流者が飲み水に困らないようにするためだった。

と、そのわりには椰子の木はみあたりませんでしたが…


**

ケアンズへもどり

夜は海辺のレストランにて。

今はリゾートでしかないこの海岸だが

イギリスの戦争のために出征していった兵士のための記念碑が置かれていた。
ケアンズは最もアジアに近いオーストラリアなのだ。
●朝鮮戦争1950-53

●マラヤ、ボルネオ紛争1965-66

●南ベトナム1962-73~「約五万人のオーストラリア兵が動員され、高温多湿の中ゲリラとの戦いに苦しめられ、五百人が命をおとした。ベトナムはオーストラリアにとって最も長い戦争である」

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