日本三大山城のひとつ
女城主おつやの方で有名な岩村城。
中山道から少し外れた
東農地区の岩村街道の要所にあり
かつては三河設楽地区同様に
武田と織田陣営の係争地最前線であった。
1572年、信玄の西上作戦の折、
武田方の秋山信友(虎繁)が岩村城を陥落させ
女城主おつやの方を正室としてもらい受けるが
その3年後の1575年、長篠の戦いを経て
織田陣営が岩村城を奪還した折に
秋山信友、おつやの方がまとめて逆磔で処刑されたというもの。
その7年後の1582年には武田氏が滅び
同年に信長も討たれることを思うと
1860年の桶狭間~1582年本能寺は
密度の濃い22年だなぁと思う。
さて話を岩村城に戻そう。
岩村城資料館の近くか城下町の駐車場にとめて
天守台を往復するのが一般的かと思うが
天守台にも駐車場があり
お手軽に済ませたい方はこちらがおすすめ。
逆に天守台からスタートすると
ずっと下りのワンウェイで済むので
これはこれでおすすめ。
天守の石垣を除けばずっと日影なので
快適な城郭巡りを堪能できる。
見どころは江戸時代に天守を補強した六段壁。
山城ではあるが
石畳が奇麗に敷かれ
いわゆる山城歩きよりもかなり快適。
麓の資料館から本丸石垣まで
ざっくり20分ほど。
往復1時間もあればしっかり帰ってこられる道程。
山頂を除くと派手な遺構は少なく
門の跡とか橋の跡とか
麓の資料館の佐藤一斉翁像。
ん?いったい君はだれ?
資料館は岩村城藩主邸跡地に立っており
茶室や太鼓櫓などが復元され
雰囲気を盛り上げている。
岩村城登城口から続く城下町。
飛騨高山城下町ともよく似た街並みが
よく保存されている。
東海道と違って
時代に取り残されたような遺構が
ふっと現れるのが
この中山道の魅力。
銀河鉄道の夜のロケにも使われたばかりとのこと。
お昼は多治見のそば処井ざわで
とろろそばを頂く。
まわりの皆さんは
蕎麦と丼のセットで召し上がっている様子。
全面的にとろろがかかった蕎麦で
素晴らしいのど越し。