kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

丹羽加奈子著 『赤い線』

2023年01月09日 | 生活

赤い線

 

今読ませていただきました

生きるとは何か

家族とは何か

介護とは何か

老いとは何か

冒頭はリストカットから始まるので

そのような物語なのかと思いました

リストカットは生活の中での行為の一つとして

描かれ特別に大きな意味は生じていない

ところがリストカットという象徴的行為によって

作者は主人公の生きる苦しみを描いてみせる

ヨブ記を想起する

ヨブは大きな石を一生懸命

山に向けて

押し上げている

神に問う

「何故、わたしはこんなに苦しまねばならないのですか」

神は答えず

ヨブは何度も神に問う

「どうして、こんなに苦しい目にわたしが合わねばならないのですか」

それでも神は答えず

何故、神は何も:答えぬのか

それはヨブが自問し悩み

考え続けることであること

これがヨブ記です

生きること

家族

介護

老い

それを作者は主人公に自問し続ける

答は出ない

最後に雨の中

神社の賽銭箱の前で手を合わせ

崩れる姿

ここに何の意味があるのか

自問の果ての神への問いである

けれど

神は答えず

数多の人が

現在この作品と同じような

辛苦の中にいる

その人たちに救済の手はあるか

ない

ないのだ

すべてがこの主人公の如く

自問の中から時折

垣間見える

次男が作ってくれるカップそばの旨さであろう

泥の中に蓮が咲く

日々の中で

最低最悪の日であっても

三つはいいことがある

寝る前に思い出してみるといい

今日たべたカレーパンがおいしかった

今日は晴れていた

今日は隣の人と挨拶ができた

些細な幸事が山ほどある

と気づいたのは

25年ほど前のこと

こんな絵はがきをいただいた時だった

文字が書かれあった

『星の数ほどある恵みに今日も感謝』

出典は聖書だろうか

その絵はがきをいただいてから

わたしは目覚めた

そして三つだけ寝る前に

今日良いことを思い出すような

習慣ができていた

おそらくヨブ記が書かれた理由は

このことではないかしら 小さなしあわせ

と推測する

そこに気づけば

神は答える

「良かったですね」

圧倒的な絶望と自己憐憫と家族愛が

渦巻く小説を書く作者

その作者こそ

自然

実は三つ良いことをすでに熟知している

ただ

なぜここまで絶望的な描写が覆っているかというと

誰かに甘えたいわけでも同情してほしいわけでもなく

他の人が読んだ時

ああわたしより気の毒な人がいる

これは太宰治的な悲しみと辛苦への愛である

主人公が愛しているのは

実はそのおのれの心象であり

実生活はあんがい強いからこそ

ここで作品として書ける

本当に絶望したならば

言葉を書くことさえできない

そこの作者の技を見逃していけない

悲しみを書く

辛苦を書くということは

作者が元気とまでは言わないまでも

書きたいという気力がみなぎっている証左であり

書かずにはおられない

負への愛そのものです

悲とは同時に喜である

陰陽がすべてを物語る

雨が負のイメージで描かれがちなのは

動物にとって

身体の冷えによって生命の存続にかかわることだからです

ところが植物にとってはどうだろう

雨は慈雨以外の何物でもない

森羅万象はそのように

陰陽の中で渦巻き

絡み合い

誰かが飢えることで

誰かが潤う

誰かが餓死することで

誰かが生きのびる

誰かが悲しむことによって

誰かが結果的に喜ぶ

競争社会ではそれが顕著である

作者は合理的選択を最後まで選ばない

要介護3ならば

当然

特別養護老人ホームでしか

あり得ないというのは

いまや一般的常識内であろう

ところが主人公は

自ら

背追うことを希望する

この小説の肝は

主人公の内心にこそ

見つけられる

それは極めて

太宰治的なものに違いない

 

よって

安心して読めました

読ませていただき

ありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 土田真子著 『いつものように』 | トップ | 猿渡由美子著 『逢瀬』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿