kotoba日記                     小久保圭介

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猿渡由美子著 『逢瀬』

2023年01月09日 | 生活

逢瀬

今読ませていただきました

作者の小説の構成力と

人物配置

会話と無駄のない文体は

すでに定評となっています

この作品もその例にもれず

技巧は抜群の文才を発揮

それは誰しも認めるところだし

今回亡き人を扱うということにおいて

川上弘美著『真鶴』を想起

多分に影響されるのは当たり前だろうし

影響されていないかもしれない

いずれにしても

今作の亡き人の描き方は見事であり

多和田葉子も『三人関係』だったか

ある亡き作家だったか

とともに

話をしながら散歩するという構成の

作品がある

村上春樹の『羊をめぐる冒険』しかり

作者とわたしはほぼ同年齢なので

時々に読むものが重なることは当たり前

わたしとて

多和田葉子の模倣として自作を書いたことがある

ともかく亡き人と一緒に過ごすという構成は

特に新しいものではないにもかかわらず

この作者にとっては新鮮であり

技術を越えた冒険としてめざましい

最近 年配友人がコロナで急死したけれど

さりとて悲しいということがない

ただあの声がもう聞けないという事実だけが残る

生きるも死ぬもそれほど

変わらないのではあるまいか

とよく思うことがあり

死が以前ほど怖くなくなった今

死生の境が薄くなってきた

そんな個人的な心境で本作を読むと

極めてリアルな亡き人との散歩であり

会話でさえもあり得ると思ってしまう

サービスのよい作家だとつくづく感じるのは

最後の場面で

同僚の『つむぎ』と亡き妻の『舞子』を

陽と陰として描く両義性である

両義性はすでに最後

雑木林という空間の中で

義を消滅させ

両性として提示する

ここにこの作家の凄みがある

小説の見取り図としての

妹の菜々子の登場であるとか

見事としか言いようがない

artという言葉は

芸術という意味と技術という意味があることを

忘れてはならない

さらに義母である『セツ』が認知となり

主人公の後ろに娘の『舞子』を探す場面は

圧巻である

セツが台所に立ち続けることに

「怖い」と言わせるあたりは見事な

技術

実際は「怖い」とは誰も現実的には思わない

ただ作者の巧みとはここで

「怖い」と言わせて

台所に立ち続ける高齢女性の姿に

怖さを導入すること

その見事な技は文の芸であり

文学そのものの技術の一つであり

そのような詳細な技術ひとつひとつが

繊細な画家の細部の一つの如く

見る人が見れば

見事

だたし見るものが気づいてはいけないことも

作者は存分に承知の上である

常にこの作者には小さくまとまってほしくない

と切望する者として

今回は亡き人を出してきた

これで死への回路が繋がった

ということは現実の中に

幻想ではないリアルな死が導入されることによって

画家の筆はキャンバスからはみ出るほどの

『勢い』の筆致となる

可能性を秘めている

今回も良くも悪くも

期待を裏切らない作品であって

やはりこの作家はすでに完成へと向かっているのは

誰もが否定できないはずです

見事な作品を読ませていただきました

ありがとうございました

 


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