俳優の渡辺謙さんが、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を朗読する動画が広まっていて人々の共感を呼んでいるようですが、今回はそれをちょっと真似して、こんなはなし。
先日、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだ。実家に帰ったときに本を借りてきたのだ。この話の中に、「さそりの火」という話が出てくる。
昔、バルドラの野原に1匹のさそりがいて、小さな虫などを殺して食べてきた。あるとき、さそりはイタチに襲われる。イタチから逃れようとさそりは走って逃げたが、捕まりそうになったとき、目の前の井戸に落っこちてしまう。井戸に落ち、おぼれるさそり。
そのとき、さそりはこう言って祈った(以下『』内は物語の引用)。
『ああ、わたしはいままでいくつものの命をとったかわからない、そしてそのわたしがこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けんめいににげた。それでもとうとうこんなになってしまった。(中略)どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにくれてやらなかったんだろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。わたしの心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次にはまことのみんなの幸せのためにわたしのからだをおつかいください』
いつしかさそりは、自分の体が真っ赤な美しい火になって燃え、今も夜の闇を照らしている・・・というもの。
ぼくはまるであの、井戸に落ちる前のさそりのようだ。小さい虫を殺して食べて生き延びたように、口やブログでこれまで、散々見栄はったり虚勢張って物言いをしてきたのだが、結局最後はいつも我が身かわいさゆえの行動を起こしてばかり。ここ最近のみっともなさを振り返るだけでも、顔から火が出るほど恥ずかしく、自己嫌悪に陥ってしまい、外にも出たくなくなってしまいそう。
さそりのいう、まことのみんなの幸せ、ってなんだろう?そして、みんなの幸せのために体を灼くなんてこと、できるだろうか?
たとえば、いま毎日報道される、大地震伴う原発事故。放射線物質による被曝(ひばく)のおそれがある、そんな中で、命の危険も顧みず、懸命に復旧作業にあたる消防隊や、自衛隊員たちの勇気、でしょうか。もちろん、彼らははじめから高い志を持っていたことは間違いないでしょうけど。
まだ状況は安定しているとはいえません。計画停電はまだしばらく続くし、もし今後、大きな余震が起きたり原発事故がひどくなって、今以上の災害が起こることも・・・。あの地震以後、もう何が起きても、受け入れるようにしてきたつもりですが。
そんな自分に出来る事って、節電?募金?それとも、むやみにキレないこと?
・・・心を落ち着け、自分を見失わないように努めよう、まずは、そこからだとおもいました。
<追記>
こんな立派なこと書いてもて、もし今後電力が回復したり、物流も回復して便利さを取り戻したら、すっかり忘れてしまいそう・・・?