ある会社の社長が書いた、年頭所感の記事に、珍しく感銘してしまった。
その記事は「年寄りのいない企業は衰退する」というタイトルで、年寄りの価値がなぜ下がったのか、丁寧に、解説された文章だ。しかし、もともとその会社の社内報なので、リンクを貼ることも公にもできないので、ここで要旨をかいつまんで紹介したい。
日本の今、一番の問題は「少子高齢化」という。「年寄」とか「老」と言う言葉は、昔の大老、家老、若年寄といった、位の高い役職に付けられるように、社会的エリートの称号でもあった。それがいつのまにか逆転している。年寄りになりたくない、もっといえば、若くなりたい、これを望むことは、精神衛生上、もっとも不健康であるといい、これに気づかないと、年を重ねていくにつれて自分がどんどん幼児化していくことにも気づかない。
人間としてこの世に生まれてから死ぬまでに、意識レベル成長と身につけなければいけない能力が4段階であるという。まず0~3歳までの「幼児レベル」で、このときには「甘えの能力」を身につけなければならない。4~20歳までの「青年期」では、甘えを卒業し、「自立の能力」を身につける。20~60歳までの「大人の時期」では、「自分よりも社会のためになることに意義を持つ」。そして、60歳以降の「年寄りの時代」では、「未来に何を残すのかを考え、陰ながら見守る」のだそうです。・・・と、ここまで読んだとき、はたして自分は今どのレベルにいるだろう?そう考え、実際の年齢と比較し、そのギャップの差に驚いてしまった。
この社長は、それぞれの意識レベルの段階で身につけるべき能力をしっかり身につけないから、現在の信じられない事件や社会問題が起きているという。幼児期に甘えを十分受けなかったり、厳しく育てられた者は、大人になっても甘えが残って色々と問題を起こし、また青年期に自分がやりたいことを十分しなかったら、自分勝手が出て周りに迷惑をかけることになる。
そして表面的に日本は「少子高齢化」というが、実際は「多子少齢化」ではないか。こどもっぽい大人が増えすぎて、本当の年寄りが減ってきている、と捉えている。昨今多い、所謂「モンスターペアレント」と呼ばれる人達や、逆ギレする大人、駅などの公共の場所で大声を出して騒ぐ大人・・・。みんな実は「大人」ではないのかもしれない。ぼくだってその一人だ、と思っている。一人高みに登ってエラそうにしているわけではない、と思っているつもりだが。
しかし、「大人」から「年寄り」への「意識改革」をすることによって、これらの問題は解決できる、「構造改革」にばかり目を向けず、手間もカネもかからない「意識改革」によって、自信をつけることが大切だ、会社ではその効果が出てきている、としている。と同時に、知らず知らずのうちに価値の下がってしまった(と思われていた)「年寄り」が実は会社を陰から支えていたこと、「年寄り」の意識を変え、「年寄り」の価値を再構築する、絶好の機会だと締めくくっている。
ぼくの会社にも、嘱託の方がいるが、彼は無線・電波関係で右に出る者がいないほどのエキスパートで、会社からも一目置かれ、今も自分の持つ技術を伝えようと、技術講演会を年に数回行っている。こういう人は、たしかに会社としても誇りであり、こんな人に最終的にはなりたいと思うことがある。ただ本人がどう思っているのかはよくわからないのだが。
そんな「年寄り」が、あなたの近くにはいますか?