先日Base Ball BearのDVDを買ったという話を書いたが、あれから毎日のように観ているというか聴いている。武道館ライブのほうは今年の1月3日に行われたもので、メンバーは24とか25歳なわけで、自分の子供であるとしてもおかしくない年齢だ。自分がそのころ何をしていただろうかと思い起こしてみたりするのだが、社会人になって数年しか経ていなくて、ほんとうに頼りない青年だったように思う。それでも当時は所謂「バブル」華やかなりし頃で、頼りない青年でもそうした時流に少しは乗ることができた恵まれた時代だった。
自分のことはともかく、彼らの楽曲を聴くたびによく出来ているなと感心する。音楽のほうは私にはわからないのだが、歌詞が同音異義語を巧みに使って韻を上手に踏んだ言葉遊びのようになっていて粋だと思う。このバンドの楽曲は詞も曲もボーカル/ギターの小出祐介が作っているのだが、彼の通っていた小学校では児童に俳句を作らせるのを日課にしていたそうだ。もちろん、俳句を毎日作ることで誰でも創作ができるようになるわけではないのだが、俳句を作るために意識をして自分の身の回りを見るという訓練は、創作能力の開発や向上と無関係ではないはずだ。そうした意識的に何事かに取り組むということが、持って生れた感性を刺激するのだろう。
ところで今日、自分が卒業した大学へ行って卒業証明書と成績証明書を取ってきたのだが、成績証明書を眺めていて、当時から現在に至るまで、自分の思考の習慣というか偏りのようなものに気がついた。今頃気が付くのではなく、在学中に気付いて、その偏りを修正するなり伸ばすなりしていればもっとマシな人生があったのだろうが、それは今から振り返るから言えることであって、学生という過保護な身分しか経験していない自分にはどうしようもなかった。実際に社会に出て様々な経験を積んだ上で、少しずつ自分なりの生活を作っていくよりほかにどうしょうもない。毎日が暗中模索であり、毎日が試行錯誤だ。こう書くと頼りなげだが、それが健全な姿だろう。頼りない青年は頼りないオヤジになったわけだが、頼りなさの中身は少しは違っていると思いたい。
自分のことはともかく、彼らの楽曲を聴くたびによく出来ているなと感心する。音楽のほうは私にはわからないのだが、歌詞が同音異義語を巧みに使って韻を上手に踏んだ言葉遊びのようになっていて粋だと思う。このバンドの楽曲は詞も曲もボーカル/ギターの小出祐介が作っているのだが、彼の通っていた小学校では児童に俳句を作らせるのを日課にしていたそうだ。もちろん、俳句を毎日作ることで誰でも創作ができるようになるわけではないのだが、俳句を作るために意識をして自分の身の回りを見るという訓練は、創作能力の開発や向上と無関係ではないはずだ。そうした意識的に何事かに取り組むということが、持って生れた感性を刺激するのだろう。
ところで今日、自分が卒業した大学へ行って卒業証明書と成績証明書を取ってきたのだが、成績証明書を眺めていて、当時から現在に至るまで、自分の思考の習慣というか偏りのようなものに気がついた。今頃気が付くのではなく、在学中に気付いて、その偏りを修正するなり伸ばすなりしていればもっとマシな人生があったのだろうが、それは今から振り返るから言えることであって、学生という過保護な身分しか経験していない自分にはどうしようもなかった。実際に社会に出て様々な経験を積んだ上で、少しずつ自分なりの生活を作っていくよりほかにどうしょうもない。毎日が暗中模索であり、毎日が試行錯誤だ。こう書くと頼りなげだが、それが健全な姿だろう。頼りない青年は頼りないオヤジになったわけだが、頼りなさの中身は少しは違っていると思いたい。