先日の茶会で土産に頂いたもののなかに「小松こんぶ」がある。京都にある料亭「雲月」で作られたものだ。もちろん、炊きたてのご飯で、そのまま頂いても美味しいのだが、今日は野菜炒めの調味料として使ってみた。調味料というからには、味を調えるための材料なのだから、それを使うことで料理が変化するのは当然なのだが、それにしても格段に美味しくできた。こんぶ自体の味もさることながら、こんぶの調味料として使われている塩や山椒なども大いに力を発揮しているように感じられる。
このこんぶは写真のようにガラス瓶に入っていて、その瓶は包み布に包まれ木箱に入り、木箱は真田紐で結ばれている。外見が相当に華々しいのだが、外見にふさわしい、あるいは外見を凌駕するほどの充実した中身である。
茶会で学ぶことというのは、一言で表現すれば「人をもてなすこと」なのだが、その奥深さに今更ながら驚愕してしまう。茶会そのものだけでなく、手土産に至るまで心を尽くすという発想の広がりと深さは、なるほど「茶道」というにふさわしい修養があってこそ表現できるものだろう。こうしたものに触れると、自分の日常がいかに浅薄であるかを思い知らされる辛さもあるが、こういう深さを体験できることは幸せなことだと思う。
このこんぶは写真のようにガラス瓶に入っていて、その瓶は包み布に包まれ木箱に入り、木箱は真田紐で結ばれている。外見が相当に華々しいのだが、外見にふさわしい、あるいは外見を凌駕するほどの充実した中身である。
茶会で学ぶことというのは、一言で表現すれば「人をもてなすこと」なのだが、その奥深さに今更ながら驚愕してしまう。茶会そのものだけでなく、手土産に至るまで心を尽くすという発想の広がりと深さは、なるほど「茶道」というにふさわしい修養があってこそ表現できるものだろう。こうしたものに触れると、自分の日常がいかに浅薄であるかを思い知らされる辛さもあるが、こういう深さを体験できることは幸せなことだと思う。