初めて茶会に参加した。先生のお宅で開催された会で、何組かがかわるがわる茶室に入ってお茶を頂くという、かなり規模の大きいものだった。先生のお宅はビルで、いきなり度肝を抜かれたが、下の階は事務所や店舗などに賃貸されていて、お住まいは最上階という構造だ。エレベーターを出たところが待合のような空間になっている。玄関は引き戸で、中に入って左手が上り框で右手は外に出る戸だ。外に出ると蹲がしつらえてあり、蹲で手や口を清めた後、躙口から茶室に入るようになっている。私の回は私を含めて客が5名だったので、濃茶はふたつの茶碗に分け、私のほうは3人分を大ぶりの天目茶碗で頂いた。濃茶を頂くのは初めてだったが、粘度が高くて飲みにくいが味は感動的だった。薄茶のほうは、旦入の赤楽で頂いた。先生は私が陶芸をやっているのをご存知なので、私の興味をそそりそうなものをわざわざ選んで頂いたようだ。勿論、本物の楽茶碗でお茶を頂くのは初めてである。あの独特の形状は、おそらく日本人にしかわからない美意識の現われではないかと思う。楽茶碗の本当の素晴らしさは手にしたときに実感する。茶碗が手の中にすっぽりと納まり自分の身体の延長のように感じられるのである。そして見た目に比して見込みが大きく感じられる。よく「茶碗は見込み」と言われるのだが、見込みが大きく見える茶碗を手にすると、茶碗の中が異次元空間への入口のように見えるものだ。茶菓子は主菓子が餅を栗きんとんを絞ったもので栗毬のように包んだもので、干菓子はマツタケ型の落雁や霜柱のような砂糖菓子などの取り合わせ。今年は栗が凶作なので、そういうときにこういう栗を贅沢に使った菓子を振舞われると、感じ入るものがある。
お茶の後、亭主のほうで予め手配されている店に案内され、そこで客だけで食事を頂く。同じ茶道教室の仲間なので、和気藹々と楽しくお食事をいただき、お開きとなった。茶会の前は、知っている人たちだけの会とはいいながらも少し緊張したが、終わってみれば愉快なひと時だ。本当に良い縁に恵まれたと幸せな気分になる。道具がどうこうとか、茶がどうこう、というのではなく、そこに込められた心配りが伝わるのである。茶の湯とはこういうものなのかと、少し認識が変ったような気がする。
お茶会からの帰りに橙灯に寄る。これまでは、この店に来たときに自分以外の客が居たことはなかったのだが、今日は先客の2人組が居る。店主の坂崎さんが頃合いを見計らって紹介してくれる。おひとりは編集者で「Oraho」の発行人でもある人で、もうおひとりは「mt」というブランドのマスキングテープを製造販売しているカモ井加工紙という会社の関係者(社長夫人?)。おふたりの会話をなんとなく聴いていたり、邪魔にならない程度に口を挟んでみたり、面白がっていたら1時間半ほど経ってしまい、雨も降り出したので店を出た。
巣鴨に着いて住処に向かう途中、コーヒー豆がなくなりかけていることを思い出し、ハニービーンズに寄る。するとそこには橙灯の常連でもある茗荷谷の町内会長氏が居て、そこで30分ほど会話を楽しむ。先週の日曜日に羽入田さんと会長と私の3人で、「すがものさんま祭」という落語会に出かけたので、その感想なども改めて語り合ったりする。会長は本職が大学教授で哲学者でもあるのだが、かなり厳しいご意見だった。また、私が橙灯に寄ってきたところで、店に「oraho」の山本さんが居たと言ったので、会津の話にもなった。会長は「oraho」に紹介されていた蕎麦屋に行ったそうで、そこの蕎麦をたいそう気に入っておられた。私は会津というと真冬にFASLにお邪魔して、危うく雪の中で身動きがとれなくなりそうになった記憶しかないのだが、そういう話を聞いたりすると行ってみたくもなる。
やっと住処に辿り着くと、母から携帯にメールが入り、学生証が届いたというので、そのまま荷物だけ置いて、実家へ向かう。学生証を手にしたことで、晴れて学割料金の適用を受けることができるようになる。昨日も実家に来たので、今日は長居をせずにすぐに巣鴨の住処へ帰る。
ところで、昨日頂いた栗だが、クックパッドで「おいしい茹で方」を検索して、その通りに茹でてみた。たいへん美味しく茹で上がり、しかも下ごしらえから茹で上がりまで丸一日以上も水に浸けた状態にあるため、皮がすっかり柔らかくなり、剥くのが楽である上に、渋皮がついたまま食べると香ばしくて美味しいということも発見した。外皮の直下にある渋皮はさすがに剥いたほうがよいのだが、実を覆うものは十分に柔らかくなっているので食べるのに何の問題もない。渋皮だけ食べて食べられないことはないが、やはり実と一緒に頂くのが基本のようだ。しかし、水からあげて乾いてしまうと、渋皮はもはや食べることのできる柔らかさを失ってしまう。同じものでも時期を変えることで違った味を楽しむことができるということだ。
お茶の後、亭主のほうで予め手配されている店に案内され、そこで客だけで食事を頂く。同じ茶道教室の仲間なので、和気藹々と楽しくお食事をいただき、お開きとなった。茶会の前は、知っている人たちだけの会とはいいながらも少し緊張したが、終わってみれば愉快なひと時だ。本当に良い縁に恵まれたと幸せな気分になる。道具がどうこうとか、茶がどうこう、というのではなく、そこに込められた心配りが伝わるのである。茶の湯とはこういうものなのかと、少し認識が変ったような気がする。
お茶会からの帰りに橙灯に寄る。これまでは、この店に来たときに自分以外の客が居たことはなかったのだが、今日は先客の2人組が居る。店主の坂崎さんが頃合いを見計らって紹介してくれる。おひとりは編集者で「Oraho」の発行人でもある人で、もうおひとりは「mt」というブランドのマスキングテープを製造販売しているカモ井加工紙という会社の関係者(社長夫人?)。おふたりの会話をなんとなく聴いていたり、邪魔にならない程度に口を挟んでみたり、面白がっていたら1時間半ほど経ってしまい、雨も降り出したので店を出た。
巣鴨に着いて住処に向かう途中、コーヒー豆がなくなりかけていることを思い出し、ハニービーンズに寄る。するとそこには橙灯の常連でもある茗荷谷の町内会長氏が居て、そこで30分ほど会話を楽しむ。先週の日曜日に羽入田さんと会長と私の3人で、「すがものさんま祭」という落語会に出かけたので、その感想なども改めて語り合ったりする。会長は本職が大学教授で哲学者でもあるのだが、かなり厳しいご意見だった。また、私が橙灯に寄ってきたところで、店に「oraho」の山本さんが居たと言ったので、会津の話にもなった。会長は「oraho」に紹介されていた蕎麦屋に行ったそうで、そこの蕎麦をたいそう気に入っておられた。私は会津というと真冬にFASLにお邪魔して、危うく雪の中で身動きがとれなくなりそうになった記憶しかないのだが、そういう話を聞いたりすると行ってみたくもなる。
やっと住処に辿り着くと、母から携帯にメールが入り、学生証が届いたというので、そのまま荷物だけ置いて、実家へ向かう。学生証を手にしたことで、晴れて学割料金の適用を受けることができるようになる。昨日も実家に来たので、今日は長居をせずにすぐに巣鴨の住処へ帰る。
ところで、昨日頂いた栗だが、クックパッドで「おいしい茹で方」を検索して、その通りに茹でてみた。たいへん美味しく茹で上がり、しかも下ごしらえから茹で上がりまで丸一日以上も水に浸けた状態にあるため、皮がすっかり柔らかくなり、剥くのが楽である上に、渋皮がついたまま食べると香ばしくて美味しいということも発見した。外皮の直下にある渋皮はさすがに剥いたほうがよいのだが、実を覆うものは十分に柔らかくなっているので食べるのに何の問題もない。渋皮だけ食べて食べられないことはないが、やはり実と一緒に頂くのが基本のようだ。しかし、水からあげて乾いてしまうと、渋皮はもはや食べることのできる柔らかさを失ってしまう。同じものでも時期を変えることで違った味を楽しむことができるということだ。