熊本熊的日常

日常生活についての雑記

運より縁と思いたい

2010年10月11日 | Weblog
日本民藝館で「河井寛次郎 生誕120年記念展」が開催されている。その関連企画に「河井寛次郎の器でお茶をのむ」というものがあり、今日はそれに参加してきた。この企画は10日から11日にかけて都合3回あり、各回定員10名ということで事前に往復はがきで申し込むことになっていた。あまり考えもなしに、単に自分の都合の良い時間で申し込み、それに対して返信があったので、応募者が少なくて抽選にはならなかったのだろうと思っていた。果たして今日出かけてみると、応募者が多くてたいへんな倍率だったと聞かされた。定員も2名増やして12名としたのも、少しでも応募者の希望をかなえたいとの配慮の表れだ。私は抽選に当たるという経験が殆ど無いので、これは運というより縁ではないかと感じた。

河井の茶碗に加えて濱田庄司が挽いて棟方志功が絵付をしたという茶碗も登場し、たくさんの茶碗を手にする機会に恵まれた。ひとつひとつ手作りなのだから当然なのだろうが、思いの外、ひとつひとつの茶碗に個性があることに驚いた。縁や高台の仕上げがそれぞれに違い、持った感触も当然に違うのである。装飾のほうは、茶碗だけでなく他の器にも共通するものがあり、ここ日本民藝館をはじめとして公の場所やメディアを通じて広く知られているので見る側に多少の先入観もあるため、なんとなく河井作品であることが感じられる。しかし、持った感触というものは持ってみないことにはわからない。河井ほどの作家ではなくとも、それなりの作品を手にする機会というのはそう度々あるものではないので、一度に10数個の同じ作家の作品を手にでき、しかもそのなかの2つでお茶まで頂くことができたのは、私にとってはたいへんな勉強だ。

おそらく、ひとつひとつの作品が違っているのは、それだけ作家がひとつひとつの作品に強い思いを持って向かい合っていたということでもあるのだろう。技巧的には、どの茶碗も茶が点て易そうというわけにはいかないように見えた。河井の故郷である島根県安来ではどこの家庭でも気軽に抹茶を点てるのだそうだ。その代わり煎茶はあまり飲まないのだという。抹茶が日常の風景のなかに溶け込んでいたからこそ、逆に茶碗の枝葉には囚われないということであるのかもしれない。枝葉末節ではない茶碗全体としての佇まいや存在感に、河井自身を投影しようとしたのだろう。

今回の会が催された部屋の床の間には河井の書が掲げられていた。

「茶ニテアレ 茶ニテナカレ」

配られた資料のなかにこの言葉の解説があった。
「茶事に心を入れる人は、とかく茶事に囚われの身となる。そんな不自由さに茶はないはずである。茶はどこまでも茶でありたいが、それは同時に茶であって、茶に終わらぬもの、茶に滞らぬものがなければならない。これを「茶にてあれ、茶にてなかれ」というのである。逆説のようであるが、茶であるのみなら、真の茶ではなくなる。単に茶でないなら、それもまた意味がない。茶であって、茶でないもの、茶でなくして茶であるものが、示されねばならない。ここが茶に厳しさのあるところである。有事の茶は二義の茶である。有事にして無事なるものがないと、究竟の茶にはならぬ。今の茶人の多くには「茶ニテナカレ」の厳しさがない。それ故、「茶ニテアレ」ということすら、十分守れないのである。今の茶など、大方は茶と呼ばれる資格をすら持たぬと思われてならぬ。」

もう何も申し述べることはない。