このところ木工の後は自炊で昼食を済ませることが続いていたが、今日は久しぶりにcha ba naに寄ってビルマそーめんを頂いた。以前にも書いたようにカレー南蛮の素麺版のようなものなのだが、スープのカレーは魚介系の出汁をベースにしたダル(インド料理の豆のスープ)のようで、見た目はカレーのようでも味はカレーとはちょっと違ったものになっている。薬味にパクチーが添えられていて、それだけで東南アジア風に感じられる麺料理である。私はこれが気に入っていて、この店のランチ4択(他に時期限定でカレーライスがある)のなかでは売り切れでない限り、このビルマそーめんを頂くことにしている。
メニューの説明に「ビルマの家庭料理」と書いてあるので、素麺のような麺がビルマにもあるということなのだろう。私は普段は麺類を食べることはない。別に嫌いというわけではなく、選択肢のなかの優先順位が低いというだけのことだ。印象として、行列のできるラーメン店とか、通ぶった奴が行く老舗蕎麦屋のようなものが麺料理と密接に結びついているので、料理そのものではなく、行列や自称食通といったものに嫌悪を覚える所為かもしれない。
cha ba naのランチはすべて麺で、ビルマそーめん以外はトムヤムクン・ヌードルだったりカレー・ラーメンだったり、私には辛くて食べられそうにないものなので、ビルマそーめんかフォーの二者択一となる。フォーが嫌いなわけではないが、この店ならではの料理はビルマそーめんなので、結局毎回同じものを頂く。
この店以外で好きな麺料理屋としては、刀削麺の店がある。勤務先が霞ヶ関だった頃に同業他社の知り合いから刀削麺荘赤坂店を紹介してもらったのが、たぶん最初だ。以来、気をつけて街を歩くと、けっこうあちこちにある。やはり霞ヶ関時代に同じチェーンの新橋店に行ったとき、偶然にもその正しい食べ方を知った。
刀削麺は形状が不規則なので、無造作にズルズルとすすると麺が激しく振れてスープが飛び散る。それで、私の知る限りはどの店でも紙のエプロンを用意してくれる。それでも間に合わない人もいるらしい。少し遅めのランチで新橋店を訪れたとき、店員2人が空いたテーブルを片付けていた。片方が日本人でもう片方は中国人らしい。その会話から食べ方を学習させて頂いた。
「今のお客さんすごかったね」
「ね」
「これさ、中国でもこんなに激しく食べるの?」
「ううん」
「本当はどうやって食べるの?」
「これを使うの」
と言って、蓮華を持った。少しずつ蓮華に受けて、そこから口の中に流し込むようにして頂くのだそうだ。さっそくそのようにして食べてみると、スープが飛び散るというようなことはない。食べるのにエプロンをつけなければならないようなものなど、普通に考えれば無いだろう。エプロンが出てくるということに、何か疑問を持つのが健全な知性と感性だ。
蕎麦は威勢よく食べているのを見ると旨そうだが、他の麺類を同じように食べると悲惨な感じを受ける。どういう意味で悲惨なのか、敢えて書かないが、イタリアンのパスタを蕎麦のように食べる奴を見ると不快を通り越して滑稽だ。食事の様子というのは、氏素性以前に人格のようなものまで現れるので、気をつけたいものである。一緒に食事をして、食い方が汚い奴だと、それだけで距離を置くことにしている。
もちろん、ビルマそーめんも蕎麦とは違う。箸とスプーンが一緒に出てくるのだから、それを見て、どのように食べるのか容易に想像がつくだろう。
メニューの説明に「ビルマの家庭料理」と書いてあるので、素麺のような麺がビルマにもあるということなのだろう。私は普段は麺類を食べることはない。別に嫌いというわけではなく、選択肢のなかの優先順位が低いというだけのことだ。印象として、行列のできるラーメン店とか、通ぶった奴が行く老舗蕎麦屋のようなものが麺料理と密接に結びついているので、料理そのものではなく、行列や自称食通といったものに嫌悪を覚える所為かもしれない。
cha ba naのランチはすべて麺で、ビルマそーめん以外はトムヤムクン・ヌードルだったりカレー・ラーメンだったり、私には辛くて食べられそうにないものなので、ビルマそーめんかフォーの二者択一となる。フォーが嫌いなわけではないが、この店ならではの料理はビルマそーめんなので、結局毎回同じものを頂く。
この店以外で好きな麺料理屋としては、刀削麺の店がある。勤務先が霞ヶ関だった頃に同業他社の知り合いから刀削麺荘赤坂店を紹介してもらったのが、たぶん最初だ。以来、気をつけて街を歩くと、けっこうあちこちにある。やはり霞ヶ関時代に同じチェーンの新橋店に行ったとき、偶然にもその正しい食べ方を知った。
刀削麺は形状が不規則なので、無造作にズルズルとすすると麺が激しく振れてスープが飛び散る。それで、私の知る限りはどの店でも紙のエプロンを用意してくれる。それでも間に合わない人もいるらしい。少し遅めのランチで新橋店を訪れたとき、店員2人が空いたテーブルを片付けていた。片方が日本人でもう片方は中国人らしい。その会話から食べ方を学習させて頂いた。
「今のお客さんすごかったね」
「ね」
「これさ、中国でもこんなに激しく食べるの?」
「ううん」
「本当はどうやって食べるの?」
「これを使うの」
と言って、蓮華を持った。少しずつ蓮華に受けて、そこから口の中に流し込むようにして頂くのだそうだ。さっそくそのようにして食べてみると、スープが飛び散るというようなことはない。食べるのにエプロンをつけなければならないようなものなど、普通に考えれば無いだろう。エプロンが出てくるということに、何か疑問を持つのが健全な知性と感性だ。
蕎麦は威勢よく食べているのを見ると旨そうだが、他の麺類を同じように食べると悲惨な感じを受ける。どういう意味で悲惨なのか、敢えて書かないが、イタリアンのパスタを蕎麦のように食べる奴を見ると不快を通り越して滑稽だ。食事の様子というのは、氏素性以前に人格のようなものまで現れるので、気をつけたいものである。一緒に食事をして、食い方が汚い奴だと、それだけで距離を置くことにしている。
もちろん、ビルマそーめんも蕎麦とは違う。箸とスプーンが一緒に出てくるのだから、それを見て、どのように食べるのか容易に想像がつくだろう。