熊本熊的日常

日常生活についての雑記

大学生になる

2010年10月15日 | Weblog
今月から大学生になった。都内某大学の通信課程の3年次へ編入が認められたのである。通信課程への編入学なので、試験のようなものはなく、所定の書類を準備して提出するだけだ。それでも「編入学許可書」というものを手にすれば嬉しいのが人情だろう。昨日、日本郵便のレターパックで入学許可書が届き、今日は佐川急便で履修登録関連書類一式が届いた。シラバスをぱらぱらとめくりながら初年度はどの科目を取ろうかと考えていると、単位取得の大変さを想像しながらも、それ以上になんとなく心ときめくものがある。注目すべきは図書館利用の手引きだ。近隣の大学と相互利用ができるようになっており、そのなかには女子大もある。卒業まで何年かかるのかわからないが、ずっと女子大の図書館に入り浸っていようかとも思う。

大学の通信課程で勉強しようと思うきっかけになったのは、5月に会食をした旧職場の同期の奴との会話だった。
「俺、映画は学割で観るんだ。」
というのである。50近いオヤジが学割かよ、と思うではないか。彼は放送大学の講座を受講しているのだという。放送大学も「大学」なので、そこに学生として在籍すれば年齢に関係なく当然「学生」なのである。細かいことは抜きにして、漠然と「学生」という身分を手にすることに妙な魅力を感じた。

その後、調べてみると放送大学とか一部の大学の通信課程のなかには10月入学という枠があることがわかった。さっそく放送大学を含めて3つの大学から資料を取り寄せて、いろいろ比較検討し、放送大学以外の2大学については入学相談会にも足を運んだ。そうして今回の決定に至ったのである。

陶芸を始め、茶碗というものを知ろうと茶道を始め、陶芸で作ったものを収める箱を作ろうと木工を始め、それぞれに楽しくやっていると、どうしても造形とか美術といったものの背後にある共通言語をきちんと押さえておきたいと思うようになる。身近にそういうことに精通した人がいればよいのだが、いない場合には自分で勉強するなり学校に行くなりしなければならない。自分でコツコツやっていられるほど先がある年齢ではないので、手っ取り早く学校に行くことにしたのである。

そういう視点に立つと、放送大学の講座には自分の興味に合ったものが無く、かなり早い段階で検討対象から外してしまった。残り2つの大学は片方が都内にあり、もう片方は関西だ。通信制なので立地は関係ないだろうと思われるかもしれないが、科目の多くがスクーリングへの出席を必須としているので、やはり立地のハンディを補って余りあるだけの魅力がないと遠くの学校を選ぶことはできない。立地のハンディを補う要素は具体的には提供されている科目内容と、仕事をしながら履修するための配慮のようなものを挙げることができる。どの大学の資料にも在校生や卒業生の紹介を冊子にまとめたものがああるが、そこに「仕事を辞めて入学しました」とか「定年退職を機に」というような人が目立っていたら、仕事をしながら卒業するのは通信課程とはいいながらも無理なのかな、と思ってしまうだろう。資料の検討に際しては学科の紹介は勿論のこと、卒業生紹介の冊子も入念に読み、入学相談会でもそのあたりのことは十分に質問をさせて頂いたつもりだ。

3年次に編入学したので、順調にいけば2年で卒業だが、最大6年まで在籍できることになっている。卒業することは結果であって、そのために入学したわけではないが、自分の位置の目安は必要なので、単位とか卒業というものはやはり意識するべきだろう。あと大事なのは、新たな人間関係を築くことである。就職して以来ずっと同じ業界で仕事をしているので、そろそろ新しいことを始めないと閉塞状況が深刻化する一方になってしまう。大袈裟なようだが、生きていくためには今のままでいるわけにはいかないのである。

さて、最初の関門は履修科目の選定だ。一度登録すると次年度まで変更ができないので、よく考えて決めないといけない。早くも学生気分でいい感じだ。