熊本熊的日常

日常生活についての雑記

崩れゆく街並み

2010年10月17日 | Weblog
子供とふたりで渋谷から青山にかけて歩いた。宮益坂を登って246へ、道なりに青学方面へ向かい、骨董通りに入ってそこから413に折れて根津美術館へ。根津を出て、近くの岡本太郎記念館へ。そこから路地を阿弥陀籤のように表参道へと抜ける。青山アンデルセンで食事をして、表参道を原宿方面へ向かう。途中、表参道ヒルズを覗いた後、神宮前交差点でラフォーレの裏に回って、太田記念美術館に立ち寄る。

昼間はそれほど気付かないのだが、都心はどこでも工事をしている。それは街並みが頻繁に変化するということでもある。青山も例外ではない。すこし時間を置いて訪れてみると、新しい建物が並んでいたり、コインパーキングがあったり、昔あった店がなくなっていたりする。街はそこに生活があるという点で生き物と同じなので、新陳代謝はあって当然だ。しかし、変化にも秩序がないと、癌細胞が増殖するような事態に陥りかねない。

土地建物が私有を前提とし、不動産市場で流通している限り、原則として不動産の所有者が自己所有の土地や建物をどのように使おうと所有者の勝手である。古くからの住宅街でよく見かけることだが、大きな屋敷が売りに出ると、そこを開発業者が購入してマンションを建設したり、小さく分筆して建売住宅が並んだりする。屋敷があった頃には、屋敷森があり、立派な植栽や味わい深い塀があったりして、それなりの佇まいを見せていた一画が、無機質なコンクリートの箱や安普請の小屋が並ぶ薄っぺらな街区に成り下がってしまう。街並みをどう見るかは主観の問題なので、「薄っぺら」とか「成り下がる」という表現はあくまで私の主観に過ぎないことは重々承知しているつもりだし、そこに住んでいる当事者にしてみれば、「薄っぺら」とは感じていないかもしれない。私自身、結婚していた頃に家を建てたが、その土地はもともと大きな屋敷があったところで、それを4分割して売りに出されていたところの一区画を購入したものだ。何を隠そう「成り下がり」の当事者である。こうした土地の細分化や高度利用といった現象は至る所で進行しているので、相続などに際して多額の税金が賦課されるような地域ほど街並みは崩壊しやすくなる。

この6月に訪れた京都の町屋も虫食いのようにコインパーキングがあったり、マンションが建っていた。かつて京都の街並みを維持してきたのは町衆と呼ばれる各地域の有力者たちだったのだそうだが、そうした世話役のような人たちが時代の流れのなかで力を失ったり、後継ぎがなかったり、後継ぎであるはずの人に街並みや都市景観への関心がなかったり、関心があっても維持できる状況にないというようなことなのだろう。

不動産が市場経済のなかで流通するという当然の状況のなかで、街並みを維持管理することは果たして可能なのだろうか。そもそも街並みは維持されるべきものなのだろうか。維持されるべきだとすれば、その目的は何であり、そのことによってどのような便益があり、誰が当事者として維持の責任を負うべきなのだろうか。

結論から言えば、市場経済の下で都市景観を維持管理することはできない。維持管理するためには、市場メカニズムに対し規制をかける必要がある。規制をかけるには、その規制が妥当であるとの承認を利害関係者から受けるべきだろう。果たしてそれは可能だろうか。

現実には建築基準法、都市計画、景観条例、景観法など様々な規制が存在する。いずれも防災や文化資源の維持という目的での法規制だ。防災目的は別にして、守るべき景観とそうではない景観を分ける基準は何だろうか。特定の景観を取り出して、そこだけを守り抜くというのは、ある種の美容整形術のようにも思われて、かえって奇異な印象を受けることもあるだろう。思想や哲学のない中途半端な規制なら、規制などしないほうが公共の利益に即しているということになるのではないか。形あるものは必ず滅ぶ。結局はそれが自然の摂理なのだろう。