初めて轆轤で挽いた壷が焼きあがった。黄瀬戸をかけたのだが、少し厚めになってしまった。特に内側については必要以上に厚くなりがちなので気をつけないといけないらしい。壷は、陶芸を始めた一年目の後半に、ひも作りで2つ作り、いずれも実家で稼働中である。ひもで作ったものに比べると、轆轤で挽いたものは形がシャープにまとまっているが、高さ方向の縮小度合いが顕著であるように感じられる。今日は轆轤で挽いた2つ目の壷の素焼きも上がってきたのだが、こちらは球状に膨らませようとして中途半端に終わってしまった。淡水真珠のような形、と言えば想像していただけるだろうか。
ところで、今日は壷を挽かずに碗を挽いた。先週のスクーリングで使い残した並信楽の粘土があったので、これを使って茶碗サイズのものと、もうひとまわり大きい碗を1つづつ挽いた。まだ時間があると思い、一個挽きで皿や壷を作るくらいの量の粘土を練ったところで、焼きあがった壷について先生とお話をさせていただいたので、挽く時間が少し足りなくなってしまった。それでも平常心で轆轤に向かえばよかったものを、ひとつでも多く挽いて土を無駄にしないようにしようなどと考えたので、焦りが出てしまった。やはり、週一回というのではなく、できれば毎日、土を触っていたいとの思いが強くなる。特に挽いているときは、「あぁ、こうやるのか」と了解する瞬間がある。そこで思ったことを繰り返し試してみるということをしてみたい。できれば窯が欲しいが、窯は無理でも電動轆轤とそれを扱う場所はいつか是非手に入れたい。やはりそのためには先立つものが必要になるが、同時に志を共にする仲間がいればなお心強い。それこそ焦ったところで、ろくなことにはならないのだろうから、機会の到来を待ちながら地道に修練を積んだり勉強したりするなどして準備を整えるのが、一見遠回りかもしれないが、最も確実であるように思う。
ところで、今日は壷を挽かずに碗を挽いた。先週のスクーリングで使い残した並信楽の粘土があったので、これを使って茶碗サイズのものと、もうひとまわり大きい碗を1つづつ挽いた。まだ時間があると思い、一個挽きで皿や壷を作るくらいの量の粘土を練ったところで、焼きあがった壷について先生とお話をさせていただいたので、挽く時間が少し足りなくなってしまった。それでも平常心で轆轤に向かえばよかったものを、ひとつでも多く挽いて土を無駄にしないようにしようなどと考えたので、焦りが出てしまった。やはり、週一回というのではなく、できれば毎日、土を触っていたいとの思いが強くなる。特に挽いているときは、「あぁ、こうやるのか」と了解する瞬間がある。そこで思ったことを繰り返し試してみるということをしてみたい。できれば窯が欲しいが、窯は無理でも電動轆轤とそれを扱う場所はいつか是非手に入れたい。やはりそのためには先立つものが必要になるが、同時に志を共にする仲間がいればなお心強い。それこそ焦ったところで、ろくなことにはならないのだろうから、機会の到来を待ちながら地道に修練を積んだり勉強したりするなどして準備を整えるのが、一見遠回りかもしれないが、最も確実であるように思う。