轆轤で挽いたふたつ目の壷が焼きあがった。形はひとつ目のほうが好きだが、技巧的にはこちらのほうがうまくできた。釉薬もいい。ひとつ目のほうは黄瀬戸だが、こちらは基本中の基本の透明釉。窯変を起こしており、なかなか姿のよい色艶になった。技法としては下絵、上絵、布目、象嵌、練り込み、化粧、掛け分け、など一通り習ったのだが、オーソドックスなものをただ掛けるというのが、今はとても気に入っている。
次回の個展についてのお尋ねをメールで頂いている。ありがたいことではあるのだが、現時点では在庫が無いので、いつになるかわからない。陶磁器の制作には時間がかかるので、週一回の教室ではどうすることもできない。できれば窯、少なくとも自由に使える作業場が欲しいと心底思う。手仕事というのは、毎日やってこそ技量も向上し、人様に喜んで頂けるようになるものだ。手仕事に限らず、仕事というのは他人のためにするものであり、それが巡りめぐって自分のところにも回ってくるものだと思っている。そういうつながりに面白さがあり、そういう面白さを感じる感性や知性が人と畜生の間を分けるのだと信じている。
次回の個展についてのお尋ねをメールで頂いている。ありがたいことではあるのだが、現時点では在庫が無いので、いつになるかわからない。陶磁器の制作には時間がかかるので、週一回の教室ではどうすることもできない。できれば窯、少なくとも自由に使える作業場が欲しいと心底思う。手仕事というのは、毎日やってこそ技量も向上し、人様に喜んで頂けるようになるものだ。手仕事に限らず、仕事というのは他人のためにするものであり、それが巡りめぐって自分のところにも回ってくるものだと思っている。そういうつながりに面白さがあり、そういう面白さを感じる感性や知性が人と畜生の間を分けるのだと信じている。