熊本熊的日常

日常生活についての雑記

クビになった日

2011年12月02日 | Weblog
今日、勤め先から解雇通告を受けた。夜間シフトなので出勤が夕方5時過ぎなのだが、昨日18時半頃に上の人から今日の午前10時半に勤務場所とは違うフロアにある会議室へ来るようにとのメールが入った。口頭で言えばよさそうなものをわざわざメールでというのは、大抵は悪い知らせと相場は決まっている。よほど昨日帰る時に私物を全部片付けてしまおうかと思ったのだが、たいした内容と量ではないので、棄ててもらってもかまわないと思い直してそのまま帰宅した。

今日、指定された会議室に出向くと、6人ほどしか入ることのできない広さの会議室に上の人が2人と人事の事務担当者がいて、テーブルの上にはコンファレンスコール用の機器があり、本社の部門長とつながっていた。その部門長から、経済情勢の悪化と業績低迷で合理化が必要になって君のポジションを廃止することになった、という通り一遍の決まり文句を聞かされる。後は人事担当者が事務的な手続きについて事務的に説明してくれて、20分足らずで用件は終了した。社員としての身分はあと3ヶ月ほどあるらしいのだが、職場への出入りは、この面談を以て禁止となり、ビル全体のカードキーと勤務先のカードキーを返還させられた。当然、社内のシステムへのアクセス権も廃止された。実質的には昨日が最終勤務日となった。

首になった後の職場のことを私が考える義理はないのだが、今日の業務の引き継ぎが困るのではないかと思い、職場の隣の席の人に「やっぱり首」と携帯メールを打っておいた。「やっぱり」というのは、今日の呼び出しメールを受け取ったときに、まだその人が席にいたので、メールをプリントして見せたのである。「これって、クビってことだよな」というような話を昨夜していたのである。携帯メールへの返信のなかで「…。でもこれで、夜、一緒に遊べますね。」とあった。思わず吹き出した。こういう緩さ軽さは、その人の個性もあるだろうが、日本の文化に通じるものがあるように思う。

よく「石の文化、木の文化」などという。産業革命あるいは明治維新以降、日本も世界も個性が薄まって、端的には街の風景や暮らしの様子が似通ってきているが、感覚的な部分というのは歴史に裏付けられたものがまだまだ濃厚に残っているように思う。日本の場合はそれが「木の文化」ではなかろうか。現在でさえ国土の7割が山岳地帯であり森林率は約67%だという。阪神大震災以降、東京でも戸建住宅に軽量鉄骨や軽量コンクリートを使ったものが増えたように感じられるが、全体として見れば未だに木造住宅の比率が大きいのではないだろうか。ましてや歴史を遡れば国土全体が木に覆われていたと言ってもよいくらいだろう。そこへ地震や火山活動があり、地域によっては季節性の乾燥で火災が発生しやすい、といった天災が比較的多い。今でこそ耐震耐火は当然の発想だが、そうしたことが可能になる以前は破壊されることが当然で、江戸時代の火消しのように、被害の拡大防止に主眼を置いた発想だった。つまり災害に立ち向かうというよりも、それをやり過ごし、復旧復興を容易にするための発想が生活のなかにあったのではないかと想像できる。そうした特質を一言で表現すれば、「簡素」とか「軽便」といったことになるのではないだろうか。それは家屋や家具、調度品の類だけのことではなく、そこに暮らす人々のものの考え方にも影響を与えているはずだと思うのである。

そんなことはともかくとして、問題はこれからだ。自分ひとりだけならなんとかなるのだろうが、離婚の際に相手方に財産分与で渡した住宅のローンの返済や子供の養育費があるので、そうしたものを賄う手だてを考えないといけない。来週からは職探しの日々である。

今日はそんなわけで11時前に用が終わってしまったので、少しぶらぶらと時間をつぶしてから帝劇の地下にある伊勢廣を訪れて焼き鳥丼を頂いた。それほどいろいろなところで食事をするわけではないのだが、ここの焼き鳥は美味しいと思う。その後、出光美術館で「長谷川等伯と狩野派」展を観て、三井記念美術館で「能面と能装束」展を観てから家路についた。とりあえず誰かにクビになったことを話したくて、途中、ハニービーンズに立ち寄ってコーヒー豆を買いながら「今日クビになっちゃったよ」と立ち話をしてから帰宅した。