熊本熊的日常

日常生活についての雑記

稀少な殊勝な人

2011年12月13日 | Weblog
勤め先をクビになっても陶芸は止めない殊勝な人、という話をしようというのではない。今日は壷を2つ挽いた。2つ目を挽いているとき、縒れてしまったのだが、なんとか自力で回復させることができた。その様子をご覧になっていた先生が縒れそうになったときの対処方法を教えてくださった。一旦、外側に逃げて、改めて整えるのだという。実演して見せてくださった。というわけで、先生の手が入ったこともあり、1つ目に挽いた壷よりも土の量が少ないにもかかわらず、1つ目と同じくらいの大きさに挽きあがった。まだまだ技能の波があっていけない。週に1回だけなのだから、そう易々と上達するというわけにはいかないのだが、回数が少なければそれを補うべく知恵を働かせないといけない。単に陶芸のことだけでなく、あらゆることに通じることだろう。無いことを嘆くだけというのはあまりに愚かで見苦しい。欠損しているものがあるならば、それを補う知恵を出すのが人間というものだ。なかなか人間になれないのが辛いところである。

かつての勤務先の同期の桜から一献傾けようとの誘いがあり、陶芸から一旦帰宅した後、待ち合わせの新橋駅前へ出かけた。彼の勤務先が霞ヶ関なのだそうで、新橋駅前に行きつけのワインバーがあるのだという。本当に駅前のビルの2階にあるRuedaという小さなワインバーだったが、料理がとても旨かった。注文したのは、鶏レバーの赤ワイン煮、秋刀魚のコンフィ、スペイン風のオムレツなど、この手の飲み屋にならばどこにでもありそうなものばかりなのだが、心底旨いと感じた。普段は酒を飲まないのでワインの味を云々できないのだが、料理との相性は良く、酒も肴も十二分に満足のいくものだった。しかも、これが相方の奢りなのである。こちらは失業中なので、そこに誘いがかかるとなれば、当然ゴチだろうという見当を付けていたが、本当にそうなると嬉しいものである。そういう見当を付けておきながら、手ぶらというのもナンなので、例の黒砂糖を手みやげに持参しておいた。去年も感じたことなのだが、この黒砂糖というのは交際の役に立つ。一見したところ変哲のない調味料なので、気軽に使える。しかし、その製造には物語があるので、手渡しながらあれこれと会話ができる。この話の種になる、というのが有り難い。人と人との関係の基本は面と向かって会話をするということだろう。すべてはそこから始まるものだ。近頃はネット上だけで完結してしまう人間関係も少なくないようだが、私はやはり目の前にいるということ抜きに相手を信用することはできない。基本は大事だと思うのである。